12.疾病
結局、その日の夕方になっても、晃は起き上がることが出来なかった。
とうとう法引が、松枝藤吾に連絡を取り、事情を話して様子を見に来てもらうことになった。
「すまない、無理を言って」
玄関で出迎えた法引が頭を下げると、松枝は微苦笑を浮かべながらかぶりを振る。
「いや、気にするな。こちらとしても、あの子がずっと気になっててね。では、診させてもらうよ」
松枝は玄関先で靴を脱ぎ、家に上がった。
法引に案内されるままに居間に入った松枝が見たものは、探偵事務所の二人と、川本家の一家五人全員が、晃の周囲を囲んで不安げな顔をしている姿だった。
さらには、白狐と化け猫も枕元にいる。
「……全員集合して、そんなに状態が悪いんですか?」
思わず問いかけた松枝に、結城が答える。
「横になってから半日以上経って、途中眠ったりもしているんですが、体が回復しないんですよ……」
霊能力の使い過ぎで消耗していたのなら、これだけ寝ていれば間違いなく回復する、という時間は過ぎているのだが、一向に良くならないのだ、という。
「力を使うときに、風邪で体調を崩しているのをおして、無理をしたらしい、とは聞いたんだが……。ちょっと診てみますから」
松枝は、周囲を囲む者たちが位置をずらして空けたところに座り、鞄から診察用の道具を取り出した。
晃は明らかに血色が悪く、松枝の声が聞こえたか、今まで閉じていた目を開けたのだが、その眼差しも力がなかった。
「ちょっと冷たいだろうけど、我慢して」
松枝は布団をめくると、晃のパジャマをはだけ、肌着として着ているTシャツの裾をズボンから引き出し、そこから聴診器を差し込んで胸に当てる。
少しずつ場所をずらしながら、何度か聴診器を当て、それから本人にも声をかけ、横向きになってもらって今度は背中から音を聞いた。
次に熱を測ると、相変わらず三十五度しかない。
裾を整え、パジャマのボタンを留め直すと、今度は小さな機械を取り出し、それを指先に挟んだ。
「……血中酸素飽和度は、九十四パーセントか。正常値より少し低いな……」
松枝はさらに、晃の口の中を見たり、首筋を触ったりしていたが、やがてぽつりと言った。
「……ちゃんと検査をしないとはっきりとは言えないが、あまりいい状態ではないね。もしかしたら、風邪からくる合併症が出ている可能性がある」
「松枝、早見さんは……」
「うちのクリニックに連れて行きたいところだね。ちょっと嫌な予感がするから」
これは、医者としての勘だが、と前置きして、松枝はさらに続ける。
「本来なら、まだ熱があってもおかしくないはずの体調で、平熱より体温が低くなっている。これは、ウイルスがさらに全身に回っている可能性がある。どこが病巣かは、検査してみないとわからないが」
元々晃は、呼吸器系にも障碍がある。肺活量が、同年代の三分の二しかないというのが、こういう時には影響してくる可能性がある。
さらに言えば、体温が下がっているということは、極端な消耗で生命活動そのものが低下しているということであり、それがさらに悪影響を及ぼす危険性もあるのだ。
ついに松枝の判断で、晃は松枝のクリニックに運ばれることになった。
晃はいまだに、誰かに肩を貸してもらわないと、立って歩くこともままならない状態だった。
結城が肩を貸し、自分が付き添うと言ってきかなかった雅人に支えられ、晃はゆっくりと玄関に向かう。
その途中で振り返ると、晃はついてこようとしているアカネに視線を向けた。
(……アカネ、お前はここに残って、この家の人たちを守ってくれ。僕が、戻ってくるまで……)
アカネは一瞬切なそうな目を向けたが、すぐに気を取り直したか、晃をじっと見てうなずいた。
(わかった。わたい、守る。あるじ様、戻ってくるまで)
(……ありがとう。笹丸さんと一緒に、待っていてくれ。必ず……迎えに来るから……)
