21.監視
それから、晃が退院してくるまで、例の妖は姿を現さなかった。
だが、川本家の全員が、家を出るたびになぜか誰かに見られているような、妙に重苦しい空気を感じるようなっていた。
もちろん結城や和海、法引、昭憲も霊視をしてみたのだが、特にこれといって気になる存在を見つけることが出来なかった。
ただ、その何とも言えない重苦しさは、霊視をした四人も感じることが出来、それが気のせいではないことがわかっていたため、もどかしさだけが募る。
そして、退院早々晃が引っ張り出されることになった。
すでにクリスマスも近づき、街は華やかさを増している。そんな中で、川本家の周辺だけが、異様な空気に包まれているのだ。
何とかしなければ、と晃が駆り出されるのは仕方がなかった。
まだ完全には本調子ではない晃だが、状況的に自分が出ていかなければならないだろうと、腹はくくっていた。
朝一番で事務所で顔を合わせたときに、申し訳なさそうに同行を頼んできた結城に対し、晃はかぶりを振って答えた。
「所長、僕の方こそ申し訳ないと思っているんです。僕の入院費、事務所と川本さんのところとで折半したそうですね。本当は全額僕が払わないといけないのに」
「そんなことはない。君が倒れる羽目になったのは、いわば仕事でだ。こう言う仕事で何かあっても、労災扱いされないからな。せめて君に経済的に負担がかからないように、ということで、入院費はこちらで出すと決めたんだ。それを聞きつけた川本さんが『自分たちも払う、折半にしてくれ』と申し出てくれたんだ」
事情はよくわかっているのだが、それでも入院費を全額払わせたというのは、晃としては何とも心苦しい。しかも、二回目だ。
前回、両親に敢えて連絡せずに済ませた入院も、入院費を払ったのは晃ではなく事務所と川本家だ。
二回続くと、さすがに申し訳なさが先に立つ。
「僕がもう少し丈夫で、ちょっとやそっとじゃ風邪なんか引きもしないような体質だったら、よかったんですが」
「こればっかりは仕方がないさ。元々障碍のある体なんだ。そういう意味では無理する必要なんかない」
結城にそう言われ、晃は大きく溜め息を吐くと、とりあえず午前中のうちに、川本家の人々を取り巻いているという“重苦しい空気”の正体を探りに行くことにした。
もちろん和海の運転で現地へ向かい、途中で法引も拾っての移動だった。今回、昭憲は寺のほうの用事で留守番だったが、最後まで留守番することを渋っていた。
やはり、全員がずっと気にしながら過ごしていたのだ。
そして正体がわからないまま、過ごしてきたここ数日の何とも言えないもやもやとした嫌な気分を、晃なら晴らしてくれるのではないか、と。
まだいつも以上に線の細さを感じさせる晃を気遣いながら、四人は川本家へと向かった。
近くのコインパーキングに車を止めて、後は徒歩である。
川本家に近づいていくにつれ、晃の表情が厳しくなる。
「……これは、かなり厄介な事態ですね」
晃の言葉に、皆緊張する。晃が“厄介”というのだ、一体どんな事態なのか。
「……これ、ごく薄くですが、ある種の“意思”のようなものが感じられるんです。ずっと、この家を観察しているというか、見張っているというか……」
晃によれば、相当数の妖とか物の怪とか呼ばれるものがある意味一緒くたになって、まるで空間を歪ませるように張り付いているという。空間が歪み、直接“視る”ことが出来なくなっているが、そういうモノが家の周囲に張り付いており、誰かが外出するとその一部がまるで尾行するかのようについてくるのだ、という。
「ものすごく濃密なはずなのに、それがいわばこちら側の世界でなくごく薄い境を挟んで異界から張り付くことによって、その存在感を薄めて消している、といったほうがいいでしょうか」
「異界から、ですか。それでも、これだけ重苦しく感じるのは……」
法引の問いかけるようにつぶやきに、晃はさらに続ける。
「異界といっても、ごく薄い膜のようなものを隔てているだけです。向こうからは、こちらがはっきり“視える”でしょう。そして、ものすごく強固というわけではないけれど、川本家の人々をじっと観察する意思がある。このくらいのほうが、はっきり感じられない分、得体の知れない不安感をあおるのにちょうどいいはずです。はっきりしてしまったら、今度は浄化の目標がきっちり定められることになるから、向こうにとってはかえって都合が悪い……」
無論、実際に浄化するためには、こちらと向こうを隔てる膜を破らなければならないため、一筋縄ではいかないはずだが。
