14.奮闘
結城は苦笑しながら二人を送り出し、自宅に連絡を入れると、改めて自分の鞄の中から霊具である白木の短杖を取り出し、右手に持って馴染み具合を確認する。
手に持っているはずなのに、まるで重さを感じず、自分の腕が延長されたような錯覚さえ覚えた。
その傍らには、笹丸とアカネがいる。二体とも、静かに結城のほうを見ていた。
結城では、笹丸とさえ直接の意思の疎通は出来ない。それでも、結城の言葉でその意思を理解し、何かあった時には共に戦ってくれるはずだ。
そこへ、彩弓が声をかけた。
「よろしかったら、夕飯召し上がりませんか? 簡単なものしかありませんけど」
「よろしいのですか?」
「ええ。そのつもりで作ったので。スパゲッティですけどね」
結城が彩弓の後について、ダイニングキッチンに行くと、そこには銘々の皿に盛られたスパゲッティがあり、ミートソースがかかっていた。
「レトルトのミートソースを温めてかけただけなんですけどね。一応タバスコと粉チーズもありますから、お好みで。量は足りますか?」
「大丈夫です。いや、ほんとに恐縮です」
スパゲッティは、ミートソースをかける前に、オリーブオイルをかけて馴染ませてあるとかで、変にくっつくこともなく、なめらかにフォークで巻き取ることが出来た。
「夕飯までいただいてしまって、本当にすみません」
結城がまだ恐縮気味なのを見て、俊之が苦笑する。
「いや、そちらが誠実に対応していただいているので、こちらとしても出来ることはしようという気持ちなんですよ。特に、早見さんには……」
溜め息を吐いて口ごもる俊之に、結城も内心溜め息を吐いた。
「早見くんに関しては、私もつい頼りきりになってしまって、負担をかけていたと反省しているところなんです。確かに持っている力はあの通りですが、体は決して丈夫な方ではないのでね……」
まさか、初期とはいえ肺炎で入院することになるとは、全然考えていなかった。
皆が夕飯を食べている間に、笹丸には三個入りの稲荷寿司、アカネには一個包装のマドレーヌが出される。どれも、コンビニで買ってきたものだ。
容器の上蓋を開けたり、袋の中のプラスチックトレイを引き出したりして、それぞれが食べられるようにしてダイニングキッチンの床に置かれたそれを、二体はおいしそうに“食べ”た。
一応全員が食べ終わり、笹丸とアカネが“食べた”ものも下げられたが、それをどうするかで皆がしばし悩んだ。
見た目は変わらないが、人間が食べるとおいしくないのは確定しているものだ。
それでもこれを捨てるのは忍びない。目が不自由な万結花を除く五人がじゃんけんをして、一人だけ勝ち抜け。残りは勝った順に、稲荷寿司のどれかか、マドレーヌを選択し、食べるということになった。
結局舞花が勝ち抜け、彩弓がマドレーヌ、残りの男三人が稲荷寿司を手にし、一気に食べる。そして、誰もが押し黙る。
「……」
「……」
「……」
「……早見くんから聞いてはいたが、ほんとにおいしくないな……」
元はどんな味か知っているだけに、これだけ味が変わるというか味が無くなるものかと、呆れるを通り越して逆に感心した。
「……早見は、いつもこうやって食べてるんでしたっけ?」
思わず問いかける雅人に、結城はうなずく。
「そういうことだね。本人は『半分修行みたいなもの』と言ってたが、なるほど……」
その後すべてを片付け、結城は再び居間に戻る。笹丸やアカネもついてくる。
「笹丸さん、申し訳ないんだが、日中に仮眠したとはいえさすがに二日続けて徹夜はきついので、夜も更けてきたらちょっと休ませてもらいます。何かあったら、起こしてください」
結城が頼むと、笹丸もアカネもうなずいた。
実際、午後十一時を回ったところで、結城は毛布を貸してもらってくるまり、消してあるコタツに足先を突っ込んだ形で座り、壁に寄り掛かった態勢でひとまず眠りに入った。
霊具はすぐ手に取れように、手の届くところに置いてある。
それからしばらく時間が過ぎたが、結城はふと頭を叩かれたような気がして目が覚めた。
目覚めた瞬間、背筋に悪寒が走るほどの凶悪な気配が、窓のほうから感じられ、慌てて毛布から抜け出て霊具を手に取る。
窓のほうを見ると、すでにアカネは大型の洋犬ほどの大きさになって窓に向かって唸りを上げており、その傍らにはやはり大きく精悍な姿となった笹丸が窓のほうを見つめていた。
その窓の、いつの間にか開いていたカーテンの向こうのガラス越しに、夜の闇よりも黒々とした不定形に蠢く何かが庭の真ん中にいるのが“視え”た。
はっきりとした形を持たず、巨大なアメーバのようにも思えるその何かは、その身をくねらせるように窓に近づこうとし、弾かれたように離れる。
