04.夢の予兆
「そんなに緊張した顔すんなって。何回も来てるだろ、おれの家」
隣で、雅人が苦笑する。
「……そうなんだけど……」
その日、大学の授業が終わった後、晃と雅人は連れ立って、雅人の家である川本家に向かっていた。
すでに最寄り駅を降り、到着まであと数分というところだ。
結城が都合を問い合わせ、『いつでもいい』という返事をもらったということで、翌日が休みのこの日に、帰宅する雅人ともに訪ねることとなったのだ。
「あ、そうだ。家に着いたら、おれいよいよ就活の走りでさ、いろいろやらなきゃいけないことがあるから、適当にくつろいでてくれよ」
「えっ!?」
雅人はこれでも三年生。年が明けたら、本当に就活戦線が前倒しで本格化するのだ。
「まだ、全然絞り切れてないんだけどな。弁護士目指して司法試験受ける予定のお前と違って、おれは事実上サラリーマン確定だから、どこの会社に入るか、ちゃんと考えないといけなくてな」
「あぁー……」
いくら禍神絡みのことがあったとしても、そういう意味での現実は、待ってはくれない。
というわけで、晃は川本家に到着した時点で、放置されることが確定した。
そのまま普通に家族と話をすればいいだけだが、なんとなく気が重いような、妙なプレッシャーを感じるのは何故だろう。
取りあえず、『自分は霊能者として結界の様子を“視”にいくのだ』と自分に言い聞かせて、晃は雅人にくっついて歩みを進めた。
そして、ほどなく到着した川本家の家の手前で、一通り周囲を霊視する晃に、雅人は軽く息を吐いて肩をすくめる。
「仕事熱心だねえ。でも、ここのところ、明るいうちは何にもないぞ」
時間は午後四時になるわずかに手前。かろうじて日が暮れる前だ。
確かに雅人の言うとおり、特に何も異常は感じられなかったし、おかしなものも“視え”なかった。
確認が終わったところで、雅人が『ただいま』と言いながらドアを開けて家の中に入り、晃が小さな声で『お邪魔します』と言いながら続いた。
「いらっしゃい! 待ってたのよ!」
ニコニコしながら、彩弓が玄関先で出迎える。舞花もすぐ隣で同じように出迎えながら、兄である雅人に向かって一言言った。
「あ、お兄ちゃんはさっさと奥へ行ってね」
「おい、ちょっと待て」
いきなり邪魔だとばかりに奥へ行けと言われ、雅人は思わず逆に上がり口で立ち止まる。
「何してんのよ。早見さんが上がれないでしょ。早くいきなさい。大体あんた、就活のことでやることあるって言ってたでしょ?」
母親の彩弓にまでせっつかれ、雅人はしぶしぶ廊下の先にある階段を上り、二階の自室へと向かった。
あとには、晃が取り残される。
「あ、あのぉ……」
「ああ、いいのよ。それより、よく来たわね。とにかく上がって頂戴」
彩弓に促され、晃は二人が何となくわざとらしく明るく振舞っているような気がしなくもないと思いつつ、案内されるままに居間へと向かった。
居間に入るなり、半ば予想していたこととはいえ、一瞬晃は固まった。そこには長方形の大きめのコタツに入った万結花がいて、人が入ってきた気配に気が付いたのだろう、優しく微笑んでうなずいた。
「いらっしゃい、晃さん」
「……お、お邪魔してます……」
晃は、ぎこちなくこの前のことを口に出し、『色々申し訳なかった』と頭を下げると、万結花はもちろん、彩弓や舞花からもすごい勢いで『とんでもない』と返された。
その後、舞花や母親の彩弓の態度が少しおかしかった理由を万結花から聞かされ、晃は別な意味で逃げ出したくなった。
あの時、アカネを抱きかかえたまま泣きじゃくっていた晃の姿に、彩弓は母性本能を刺激されて『守ってあげたい!』と思ってしまい、舞花は『アニメや特撮ヒーローみたいにかっこよく戦ってた人があんなに弱々しく泣いている姿にギャップ萌えした』のだとわかったのだ。
しかし、彩弓に先手を打たれてお茶を出されてしまい、やむなく防寒着の厚手パーカーを脱いで荷物と一緒に置き、コタツでお茶を飲むことになってしまっていた。
(そっち!? そっちなの!? 今更だけど、そっち……)
(晃、諦めろ。こればっかりは、どうしようもないぞ。しかし、まさか泣きじゃくる姿に“ギャップ萌え”されるとは……)
こうなると、あの時大泣きしてしまったのも“一生の不覚”となりそうだ。
すでに舞花は開き直ったらしく、完全に『アイドルを目の前にしたファンの女の子』状態で、目をキラキラさせながら口元に握った両手をあてがった姿で、晃のほうを見ている。なんだかそのうち、名前が描かれた応援うちわでも取り出しそうな雰囲気だ。
このままここに居ていいんだろうか、という素朴な疑問が、晃の脳裏を駆け巡る。
結界の様子を見てくることを口実に、この場を離れたほうがいいのではないか。
とにかくお茶を飲み終え、さてそろそろと考えた晃が、三人に声をかける。
