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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第八話 迫りくるモノ
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11.離脱

 四つ足で飛ぶように走りながら、気配を探り続けると、かろうじてお守りの力が残っているのが感じられた。だが、そう持つとは思えない。

 さらに加速すると、洞窟の先に鬼の後姿が見え、その向こうに三人の姿も確認出来た。

 どうやら鬼は、三人を追い詰めたと思っているようだ。

 『もはや、守りの力もだいぶなくなったなあ。そろそろ終いだな』

 (アカネ! あいつを押さえ込め!)

 (わかった!)

 アカネが宙を飛ぶようにさらにスピードを上げ、そのまま鬼に覆いかぶさるように飛びかかった。

 『ぬおっ! 化け猫め、もう抜け出てきたのか!?』

 咄嗟にかわそうとする鬼に対し、アカネは鉤爪を剥き出しにして空中で姿勢を変え、さらに追いすがる。

 鬼の鉤爪とアカネの鉤爪が激しく交錯した。

 鬼の注意が完全にアカネに向いたところで、鬼の背後を突くように白狐姿の晃がすり抜けざまに遼の力を呼び込み、魂喰らいの力を持つ左手を相手の背中に叩きつけた。

 声にならない悲鳴。

 一瞬にして、鬼の気配が弱々しく薄くなり、晃の体に異質な力が流れ込む。

 晃は、鬼と女性三人の間に割り込むと、素早く身構えた。

 見る間に、アカネが鬼を圧倒し、洞窟の床に押さえつける。

 『……馬鹿な……。今……何をした……?』

 「話す必要はない。これ以上、この人たちに関わらせるわけにはいかない。滅させてもらう」

 鬼は、晃のことを今にも射殺(いころ)しそうな眼で睨んだが、不意にその顔にいやな笑みを浮かべた。

 『……このオレを、滅するか……。だがな、オレは夢を操れるんだ、それを忘れるなよ……』

 その態度に、何か言いようのないぞっとするようなものを感じた晃だが、禍根を断つためにも、ここで すべてを終わらせなければならない。

 晃はその左腕を伸ばし、鬼の体に思い切り振り下ろす。

 左手が触れたその瞬間、鬼の体はたちまちその存在感そのものが薄くなり、消えていく。それと同時に、晃の中に鬼の残りの異質な力が流れ込んでくる。

 鬼が消え去ったところで、晃はひとまず大きく息を吐くが、急に周囲の様子がおかしくなってくるのを感じた。

 洞窟だったものがどんどん歪み、どす黒い内臓の中のようなものに変わっていく。

 「いけない! この洞窟そのものが、やつの創り出した術による夢だったんだ! 早く脱出しないと、飲み込まれる!」

 晃の叫びに、彩弓は二人の娘を抱きしめるが、三人とも周囲の変化が急すぎて、足がすくんでいるようだった。

 晃は三人の元に駆け寄ると、三人に向かって全力で仮初の結界を創り出す。

 「念じてください! これはただの夢だと! 目覚めることが出来るんだと!!」

 晃に言われ、三人は必死にそれを念じた。

 三人の“魂の糸”が“視”える。それぞれの糸を手繰り、意識が体に無事に戻るよう、晃も懸命に念じた。

 周囲のぞわぞわとうごめくまるで生きているかのような壁が、急速に縮んで包み込もうとしてくる。

 周囲の壁がすべてを飲み込み、悪夢の残滓が消える前に、三人は急に何か背中を引っ張られるような感じがしたかと思うと、それぞれが寝ていた布団から飛び起きた。

 前夜、結界で囲んでもらうために、わざと客用の物まで引っ張り出して、三人並んで布団で寝ていたのだが、全員が同時に目覚め、飛び起きたのだ。

 傍らに座り、寝ずの番をしていた和海が、何事かと驚き、声をかける。

 「目が覚めたんですね。まさか三人同時に目覚めるとは思いませんでしたけど」

 彩弓は、傍らの娘たちを見る。

 万結花も舞花も、顔がどこかこわばっていた。

 カーテンの向こうの様子を見ると、まだ暗い。

 「……今、何時ですか?」

 自身もどこかこわばった表情のまま、彩弓が和海に尋ねる。

 「え、まだ午前五時を少し回ったくらいですよ」

 スマホで現在時刻を確認した和海が、落ち着かせようとゆったりとした口調で答えた。

 「……晃さんは、大丈夫ですか?」

 少し切羽詰まったような口調で、万結花がさらに尋ねる。

 「……? 晃くんが、どうかしたんですか?」

 三人は顔を見合わせ、夢の中での出来事を話した。最後に崩れていく夢の中で、自分たちを目覚めさせるために、念を込めていたのを見たのが最後であることも。

 和海の顔色が変わった。

 「晃くん! あの体調で、夢の中に入るなんて!」

 和海は慌てて立ち上がると、部屋の外で待機している結城と法引に声をかけた。


     * * * * *


 晃が横たわる布団の周囲には、すでに結城、和海、法引のほか、夢の中で晃に助けられた三人がパジャマ姿のまま集まっていた。

 晃は一見、仰向けで熟睡しているように見える。

 だが、その顔色はどこか青ざめ、そっと首筋に触れてみると、あまり熱を感じない。

 「早見くん! 目を覚ませ!」

 耳元で結城が大声を出すが、その体はピクリとも反応しない。

 体をゆすろうとするのを、法引が止める。

 「……まずいですな。もしかしたら、その崩れた悪夢に巻き込まれて、幽体が体に戻れない状態になってしまっているのかもしれません。この状態で無理に体だけ起こそうとしても、目覚めないどころか、かえって事態を悪化させかねません」

