08.病床
どうやら今夜は、女性三人は万結花の部屋にまとまって休んでもらい、三人の周囲を結界で囲んで魔性のものが近づけないようにし、さらに部屋の開口部、窓やドアの位置に護符を張り、封じる。
そうして、和海に部屋の中にいてもらい、結城と法引は部屋の外で守りを固めて寝ずの番をすることに決まったようだ。
ただ、それで守れるかと言ったら、どうだろうか。
夢は、識域下の世界につながるものである。それは、人類の集合的無意識のそれにつながっていると言われている。
だからこそ、『他人の夢に入る』などという無茶が通るのだ。
そういった夢の世界を自由に行き来する存在である“夢魔”を、現実世界の結界で止められるかといったら、かなり難しいと言わざるを得ないのだ。
しかし、今の晃が熱のために身動きが取れないのも事実だった。
結城や法引とて、難しいのは承知のうえで、それでも自分たちの出来る限りのことをやろうとしている。
二人は晃の様子を改めて確認し、これはダメだと思ったのだろう、互いにうなずき合い、準備のためか、部屋を出て行った。
何とか夜までに熱が下がってくれれば、間に合う。晃はそう思うのだが、コタツの熱が体に伝わってくる状態であるのも関わらず、いまだに背筋が時折ぞくぞくとするのは、あまり良い兆候とは言えないだろう。
やがて昼食の時間になったが、様子をうかがいに来てくれた彩弓に対しても、晃は首を横に振る。
「……すみません。お昼は……いらないです……」
「でも、薬を飲むためにも、何かおなかに入れないとだめよ」
「……食欲……なくて……」
彩弓は困ったような顔をしていたが、いったん部屋を出ると、やがて湯気の立つマグカップと水の入ったコップ、薬の一包が乗ったお盆を持って戻ってきた。
「インスタントだけど、ポタージュスープよ。何かおなかに入ってた方がいいでしょ」
「……ありがとうございます」
熱でふらつく体をなんとか起こし、晃はお盆のマグカップを手に取ると、息を吹きかけて冷ましながら少しずつ飲んだ。熱いくらいの飲み物が胃を満たすと、体の中から暖かくなる。
ポタージュの滑らかな舌触りとかすかなポテトの甘みを味わいながら飲み干すと、彩弓が薬の封を切ってくれた。
それを受け取り、口に入れて水で一気に飲み込む。
その後、再びコタツにもぐりこんだ。それを確認して、彩弓が部屋を出る。
出来れば、汗でも一気にかければ熱も下がってくるのだが、あいにく着替えを持ってきていない。急に泊まることになったのだから、当たり前だ。
どうしようかと思っていたら、雅人が顔を出した。
「お前、いきなり泊まることになったから、着替えも持ってきてないだろ。そこのコンビニで、最低限の奴、買ってきてやったからな」
雅人が、コンビニの袋に入ったままのトランクスと丸首Tシャツを目の前にポンと置いた。
「……悪い。ほんとに……何もかも、世話かけて……」
「何言ってんだよ。元はと言えば、巻き込んだのはおれたち家族のほうだ。それにお前……」
雅人はいったん言葉を切り、真顔になってこう言った。
「お前、たとえ熱が下がらなくても、夢に入る気だろう?」
「……わかるか」
晃も真顔になって答えた。
「わかるさ。そりゃ、所長の結城さんも、西崎さんも、一生懸命頑張ってくれてるのはわかる。でも、おれだってなんかわかるんだ。あの二人のやり方じゃ、守り切れないって」
これはもはや、“兄”としての直感だろう。晃たちが来るまで、たった一人で、必死に妹の万結花を悪霊や物の怪から護ってきたのだ。そういう意味での直感が、働いてもおかしくはなかった。
「……とにかく、薬は飲んだし……もう少し休んで、熱が下がらないか……様子を見てみる……」
「ああ。だけど、無理するなよ。いくらお前が超常の力を使えるっていったって、風邪ひいて寝込んだその直後じゃ、体のほうがガタガタだろ?」
雅人の言葉にうなずくと、晃は目を閉じる。
そして再びうとうとと眠りに入り、目が覚めたときには少し体が汗ばんでいた。