晃自身、本性を現して相当の力を込めなければ、世界を隔てる膜を突き破って向こうにいる存在を浄化することは出来ないだろうと感じていた。
病み上がりの今、それは少々荷が重い。やってやれないことはないだろうが、かなりのダメージが残りそうだ。
「正直、今“あれ”を浄化するのは、ちょっときついです。それよりも、監視の目を誤魔化す護符とかお守りを作って各自に持ってもらうほうが、現実的だと思います」
「そうでしょうな。それでも、わたくしどもではこの重苦しい気配が何なのか、それすらわからなかったのですから、それを霊視出来ただけでもさすがだと思います」
法引の言葉に、結城も和海もうなずいた。
「本当に、力の違いを見せつけられるな。我々では、どうにもならなかった……」
「ほんとに、晃くんがいるのといないのとじゃ、安心感が全然違う。これじゃだめだってわかってるんだけど、どうしようもないわ……」
ひとまず状況がわかったところで、四人は川本家を訪れる。
今日は週末で、家族全員が家にいた。
まず出迎えたのは、雅人だった。他の家族は、とりあえず居間に全員いるという。
「早見、お前また少し細くなってないか? ほんとにお前って、すぐに痩せてなかなか元に戻らないんだな」
心配そうに声をかける雅人に、晃はどこか諦めたように笑った。
「今に始まったことじゃないから、慣れてる」
雅人に促されて家に上がった四人は、そのまま居間に向かった。
居間では、川本家の人々が全員集まっていたが、部屋にいたアカネが真っ先に飛んできて晃に飛びついた。そのすぐ後からは、笹丸が明らかに苦笑しているとわかる雰囲気を出しながら近づいてくると、晃の足元に陣取った。
晃は、自分の胸元で体を摺り寄せてくるアカネを右腕で優しく抱きながら、器用にその場にゆっくりと腰を下ろし、胡坐の形に座った。
一見不安定な姿勢に見えたが、晃自身が<念動>で体を支えていたのだと告げ、誰もが納得した。
そしてアカネの体をゆっくりと床に降ろすと、アカネは晃にぴったりと寄り添い、離れたくない、と言わんばかりの素振りをし、周囲の笑みを誘った。それを見ながら、結城や和海、法引も腰を下ろす。
そうして一段落した後、雅人を含めた川本家の五人を前に、晃は今回の重苦しい気配の正体を語り、各自がその存在感を誤魔化すお守りのようなものを持った方がいいと伝えた。
「すでに僕が作ったものを持っている万結花さんや、男性二人は、前に作ったお守りを僕が強化すれば、事足りると思います。問題は、そういうのを持っていないお母さんの彩弓さんと、妹の舞花さんですけど……」
一応二人も、今年の初詣の時に購入したという、有名寺社のお守りは持っていたが、さすがにそれに手を加えるのは躊躇われた。
「いくらなんでも、公式のお守りに僕が何かするのはちょっと……」
「そうですよねえ。これだって、結構有名どころのお守りだし、そこの神仏のご加護があるのに、それを無視する形になりますもんねえ……」
彩弓が、苦笑しながらももっともだとばかりにうなずいた。
「そういう事なら、わたくしが持ってきた護符ではどうでしょうか。これなら、早見さんがさらに力を込めても不都合はないでしょう」
そう言いながら、法引が木製の護符を鞄から取り出した。
掌に乗る大きさの長方形のそれは、すでに白木に墨で何かの言葉が書き付けられている。
「これはわたくしが、結界の補助にしようと作ってきたものですが、これを流用しても構わないと思います。早見さんの力なら、いくらでも上書きは出来るでしょうからな」
晃はそれを二つ受け取ると、その場で本性を現し、護符一つ一つに自分の気を込めていく。
その圧倒的な力に、その場の誰もが言葉もなくそれを見つめた。
新たに力が込め直された護符は、彩弓と舞花に手渡され、そのまま続いて万結花のお守りと、俊之や雅人のお守りにも力が込められ、それぞれに返されたところで、晃は普段の姿に戻り、大きく息を吐いた。
「これで、何とか誤魔化せると思います。ただ……」
晃が何かを言いかけ、考え込んだ。
「どうしたの、晃くん。まだ何か、気になることがあるの?」
和海が問いかけると、晃は浮かない表情で答えた。
「外の、大量の妖たちのことです。普通、見張るだけならあれほどの数は必要ない。圧力をかけるためだとしても、もう少し効率よくと言ったら変ですが、あんな形にする必要なんかないんです。それが、どうにも引っかかって……」
「そう言われれば、そうですな」
法引もうなずく。