 法引の表情が厳しい。

 「そんな! 早見さんが助けてくれなかったら、私たち三人、無事じゃすまなかったんです。何とかなりませんか?」

 彩弓が、困惑しきった状態で、法引に訴える。だが、法引とて、そう簡単に夢の世界に入り、晃を探してくるというわけにもいかない。

 ある程度表層近いところなら、法引自身精神を潜行させたことはある。しかし、集合的無意識域まで意識を潜らせたことなど、ないのだ。

 不安げな女性陣三人を前に、霊能者である三人も、どうすればいいのか咄嗟に思いつかない。

 それから十五分ほどの時間が過ぎたとき、突然布団の中がかすかに光っていることに和海が気づき、布団を少しめくると、晃の胸元の二つの石が、ひとつは白く、ひとつは橙色に光っている。

 その光が一瞬強くなったかと思うと、光が石から分離し、白い光は笹丸に、橙色の光はアカネに、それぞれ姿を変え、晃の枕元に降り立つ。

 笹丸はいつもの柴犬サイズで、アカネも普通の猫サイズだ。

 「笹丸さん! アカネ!」

 周囲が口々に叫んだその時、晃が身じろぎをする。

 そして、ゆっくりと目を開けた。

 「早見さん! 自力で戻ってこられたのですな」

 晃は、まだどこか視線が定まり切らない状態のまま、かすれた声で答える。

 「……いいえ……自力じゃ……ありません……。アカネが……」

 そこへ、法引に向かって念話の回路(チャンネル)を開いた笹丸が、話を始める。

 (法引殿。今、晃殿は少々危うい状態での。夢の世界が崩れるときに、三人を先に脱出させることに集中しすぎて、力を使いすぎてしもうた。それで、崩れた夢に巻き込まれ、そのままそなたらの言う『集合的無意識域』というところに閉じ込められかけたのだ)

 (そ、それで、どうやって脱出を?)

 (アカネの手柄であるの。アカネは元々、自分で異界を構築してその中に隠れ住むような真似が出来る存在であった。その力の応用で、崩れた悪夢の残滓を、晃殿を口に咥えて潜り抜け、そのまま何とか抜け出してきたのだ)

 晃は力の使い過ぎで、すでに動ける状態ではなかったといい、アカネが甘噛みして咥えて運ばなければ、脱出は難しかったという。

 (それで、夢に入る前から、体のほうは体調を崩していた。そこへ戻った幽体も、消耗してしまっておるでの、体調が急激に悪化するのではと危惧しておる)

 実際晃は、顔色が青ざめたままで、自力で起き上がれない状態だとすぐに推測出来た。

 「……ちょっと、熱を測ってみては?」

 彩弓はそう言うと、さっそく枕もとの体温計を手にした。

 結城がそれを受け取り、パジャマの一番上のボタンを外し、脇の下に体温計を差し込んだ。

 検温した結果は、三十五度ちょうど。平熱より低い。

 それを見た法引が、顔をしかめる。

 「……風邪などを引いて熱を出すということは、病原体のせいではないのです。体のほうが病原体と戦うため、体温を上げるのだそうです。熱がある状態のほうが、病原体を攻撃する免疫細胞の活動が活発化するのだそうで」