「部屋に入ったときの感覚で、大丈夫だとは思うんですが、念のため結界の様子を確認してきますけど……他に何か、変わったこととか、ないですか?」
そう言われれば、と万結花が口を開いた。
「そういえば、変な夢見たんですよね……」
「変な夢?」
思わず聞き返した晃に、万結花は少し苦笑気味の顔で軽く手を振る。
「そんな大げさなことじゃないと思うんですけど。でも、ちょっと変な感じなんです」
「一応、聴かせてください。万が一のことがありますから」
万結花の夢、それは、もちろん目が不自由な彼女のこと、音と気配だけの夢である。だが、夢の中で彼女は、どこか狭い通路のような空間の中にいた。
その空間は、どこか土臭く、奥の方からかすかにやはり土臭い風が吹いていて、自分は風に向かって歩いていた。
歩いている感触は、土ではなく固く凸凹とした石の床。そこを、歩いている夢だという。
しかも、すぐ隣に母親である彩弓と、妹の舞花が一緒に歩いていることも気配でわかっているというのだ。
「それで、不思議なのはその夢、三日前から見始めたんですけど、どうやらその夢、ずっと場面が続いてるみたいなんです」
「場面が続いてる!?」
つまり、一日目に見た夢の最後の場面から二日目の夢が始まり、二日目の夢の最後の場面から三日目の夢が始まり、というように続いているようなのだ。
すると、それを聞いていた彩弓や舞花も、そういえば、と夢の話をし始めた。
「私も、娘たち二人と、洞窟みたいなところを歩いているような夢を、なんとなく見ていた記憶があるんですよ。はっきり覚えてないんですけどね」
「私も! お姉ちゃんと、お母さんと、一緒に歩いてる夢。でも、やっぱりよく覚えてないんです」
よく聞けば、二人も三日前からそういう夢を見ていた記憶がおぼろげに残っているという。
晃が、急に真顔になる
「それは、もしかしたら夢を操られているかもしれません。夢で行きつくところまで行ったなら、現実にも影響を及ぼすような事態になるかもしれませんね。覚えている限りで構いません。詳しく話してください」
三人が見ている夢は、まず間違いなく同じものだ。夢が同調し、なおかつ場面続きで三日間も見るというのは、明らかに自然な夢ではない。
訊いてみると、舞花と彩弓は記憶があいまいで、なんとなく“そういう感じの夢を見ていた”という程度の記憶しかなかったが、万結花ははっきりと夢の内容を覚えていた。
洞窟らしい中を進んでいくと、そこが枝分かれしているという。そして、どちらか一方を選んで進み始めてところで夢から覚め、次の日には進み始めたところから夢を見始め、さらに次の分岐で選択をしたところで目が覚め、を繰り返していたという。
「……それで、ずっと三人一緒だったんですか?」
「ええ、ずっと一緒でした」
万結花の答えに、晃は考え込んだ。
(……明らかに、夢に干渉されている。このまま洞窟を進んでいったら、どうなるか……)
(確かに、ヤバいな。標的はもちろんあの“贄の巫女”の彼女だろうが、母親と妹を巻き込んでるってのが気がかりだよなあ)
(そうであるな。もしやと思うが、『夢魔』の類の干渉やもしれぬ)
胸元の月長石から、笹丸が声をかけてくる。
(やはり、『夢魔』ですか。 そんな予感はしたんですけど)
(うむ。であるがの、これだけではいかなる存在か、まだわからぬ。しかし、放置しておくことも出来ぬであろう)
(危険ですね)
(わたい、お手伝い、出来る?)
今度は紅玉髄から、アカネが口を出す。
(アカネに出来ることは、後で考える。今はまだ、そこにいるんだよ)
(わかった)
このまま夢を見させておくわけにもいかないが、だからといって、おそらくは夢の続きのその先にしか、夢に干渉する『夢魔』の正体の手がかりはないだろう。
「……万結花さん、以前渡したお守り、まだ持っていますか?」
晃の問いに、万結花はうなずく。
「ええ。渡されたものは、みんな今も持っています」
「それなら、今出してください。もう一度、念を込め直します。そのお守りは、夜寝るときも身に着けて、絶対に離さないでください。それと、お二人のほうですが……」
晃は、二人が今夜寝るときに、枕元に清めの盛り塩をしておいて欲しいと頼んだ。
「これで夢に巻き込まれないようだったら、ただの妖。また夢に巻き込まれるようなら、禍神の手のモノかもしれません」
万結花は、以前晃からもらった、いわゆるパワーストーンを使ったお守りを出した。
紅玉髄の首飾りに、瑪瑙のブレスレット。それを確認すると、さすがに少し力が薄れたそれを見つめる。
ブレスレットを手に取り、首飾りも同時に掌に握り込んだ。そして、遼の力を呼び込むと、掌の中の石に念を込めていく。
初めて見るその様に、舞花と彩弓はぽかんと口を開けたままそれを見つめた。
万結花もまた、いきなり変わった気配に、晃がどうやってパワーストーンに念を込めているのかを悟った。