結界が効いている。それを確認して、いくらかホッとする結城だったが、その不定形の黒いものが纏う気配は、それが危険な存在であると警鐘を鳴らし続けるような感じがした。
あれに飲み込まれたら、おそらく無事では済まないだろう。
腕時計で時刻を確認すると、午前二時を少し回ったところだった。
まさしく『草木も眠る丑三つ時』というやつだ。
うねうねと動く黒いモノは、なおも窓に取り付こうとしては弾き返させるということを繰り返していたが、次第に弾かれて飛びのく距離が短くなっていく。
何かを感じたか、アカネがさらに大きく唸り声を上げ、毛を逆立てた。見た目の胴回りが、ひと回り以上大きくなる。
結城もまた、背中がゾクゾクとするような嫌な気配が、次第に強くなってくるのを感じた。
急いでスマホを取り出すと、法引に電話をかけた。
しばらく呼び出し音が鳴っていたが、やがて法引の声が聞こえた。
「……どうしました、結城さん」
明らかに起き抜けの少しぼんやりとした声だったが、結城が用件を告げる前に、急に声がはっきりしたものに変わる。
「……結城さん、かなりまずい事態のようですな。結界を一点突破しようとしているモノが居りますな」
「わかりますか」
「ええ。気配が感じられますよ。あれはかなりまずいモノですな」
まだ結界は持ちこたえてはいるが、今の調子でぶつかられ続けると、夜が明ける前に結界が破られる危険があるという。
「遠隔でどこまで出来るかわかりませんが、わたくしもお手伝いいたしましょう」
「本当に助かります。夜分遅くに叩き起こすことになって、申し訳ないんですが」
「いや、お構いなく。異変があったら必ず連絡しろと言ったのは、こちらですから」
法引の指示で、結城は窓の両側にある結界の基礎となっている護符に霊具を当て、気を込め直す。
結城だけではなく、法引も念を飛ばしてそれに加わった。
法引は、一度状況が把握出来れば電話を切っても大丈夫だと伝えてきて、結城は通話を終わらせる。
以前、妖に結界を破られた時、晃はことが収まった後に遠隔で一気に結界の修復までしたと聞いたが、結城の実力ではとてもそんなことは出来ない。現場にいる今の状況でも、結界が破られないように気を込めるのが精一杯だ。
気を込め直した直後、黒いモノがぶつかって弾かれる距離が、元に戻った。
それでも、何度もぶつかるのを繰り返しているうちに、また弾かれる距離が短くなる。結城が気を込め直し、また距離が長くなる。
それが何度繰り返されたか、結城自身よくわからない。
ただひたすら、結界が破られないようことだけを願いながら、ひたすら繰り返した。
そのうち、結城もまた動くのも億劫になるほどの倦怠感を覚えるようになってくる。
消耗してきて、限界が近くなる。
法引も念を飛ばして協力してくれているが、主に動いているのは結城なのだ。
時間の確認もしないまま、ひたすら奮闘しているうちに、次第に外が明るくなり始めた。
夜明けが近い。
と、夜が明けると悟ったのか、黒いモノは結界にぶつかるのをやめ、その姿がふいに見えなくなった。
それと同時に、ずっと感じ続けていた危険を感じるほどの気配もまた、嘘のように消え去った。
気が付くと、アカネも笹丸も小さい姿に戻っており、笹丸が結城に向かって大きくうなずいた。それはまるで、『よく頑張った』と言っているかのようだった。
それを確認した途端、結城はその場にへたり込む。
気が抜けたら、立っていられなくなったのだ。しかも全身から、冷や汗が噴き出していた。
それでも、何とかスマホを取り出すと、再度法引に連絡し、何とか無事に切り抜けられたことを報告し、礼を言った。
「……和尚さん、ありがとうございました……。私一人では……持たないところでした……」
「……いや、結城さんの奮闘がなければ……わたくしなどほんの手助けにすぎませんでした……。お疲れ様です……。休んでください……」
法引もまた、声が疲れている。
しかし、何とか一晩持ちこたえたが、このような調子がずっと続くのであれば、考えなくてはいけない。
アカネと笹丸は、万が一結界が破られた時のための最後の砦ではあるが、結界の内と外を自由に行き来出来れば、迎撃も出来るのはないか、と思う。
だが、そうするためには結界をいじるか、アカネや笹丸に特別な力を与えるしかないだろう。
そして、どちらにしてもおそらくは、晃の手を借りなくては出来ないのではないか。
いろいろ強化はしているが、結界の大元の力は晃が込めたものだ。だから、晃でないと根本的なところはいじれないはずなのだ。
「やはり、早見くんの抜けた穴は、そうそう埋められないな……」
結城は思わず溜め息を吐いた。