07.罹患
晃は、緊急で関係者には連絡し、来られる人たちには来てもらうからと言った後で、さらに続ける。
「今の話で重要なのは、内容がわかったのは万結花さんだけだったけど、唸り声自体は全員聞いているということだよ。例の言葉、『その魂、もらい受ける』だけど、もしかしたら対象は万結花さんじゃないかもしれない」
三人とも唸り声自体は聞いているのだ。ならば、唸り声の主が魂を奪う相手として狙うのは、万結花ではないかもしれない。万結花が一番能力が高いため、一番はっきり言葉を聞き取れたに過ぎないかもしれないのだ。
しかも相手は『あのお方』と言っている。これはおそらく、“禍神”のことだと思って間違いない。
「……これは、いよいよ僕も覚悟を決めなくてはならないようですね」
「覚悟を決めるって、どういうこと?」
不安げに、舞花が聞き返す。
「僕が、自分の意識を皆さんの夢の中に飛ばすということです。ただし、うまく夢に入り込めなかったり、逆に夢から離脱出来なかったら、とんでもないことになりますけど」
そこへ、洗い物を終えた俊之がやってきた。
「さっきから、嫌に真剣な顔で何を話しているんだ?」
それには彩弓が、今までのことを説明する。すると、俊之の顔もこわばるのがわかった。
『夢の中に入り込んで対処する』
いうのは簡単だが、やるのはそうやすやすと出来ることではない。
晃は早速、事の概略を記したメールを結城たちと法引に送り、もし来られるようなら、川本家に来て、手助けをしてほしい旨も付け加えた。
そうしているうちに、晃はなんだか背筋にまた少し寒気が走った気がした。
(あれ、これ……まずいかも……)
(お前な、マジで風邪ひいたんじゃないか? お前が風邪ひくと、鼻にも喉にもあまり症状出ないで、いきなり熱が出ることがよくあるからな。今回もそれっぽい気がするが)
(ちょっと待ってほしいなあ。これから、やることいろいろあるのに……)
(お前なあ。自分で、あまり丈夫な方じゃないこと、自覚してるだろう? もう少し気を付けろ。って言っても、もう遅いか……)
とにかく、暖かくして体力を温存し、それと雅人か誰かに頼んで風邪薬をもらおう。
どこまで誤魔化せるかはその時の調子によるが、今夜は否が応でも夢に入り込まなくてはならない。
それが出来るのは自分だけだ。
まあ、自分が導けば、法引なら出来るかもしれないが、万が一相手が強力な存在だった時に、対処が出来ない。安全を考えると、人任せになど、絶対に出来なかった。
晃は、居間に移ってコタツを付けると、ついてきた雅人に毛布を持ってきてくれるよう頼むと、いかにもついでのように風邪薬も頼んだ。念のための用心くらいの感じで。
だが、雅人は誤魔化されなかった。
「お前、ほんとに風邪ひいたんじゃないだろうな。朝飯食べた割には、顔色だってあんまりよくないし。そういや、飯だってそんなに食べてなかったな」
晃は溜め息を吐くと、正直なところを打ち明けた。
「……実は、時々背中に寒気が走るんだ。もしかしたら、じきに熱が出るかもしれない。でも、夢に出てきた奴が“明日には”といったからには、その日に当たる今夜から明日の未明にかけて、必ずそいつは夢の中で襲ってくる。それを阻止しなくてはならないんだ」
自分が体調を崩そうと、相手は待ってくれない。
ならば、薬を飲んで暖かくして、少しでも体調悪化を最小限に食い止めるしかないのだ、と。
雅人が唇を噛んだ。
「……お前ばかりに、負担かけちまってるよな。風邪で寝込むようなことになっても、結局なんとか出来るのはお前だけなんだものな……。無理させて、悪い……」
雅人は、普段使っていないという客用の毛布と、風邪薬の一包と常温の水を次々と晃の元に持ってきてくれた。
水で顆粒状の風邪薬を飲み、毛布にくるまってコタツにもぐりこむ晃に、雅人はさらにコタツの上掛け布団をかけながら言った。
「熱が上がらないといいけどな。ほんとに寝込むことになったら、能力使うのもきついだろ?」
「……それは……もちろんそうだね……」
熱に浮かされた状態で力を使おうとするなら、感度も精度も普段より格段に落ちるのは間違いない。