部屋に誰もおらず、部屋の近くにおそらく誰もいないだろうと思われたので、のろのろと起き上がり、雅人が買ってきてくれた肌着を出来る限り手早く着替え、自分が着ていたものはコンビニ袋に突っ込んで袋を閉じ、自分のバッグに押し込んだ。
ガラケーで時刻を確認すると、すでに夕方の四時近くになっており、晃はそのまま、体の妙な熱さとだるさをこらえて何とか完全に立ち上がると、皆がいるだろうダイニングキッチンへと向かった。
ダイニングキッチンでは、結城と法引、そして、先程やってきたばかりの和海、さらに当事者の女性陣三人を含めた川本家全員が集まっていた。
そこへ晃が姿を現すと、出入り口近くにいた結城が、慌てて声をかけた。
「早見くん! 大丈夫なのか?! まだ顔色がよくないぞ」
「……すみません。でも、少しは気分がよくなったので」
直後に雅人が体温計片手に飛んできて、近くの椅子を引っ張り出して晃を座らせると、フリースのジッパーを少し下ろし、シャツのボタンを二つ三つ開けて体温計を脇の下に突っ込んだ。
「ほんとによくなったかは、熱を測ってからだ。なんだか怪しいからな」
測った結果は、三十七度二分。一時よりは下がったとはいえ、平熱とはとても言えない。
「全然下がり切ってないじゃんかよ。寝てろよ!」
雅人の言葉に、和海が反応した。
「そうよ、熱がまだあるのに、無理して動いていたら、また熱が上がるわよ。寝ていなさいよ」
「そうだぞ、早見くん。ここは私たちに任せて、寝ていなさい」
結城は晃の腕を取って立たせると、肩を貸すように支えながら居間に取って返し、晃を再びコタツのところに寝かせ。毛布とコタツ布団を体に掛けた。
「とにかく寝てなさい。今、水を持ってきてあげるから。君は病人なんだぞ」
そして、結城の持ってきた水を飲んで、晃はまたも毛布にくるまることになる。
さらに、今度こそ雅人の手で布団が持ち込まれ、彩弓が俊之のお古だというパジャマを持ってきた。
コタツの脇に布団が敷かれ、コタツが消される代わりに湯たんぽが布団に入れられた。
いつでも測れるように、ガラケーとともに体温計も枕元に置かれた。
「さ、このパジャマ、うちの人のお古なんだけど、そんな恰好じゃゆっくり出来ないでしょ。着替えて、休んでね。もう一泊していいから」
彩弓はそう言うと、居間を出て行った。
晃は恐縮していたのだが、“今更だ”と雅人に毛布から引っ張り出され、パジャマに着替える。
その際に、さすがにつけっぱなしで装着箇所に鈍痛が出ていた義手を外した。
初めて義手を外した状態の生の晃の体を見た雅人は、体に残る傷痕と左腕の痕跡に、さすがに一瞬絶句する。
「……それが、例の事故の傷痕……」
「……あまり、人に見せるもんじゃないけど……。でも、もうこの体が当たり前になってきているんだ」
「……そうか」
雅人は気持ちを切り替えるように、両手で自分の顔を軽くはたくと、晃が今脱いだ服をまとめ始める。
「かぁちゃんが、今のうちに着ていた服は洗っといて上げるって言ってたから、持ってくぞ。肌着も替えてるんなら、一緒に持ってくから」
「え、そこまでしてもらわなくても……」
晃が戸惑うと、雅人は軽く息を吐くと、改めて晃の顔を見る。
「お前な、そもそもお前が体調崩したのも、夢のことでこの寒い中、徹夜で様子を見続けてたからだろ? それに……」
一旦言葉を切り、雅人は真顔で晃を見つめる。
「体調はどうあれ、『夢に入る』覚悟をしているやつに、このくらいのこと、してやったって罰は当たらないだろうが」
最後に雅人は、とにかく寝てろと晃を布団に押し込むと、晃の着ていたものを全部抱えて居間を出て行った。
そして向こうでは、おそらく作戦会議が始まるだろう。
方針としては、午前中にざっとこの部屋で結城と法引で話していたやり方で、今夜をなんとか乗り切れないか、というところだろうか。
だが、すでに雅人が看破していたように、夢からの侵入を外の世界の結界で防ぐのは難しい。
ならば、熱があろうとなかろうと、自分がやるしかない。そのためには、少しでも体の調子を整えることだ。