17.見舞い
当の笹丸とアカネは、それぞれいつもの小さい姿に戻り、アカネは毛づくろいのために自分の体をなめ、笹丸は大きく一つあくびをすると、丸くなって休んでいる体勢になった。
この二体は高い知性を持つ妖だというのに、見ていると動物そのものの動作だ。見ている分には和むが、この二体がいなければ、どうなっていたかわからない。
「笹丸さん、アカネ、ありがとう。本当に助かりました」
「マジ、感謝します。ありがとうございました」
二人がそれぞれそう言って頭を下げると、笹丸は耳をピンと立てて片眼を開け、アカネは毛づくろいを中断して一声『にゃあ』と鳴いた。
晃なら、直接念話をかわすことが出来るのだが、二人にはそれだけの能力がない。それでも、なんとなくニュアンス的なものは感じられた。
『なんとかなってよかった』
そう言っているように思えたのだ。
勝手な思い込みかもしれないが、そう思う事にした。
そして、どちらからともなく『仮眠しよう』ということになり、再び毛布にくるまって、コタツを挟んで寝転がる。
すぐさま眠りに落ちた二人は、明るくなってから彩弓に起こされ、目を覚ます。
その時に未明の出来事を説明し、二人は一旦お暇することになった。
「わたしたちより、笹丸さんやアカネのほうがよっぽど頼りになります」
和海の言葉に、彩弓は何とも言えない顔をしていたが、それでも二人に対して否定的なことは言わなかった。
いまだ消耗のために顔色があまりよくない二人の姿に、悪戦苦闘ぶりをくみ取ったのだろう。
朝食も辞して、二人は川本家を出た。
「それじゃ、オレはうちに帰ります。おやじに詳しい経緯を報告しないと。おやじなら、笹丸さんから開いてくれれば念話が出来るし」
「そうね。和尚さんは出来たものね。わたしも、一旦帰るわ。所長にはメッセージは送ってあるけど、やはり報告しておかないといけないから、事務所にもいかないと」
その後、和海はタクシーを止めて帰宅の途に就き、昭憲は最寄り駅から電車に乗った。
しかし、二人の報告は、やはり多少の波紋を呼んだ。
特に、笹丸とアカネの介入によって『“黒い不定形のモノ”が苦しんでその場を去った』という事実は、やはり結城や法引を驚かせた。
そして、自分たちが今も、笹丸やアカネを通して晃に護られているのだ、と痛感した出来事だった。
もう一つ見逃せないのは、例の異様な黒いモノが徐々に人の形を取り始めていたということだ。完全な人型となった時、どうなるかは誰もわからない。
危険なモノだとはわかるのだが、どう危険なのか、最終的にどうなるのかがわからない。
それが不気味であり、不安が増すところだった。
晃なら、何らかの答えを出せる気がするし、いざとなれば祓い浄めることも出来るに違いない。
晃の抜けた穴が、今となっては大きすぎるものだと言わざるを得なかった。
そしてその日、結城は和海を伴って晃の見舞いにやってきた。
晃は、何とか起き上がれるようになっていたが、初期の肺炎状態が落ち着いたわけではなく、量は減ったが酸素吸入も続いていた。
しかも、いまだ微熱というには少し高めの熱が続いている。
見舞いに来た二人は、起き上がろうとする晃を押しとどめ、楽な姿勢で横たわるように言い聞かせたため、晃はそれに従った。
「これでも、短時間なら酸素マスクを外してベッドから離れることも出来るようになったんで、その分は楽ですよ」
晃はそう言ったが、やはりウイルス性の肺炎ということで、抗生物質が使えないのがなかなかすんなり回復しない要因らしい。
勘違いしている人は多いが、抗生物質は細菌性の病気には効くが、ウイルス性のものにはまず効かない。
風邪には効かないのだ。
よって晃も、対症療法で重症化しないように抑えながら、最終的には自己治癒力で治るのを待っている状態だった。
晃にとってよくない条件として、一時生命力や抵抗力といったものが大きく下がった時があり、そのために肺炎が治りにくい状態になってしまっていたのだ。
晃自身自覚があったため、今この状態は仕方がないことと受け入れていた。
ただ、川本家に現れた異様な妖に、自分が対処出来ないことが申し訳ないと思っていた。
そのことを口にすると、結城も和海も首を横に振る。
「早見くんは、夢の中で狙われた三人を救うために奮闘した。その結果がこれじゃないか。申し訳ないのはこちらの方だ。ほとんど役立たずだったからな」