 「つまり、今これだけ体温が低くなっているということは……?」

 和海が少しこわばった表情で尋ねる。

 「おそらく、熱を出すことが出来ないほど、心身が消耗しているということですな」

 「あまりいい兆候じゃないな……」

 結城が、晃のパジャマのボタンを留め、布団をかけ直しながら、唸る。

 「……ごめんなさい。また、無理させてしまった……」

 万結花が、心配そうにそっと手を伸ばすと、晃に掛けられている布団の上から、まるで体をさするように手を動かした。

 「……謝らないで……。僕は……自分の意志でそうした……だけ……」

 ぼんやりとした視界に、切なげに自分のほうに顔を向けている万結花の姿が見える。

 この時ばかりは、だるくて動けないのが幸いだと晃は思った。

 もし動けたら、起き上がって彼女を抱きしめたいという衝動を抑えることが、難しかっただろう。実際にそうしてしまえば、すべてが終わってしまう。

 今の状態は、体は回復などしておらず、幽体の消耗がかなりひどかったせいで生命活動そのものが低い状態に陥っているのだ、ということが自分でもわかっていた。

 本当なら、まだ熱があってもおかしくない身体状況で、熱も出せないというのはかなりまずい。

 「ねえ、お医者さん呼んだ方がいいんじゃないの?」

 泣きそうな顔になっている舞花が、母親に訴える。

 「とはいってもね、こんな朝早くじゃ、どちらにしろ救急病院ぐらいしか受け付けてくれないと思うし……」

 彩弓が舞花にそう答えると、舞花は『救急車を呼ぶ』と言い出した。

 「救急車なら、間違いなく病院に連れて行ってくれるし、病院でもちゃんと手当てしてくれるはずよ」

 これには、晃自身が救急車を呼ぶことを断った。

 「……待ってください……。もう少し……休めば落ち着くと……思うので……」

 何とか、このまま持ちこたえれば落ち着くはずだと、自分にも周囲にも言い聞かせるようにつぶやく。

 「……このまま……寝ていれば……落ち着いてくるんじゃ……ないかと思うんです……」

 法引も、厳しい表情を崩さないままであったが、ひとまず様子を見ることに賛成した。

 「とにかく、もう少しだけ様子を見ましょう。体を冷やさないように保温して、体力を温存することに努めましょう。ただし、必ず誰かがそばにいて、容体がおかしくなったらすぐに知らせることが出来るようにしておかなくてはなりませんな」

 そこへ、今しがた目覚めたらしい雅人が、中の様子を見るかのように顔を出した。その場の雰囲気から、あまりよくない事態だと気づいてバタバタと中に入ってくる。

 「もしかして、早見に何か……?」

 「ああ、お兄ちゃん! 早見さんが……夢の中で助けてくれたんだけど、戻ったらすっかり動けなくなっちゃってて……」

 舞花の言葉に、雅人はやはり、という表情になった。

 急いで枕元に近づくと、晃の青白い顔を覗き込みながら溜め息を吐いた。

 「早見、三人を守ってくれたことはありがたいと思うけど、あまり無茶するんじゃねえよ……。お前がぼろぼろになっちまうだろ」

 晃がこのまま無理を重ねて、そのうち本当に体を壊してしまうのではないか。

 そんな思いが、この場にいる者全員の胸をよぎる。

 内に秘めた力は“人外”でも、体は違うのだ。

 「ひとまず私が付き添う。和尚さんや小田切くんは、仮眠でも」

 結城が付き添いに名乗り出ると、彩弓が首を横に振る。

 「いいえ、私が付き添いますよ。今、着替えてきますから。結城さんたちは、休んでください。寝ずの番だったんでしょう?」

 「いや、大丈夫です。交代で休めばいいだけですから」

 結城は申し出を丁重に断ると、万結花や舞花にも、身支度を整えてくるように勧めた。

 彩弓も万結花も、舞花も、心苦しそうにしていたが、やがて仕方がないと思ったのか、着替えるためにか、部屋を出て行った。

 しかし、雅人は起き抜けのパジャマ姿のまま、その場に残る。

 「……今だから言います。早見は、『体調がどうだろうと夢に入る』と言ってました。だから、予定通りの行動だったんだと思います。おれも、止める気にはなりませんでした……」

 止めたところで無駄だろうとわかっていたから、と雅人は溜め息を吐く。

 それを聞き、結城たち三人も溜め息を吐いた。

 「……わたくしたちの力不足ですな。夢に介入し、夢の中にしか姿を現さぬ妖に、現実世界で結界を張ったところで、止めきれるものではありませんからな……」

 法引が、頭を抱えた。

 「確かに、多少でも効果があれば儲けもの、という感じで行ったものだし……。やはり我々では、早見くんに頼らざるを得ないというわけですか……」

 結城も、微かに悔しさをにじませた表情を浮かべた。

 「……でも、わたしたちでも、何か出来ることがあると思うんです。このまま晃くん一人にすべてを押し付けていたら、晃くんの負担が大きすぎますよ……」

 とにかく、結城が晃に付き添っているうちに、法引と和海は仮眠を取ることにし、ファンヒーターを改めてつけると、和海が万結花の部屋にあった毛布や掛け布団を持ってきて、法引とともに居間の隅で横になる。

 それを見て、結城も雅人に声をかけた。

 「川本くん、君も早く着替えてきたほうがいいよ。早見くんのことは、私がちゃんと様子を見ているから」

 「……そうですね。とにかく顔を洗って、着替えてきます……」

 雅人も部屋を出ていき、後には蒼白の顔で布団に寝ている晃と、傍らにいる結城だけになった。

 正確には、法引や和海も同じ部屋の中にいるが、今二人のほうからは、微かな寝息が聞こえ始めていた。

 やはり疲労と睡眠不足で、二人ともすぐに寝入ってしまったのだろう。

 そして晃はというと、半ば寝ているような、かろうじて目覚めているような、ぼんやりとした様子で、半開きの眼はどこにも焦点が合っていない。

 「……早見くん、何とか大ごとにならないことを祈ってるぞ……」


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