24.兄妹
クリスマスイヴを二日後に控え、街はいよいよ華やかさを増していた。
川本家のほうには特に異常はなかったが、嵐の前の静けさにしか思えなかった。
そんな中で、舞花と万結花は午前中から時間を見つけてはクッキーづくりをしていた。
本当はケーキのほうがふさわしいのだろうが、二人とも経験不足で、本格的なケーキを焼くところまで思い切れなかったのだ。
舞花が材料の計量をし、万結花が混ぜ合わせ、手でこねて、綿棒で延ばしていく。その間に舞花が型を用意し、延ばし終わった生地を型抜きしていく。
そのあと、トレイに並べてオーブントースターで焼いていく。お試しで作っているから、オーブントースターで事足りた。
姉妹が仲良くお菓子作りをしているのを見て、雅人が声をかける。
「なあ、うまく出来たら味見させてくれよ」
「え~お兄ちゃん結構食べるんだもん。お兄ちゃんに味見させたら、なくなっちゃうよ」
舞花にそう言われ、雅人はぶすりとした表情になった。
「おれ、そんなに大食いじゃないぞ。大体、昼飯食ったから腹減ってないし。そもそも、クッキーだろ。一度に結構いっぱい出来るんじゃないのか」
「そうだけど、今回はリハーサルだからいっぱい作ってないの。明日、いっぱい作る予定なんだから」
「これ、クリスマス用のクッキーなの。本当は、デコレーションするらしいけど、今回はシンプルにしようってことで、ただのジンジャークッキーなのよ」
万結花が、焼き上がったクッキーをそっと大きめの皿の上に置かれたペーパーナプキンの上に置いていきながら、微かに微笑みを浮かべる。
ペーパーナプキンの上には、クッキーが並んだ。
「……しかし、今まで何か作ったことなんてなかったのに、どういう風の吹きまわしだ?」
雅人が首をひねる。
今まで、毎年クリスマスになると、チキンとケーキを予約し、それを家族で食べるのが常だった。
しかし今年は、いろいろあって頭の中から予約するということがすっぽ抜け、何もしていなかった。それで、ケーキぐらいは当日買おうか、という話になっている。
それを考えれば、わざわざクッキーなど作る必要は別にないのだが、それでも熱心に作業する二人の様子に、もしかして、と雅人はある可能性に気が付いた。
「……なあ、そのクッキー、もしかして早見に渡すつもりか?」
その瞬間、普通に片付けをしていた舞花が手を滑らせて、シンクに持っていく途中だったボウルなどを落っことし、万結花は慌てて手を動かしたせいで指をテーブルの縁にぶつけてうーんと唸っている。
(図星かよ)
余りのわかりやすさに、雅人は内心で、妹二人に突っ込んだ。
「だ、だって、いつも早見さんにはいろいろやってもらってるし、そのせいで迷惑もかけてるし……」
語尾がしりすぼみになる舞花に、雅人は軽く溜め息を吐くと、頭を掻いた。
「まあ、お前が早見の奴に入れ込んでるのは知ってるけどな、『迷惑かけてる』とか言い出したら、あいつかえって困るぞ。あいつ、自分の意志でやってるんだから」
晃が自分の意志で、そこまでやらなくてもいいというところまで、踏み込んでいるのは確かだ。
実際に、そこまで踏み込まないと、護り切れないと思っているのだろう。
雅人としては、止めても止まらないと感じて来ているので、すでにある意味諦めていた。
だから逆に、家族には晃の邪魔をして本人に余計な負担をかけてくれるな、というのが正直な心境だ。
でもまあ、クッキーを渡すぐらいならいいか、とも思った。
しかし、クリスマスがこれでは、年が明けてバレンタインデーにでもなった日には、どんなものを作るのか、多少の不安が湧いてくる。
晃本人は甘いものが好きだというし、結構お菓子を口にしているのも見ている。渡されれば受け取りはするだろう。
ちゃんとしたものを作って渡すなら、だ。
聞いた話だが、男性アイドルなどは、そういったイベントのときにファンから渡されるもので、手作りの物は絶対に食べないそうだ。何が入っているかわからないから。
自分の髪の毛を刻んで混ぜてみたり、恐ろしい例では、経血を入れているものまであったという。
自分の妹たちは、そんなバカなことはしないと思いたい。
大体、あいつがどんな奴かわかってるよな? と雅人は思う。
熱烈に押しまくったら、逆にドン引きするタイプだぞ、あれは。
それはともかく、一枚だけ、と断って、妹たちが作ったクッキーの味見をしてみる。サクサクと口の中で程よく崩れていき、適度な甘さの中に、しょうがのピリッとした辛味がかすかに効いて、結構美味だった。
「よく出来てるじゃん。うまいよ」
雅人にそう言われ、万結花も舞花もうれしそうに顔をほころばせる。
何とかこのまま、クリスマスを迎えられればいいんだがな。
雅人はそう思ったが、油断出来ない状況ではあった。
自分たちは直接見ていないが、黒い色をした、異様な妖が姿を現していたという。しかも、大打撃を与えたのは間違いないが、祓い浄めきれずに逃げられた、とも。
そいつのカタがつかない限り、心穏やかに過ごすというわけにいかない。
それでも、何とかこのまま年明けまで何事もなく過ぎてくれれば、少しはお祝い気分を味わえるかもしれない。
そして、最近秘かに思う事だが、晃にすっかり熱を上げている舞花はもちろん、万結花もまた、晃を相当意識しているだろうことだ。
意識していなかったら、自分の指摘であんなに慌てたりしない。
それこそ吊り橋効果じゃないが、ずっと晃の手で護られているのだ。それも、時に命を賭けて。
そんな姿に、心が動かないはずはない。
第一、晃の本性がわかったその時に、最初にそれを受けいれて彼に近づいたのは、誰あろう万結花なのだ。
あんな真似が出来たのは、間違いなく晃のことを意識していたからに違いない。
あの場でははっきり好きだと言ったわけではないが、『家族のように信じられる』といったのだ。
それはもはや、心を許しているのと同じだろう。
雅人はふと、晃のことを本当の意味での妹の交際相手としてみたら、どうだろうかと考えた。
少なくとも、誠実さという意味では文句なしだ。さらに、女性をとっかえひっかえなど、絶対にしないタイプだろう。否、出来ないたちだ、あれは。
現実は、舞花はともかく万結花は、晃でさえ御することの出来ないほどの圧倒的な霊力を秘め、相手を破滅に追い込むほどのものを持つというのだ。人間と交際など、出来るはずがなかった。
それがわかっているだけに、せめて気分だけでもそれらしい雰囲気を、という感じで、今回のお菓子作りをやっているのではなかろうか。
そうやって妹たちの様子を見ていた雅人に、不意に電話がかかってきた。
相手を見ると、晃からだ。
「珍しいな、あいつからかけてくるなんて」
思わずつぶやき、電話に出た雅人に向かって、晃が告げた。
「いきなりで悪いんだけど、これからそっちへ行く。どうにも、嫌な予感がして仕方ないんだ」
「え!? 嫌な予感って、家でか?」
「そうだよ。お前の家で、何かが起こりそうだって感じるんだ。だから、そっちへいくから」
雅人は慌てて時間を確認した。現在時刻は午後一時半過ぎ。
いくら今は日が短いとはいえ、暗くなるにはまだ間がある。それなのに、晃はこれから来るという。
何をそんなに焦っているのだろうか。明るいうちに、何か起こるとでもいうのだろうか。
雅人がそんなことを考えているうちに、晃は『これから行くから』と繰り返すと、電話を切った。