「そうよ。わたしたちのほうが、何もしてないわよ」
言いながら、和海は晃の顔を覗き込んだ。
熱があるせいか、少し頬に赤みが差しており、目が多少腫れぼったく感じた。
「晃くん、絶対無理しちゃダメよ。あのへんな妖はわたしたちに任せて、あなたは早く体を治すこと。晃くんは、いつも無理するでしょ。本当に、今回ばかりはダメよ」
和海に言われ、晃はやむなくうなずいた。
それでも、結城のほうが一応は、ということで、晃に例の妖について何かわかること、思い当たることはないかと訊いてきた。
「こちらとしても、徒手空拳ではやはりどうしようもなくてな。気づいたことがあれば、教えて欲しいんだが。ああもちろん、わかる範囲でな」
二人とも、晃が遠隔透視を苦手としているのは知っていたため、何か気が付いたことがあれば御の字だという意識だった。
「……僕としても、アカネの視界を通して一応“視”ましたけど、じっくり“視る”ことは出来ていないので何とも……。何せ、はっきり“視える”ほど意識を繋げてしまうと、また消耗してしまうので……」
“視えた”範囲では、やはり結界の力を外側から削り落としてその力を吸収し、それで少しずつ変化をしていたことは間違いないだろう、と晃は答えた。
「あれは、相当厄介で危険な存在だと思います。……僕が対処出来なくて、本当にすみません……」
「だから、それは気にしなくていい。君は、やれるだけのことをやった結果、体調を崩した。それだけだ」
「そう。それについては、誰も何にも思ってないわよ。それに、笹丸さんが対処してくれたおかげで、ひとまず何とかなったから」
二人は、繰り返し“無理するな”と伝えると、病室を出て行った。
それをベッド上から見送りながら、晃は考え込んでいた。
どうにも嫌な予感がする。あの異様な妖は、絶対に何かを起こす。
それがわかっていながら、自分は現場に立つことが出来ない。
(仕方ないだろ。お前が思いのほか消耗しちまったんだから)
(あの時は、もうどうしようもなかったんだ。あの三人を夢の世界から切り離して目覚めさせないと、大変なことになったはずだからね)
(まあな。三人を優先させたのは、ある意味“護衛”としては当然だしな)
(うん。だからそれは後悔してない。そのあと、あんな厄介なのが出てくるとは思わなかったけど)
あれは、妖としてもイレギュラーな存在だった。
普通、結界の力を弱めると言っても、あくまでも攻撃して結界を破るという方向になるはずなのだ。
結界に込められた力を削り、それを取り込んで自分自身を少しずつ変化させていくなど、普通の妖は行うはずなどなかった。
一応、笹丸が術をかけたため、取り込むのをやめて去っていったが、それで諦めるとは到底思えない。
本当にまずい事態となったら、幽体離脱して駆けつけるというのも、現実味を帯びてきた。
それに、あれが本当に禍神が絡んでいるのなら、万結花本人には危害は加えないだろう。
彼女に怪我をさせたり死なせたりしたら、困るのは禍神の側なのだ。
ならばどうするか。
おそらくは、答えは『家族や知人を狙う』となるはずだ。そうして本人を追い詰め、いうことを聞かせようと画策すると考えたほうが自然だ。
やはりあの夢の中で、狙われていたのは万結花ではなかったのだろう。万結花は、母や妹が傷つけられるのを黙って見ているしかない状態に置かれたはずだ。
自分が介入してよかった。万結花の心を護ることが出来たのだから。
とにかく今は、自分の体を回復させるのが最優先。それでも間に合わなかったときには、幽体離脱をしてでも介入する。
そう腹をくくると、晃は目を閉じて体の力を抜いた。
ずっと発熱が続いている体は、やはり体力を消耗してしまう。少々体調が悪くても、食欲があまり落ちないタイプの者なら特に問題はないのだが、晃はほとんど食事が喉を通らなくなるタイプだ。
少し落ち着けば、食欲も戻るのだが、それを待っていると回復が遅れる。だから、点滴で栄養補給をすることになる。
自分自身に暗示をかけて、体中に点滴の栄養が巡るさまを思い浮かべてみる。
気休めかも知れないが、晃は一刻も早く回復したいと思うときには、いつもこうやって来た。
実際、そのたびに少し早まったような気がする。
良くも悪くも“入院慣れ”している晃だからこそ、自己暗示も馬鹿に出来ないと思っている。
異様な妖が現れて、今日で二日目……