ただ、一度夢の中へ幽体が入ってしまえば、何とかなると言えば何とかなる。肉体的な不調を直接引き継ぐわけではないからだ。
その代わり、幽体で消耗しすぎてしまうと、肉体に戻った時の反動はより大きくなる。
しかしこれは、出たとこ任せのところがあるので、雅人に打ち明けるのは躊躇われた。
たいしたことなく済み、大丈夫かもしれないからだ。
雅人に布団を持ってこようかと言われたがそれは断り、とにかく目を閉じ、体を休める。
いまだ続く睡眠不足のせいか、そのままうとうとと微睡んで、ふと気が付くと聞き覚えのある声が、周囲で話をしているとわかった。
どうもはっきりと聞き取れないが、結城と法引が話をしているようだ。
次第に聞き取れるようになってくると、どうやら自分抜きで何とか夢に出てくるモノに対処出来ないか相談しているようだった。
晃は、何とか目を開けて、声のする方を見る。居間に入ってすぐのところで、結城と法引が深刻そうな顔で、立ったまま話をしているのが目に入った。
「……所長……和尚さん……」
二人に呼び掛けた声が、自分でも驚くほどかすれて力が入っていない。
その声に気づいたか、二人が晃のほうを見る。
それを見て起き上がろうとして、晃はやっと自覚した。ひどく体がだるい。かなりの熱がありそうだ。どうやら、自分で想定していたうちでも、最悪に近い方の想定が当たったらしい。
(うわ、まずい。よりによって、こんな時に風邪で熱が出るなんて……)
(間が悪いにもほどがある。晃、どうするつもりだ。今晩から明日にかけての夢で、絶対何か起こるぞ。こんな状態で、夢に入るのか?)
(やらざるを得ないよ。相手は待ってはくれない。おそらく、幽体になればもっとましに動けるようになるはずだし)
(もう、それに賭けるしかないか……)
そして、晃の声に気が付いたのだろう、結城と法引が晃のところへやってきた。
結城がその手を伸ばして、額に当てる。結城の手がいやに冷たく感じることで、晃は自分の熱が、かなり高そうだと思った。
ますますまずい。
「……早見くん……。これは、かなり熱がありそうだな」
「ええ。これでは、無理をさせることは出来ませんな」
そこへ、彩弓がやってきた。手に体温計を持っている。
「これで、熱を測ってみてください」
結城は体温計を受け取ると、毛布の下の晃の体のフリースとシャツを重ね着している前の部分を少しだけ開けると、そこから脇の下に体温計を差し込む。
ほどなくして予測値が出たというシグナル音が出たので確認してみる。
法引も、彩弓も、一緒に体温計を覗き込んだ。
「……三十七度九分か。これはやはり、無理はさせられないな……」
風邪は、何らかのウイルス感染症である。感染していきなり熱が出るはずはなく、実際にかかったのは最低でも前日だろうが、一晩暖房もろくにない部屋でほぼ徹夜して気を張り詰めて気配を探っていたのだ。
そういう無理がたたって、思いもかけない発熱になってしまったのだろう。
元々頑健ではない自分の体が、晃は恨めしかった。
「……所長、今、何時ですか……?」
「今は、もう昼の十一時になる。君はそんなことを気にせず、ゆっくり寝ていなさい」
結城はそう言うと、起き上がりかける晃を押しとどめ、コタツ布団をその体に掛けた。
「早見さん、今回ばかりはわたくしどもが何とかします。あなたは体調が回復するまで、無理をしないでください」
法引も、口調こそ穏やかだがその眼は真剣だった。
和海の姿が見えないが、彼女は用事があって夕方からくると連絡があったそうだ。
とにかく、結城と法引は、熱を出して横たわる晃を案じ、今回の“夢魔”の一件には自分たちだけで対処しようと決めているようだった。
だが、実際のところ二人に和海が加わっても、どこまで“夢魔”に立ち向かえるかわからない。そもそも、直接夢に入り込むことなど、まず出来ないだろう。
いっそ起きていてもらおうか、などという話にもなっているようだが、それはただ問題の先送りであり、いつかは眠らなければならない。
眠れば、夢魔に襲われる可能性が高いのだ。
中心は万結花だが、唸り声は三人とも聞いているため、誰が本当の標的かわからない。