そして、一足先に車に戻って、家のすぐ前に車を回してきた松枝が、玄関ドアを開けて迎えに来ると、結城と雅人が二人がかりで晃の体を抱え、車まで運んで後部座席に寝かせるように乗せた。結城はそのまま晃を支えるように後部座先に陣取る。
雅人は助手席に座り、松枝が運転席に座ってシートベルトを締めると、車は発進した。
住宅地の道路からその辺りの主道路に出て、それからさらに幹線道路に出て少し走り、再び住宅地に面した道路を少し走って、クリニックに到着した。
その間、二十分弱。
クリニックの入り口はすぐに開き、そこから文子が顔を出す。
それを見て、再度結城と雅人が晃を運び、そのまま検査室に運び込んだ。
ほどなく松枝もやってきて、二人に手伝ってもらってレントゲンを撮ったり、採血したりと一通りのことをして、ひとまず検査室に置かれている検査用のベッドに晃を寝かせると、文子がその体に毛布を掛けた。
大まかな検査結果が出るまでの間、しばらく静かな時間が過ぎたが、やがて松枝が姿を現した。
「まだごく初期ですが、肺炎の兆候が見られます。このまま入院したほうがいい」
松枝の言葉に、結城と雅人は一瞬固まった。
「……肺炎、ですか」
顔をこわばらせながら、結城が尋ねる。
「まだ、ごく初期ですがね。ただ、悪化したら危険な状態になる。今のうちに入院して、治療をしましょうということですよ」
より悪化する前に、それを食い止め、治療をするための入院。
ただ、どのくらいの入院になるか、誰にもわからない。
結城と雅人は、なぜこういう状態になったのか、詳しく説明した。
それを聞いた松枝は、半ば呆れるしかなかった。
「……それでは、夢魔に対抗するために他の人の夢に入って、そこで夢魔と戦って、崩れた夢から人を脱出させるために、自分は消耗し尽くして動けなくなった、と」
やっていることは規格外そのものだが、危ういとしか言いようがない。
松枝は、二人には言っていなかったが、生命活動そのものの低下イコール免疫力や抵抗力の低下であるため、急激に重症化する可能性さえあると踏んでいた。
だからこその入院である。最悪の事態を防ぐための。
ほどなくして、文子が運んできたストレッチャーに晃の体を移し替えると、外来の奥にある専用エレベーターで二階の病室に行き、そこの一室のベッドにさらに乗せ替え、毛布をかける。
「これから、酸素の準備をしますから、その間に入院手続をしてきてください」
晃を乗せ換える手伝いをするために付き添ってきた結城と雅人に、文子は手続きを促した。
二人は病室を出て一階に降りると、結城が松枝を相手に入院手続をする。普通は親族がするものだが、事情がわかっているので、結城を代理とみなしたのだ。前回の入院も、それで手続きを済ませている。
「川本くん、家に連絡してほしい。きっと、どうなったのかみんな心配して、連絡を待っているはずだから」
結城にそう言われ、雅人は一旦建物の外に出て、スマホで母親に電話をした。
「もしもし、かぁちゃんか。雅人だよ」
「雅人かい。それで、早見さんの様子はどうなの?」
「うん、入院だって。初期の肺炎なんだってさ」
「ええっ! 肺炎!?」
「言っとくけど、初期だよ。悪くならないように、治療をするために入院するんだから」
雅人は、電話の向こうで焦っている様子の彩弓に言い聞かせるように、重症なわけではないこと、ただ、どのくらいの入院になるかはわからないことなどを告げ、電話を切った。
内心、厄介なことになったなと思う。一番の主戦力が抜けたのだ。
しかも、相手がいつ次の手を打ってくるかわからない状況で、本人の入院期間がどのくらいか見当がつかないのだから。
そんなに長期にはならないと思いたいが、それはあくまでの晃の病状次第なのだ。
(早見、お前やっちまったなあ。まあ、確かに止めるに止められない状態だったけどさ、あれほど無理するなって言ったのに……)
しかし、晃という人物は、わかっていても無理をする質なのだ、とつくづく思い知った。
本当に、あいつは“馬鹿”だ。本当に……
雅人は大きく溜め息を吐くと、再び建物の中に戻った。