03.小さな一歩
その時の話で遼が、“晃は元々恋愛ごとには奥手で不器用でヘタレ”という認識を持っているとわかったのだ。
『昔からそういう傾向があったんですけど、俺とこういうことになって、それが余計にひどくなって。ほんとにどうすりゃいいのか頭抱えてるんですよ、マジで』
そう言って溜め息を吐いていた“彼”のことを思いだす。
見た目が晃なせいか、微妙な感じにはなったが、本気で心配し、嘆いていたことだけは間違いない。
ふと見ると、いつの間にか晃の打ち込みの手がほぼ止まり、心ここにあらずと言った感じでぼうっと画面を眺めるともなしに見ている。
声をかけようとして、これが“遼と対話しているときの状態”なのだと気が付いた。
以前にも、こういうふうにぼんやりしていたことは何度もある。
考え事をしていたとあの時晃は言っていたが、遼と対話することで、いろいろなことを整理していたのだろう。
実際、晃は遼と話をしていた。否、少々揉めていた。
(遼さん、やっぱりあそこまで言わなくたっていいだろ! そのせいで、あれからなんだかずっとからかわれてる気がするんだけど)
(今更蒸し返すな! 第一それはないと思うぞ。大体、あれは事実だろうが。お前昔から、仮に意中の子がいて、相手も悪く思ってないって状況でも、周りがお膳立てして外堀埋めた上で、誰かに背中を蹴飛ばしてもらわないと告りにも行けないタイプだろうが。違うか?)
(それは……)
否定出来ない時点で、それは認めたも同然だった。
(とにかく、川本さんちはお前の本性を知ったうえで、それでも今までと変わらずにいてくれてる人たちなんだ。正々堂々顔を出せばいいだろう。第一、あいつには大学で会ってるんだろ?)
遼の言う“あいつ”とは、雅人だ。あれから、何度かカフェテリアで顔を合わせ、一緒に昼食を取ったりもしている。
雅人には、何度も『俺の家では気にしてるのはいないから、安心しろ』と言われた。
彼自身、気にしている様子はなかった。
それを考えると、折を見て顔を出しに行くのも不自然ではないのだが、なんだか足が向かない。
(ほんとにお前、こういうことだとヘタレだよなあ……。思い切って顔出せよ。一回出せば、おそらく元通りだから)
(そうだろうとは思うんだけど……)
川本家に、想い人である万結花がいなければ、まだ素直に顔出しに行ったかもしれない。だが、その万結花の霊力を“喰らって”復活するなどということをやった手前、肝心の想い人である万結花こそ顔を合わせにくい。
その直後に普通に行動していたから、大きな問題はなかったはずだが、それでも何事もなかったとは思えない。
最初に力を暴走させたとき、いわゆるいじめの初めの暴力というべきことをやらかしていた別のクラスの男子生徒数人を、病院送りにしている。
あとから聞いたところによると、発見があと少し遅れたら、命が危なかったという状態だったらしい。
その事実が晃をかなり長く苦しめ、“魂喰らい”を何年にもわたって封印するきっかけになったのだ。
それでも、当時と今とでは、“魂喰らい”の威力が違う。あの時は、暴走したとはいえ全く初めての力の発現だった。だから、威力も不安定で高くはなかった。もし、今の力で暴走させていたら、あの時の男子生徒は間違いなく全員命を落としていただろう。
しかも晃は、遼と入れ替わってからあとは、雅人に怒鳴られて以降あいまいな記憶しかない。その後どうなったのか大体わかるのも、遼がその後のことを覚えていたからだ。
自分はほとんどまともに覚えていない。
その遼の記憶さえ、車に乗って間もなく途切れているから、その時に寝てしまったのだろう。事務所の前で起こされるまで、完全に眠っていた。
(だからこそ、お礼というか、あいさつというか。『あの時はどうもすみませんでした』とか、言っておくべきだろ?)
(……う、うん……)
言われてみれば、その通りではある。
他のことはともかく、恋愛ごとでは晃は遼に勝てなかった。おそらくは、元々の性格に加え、経験値の差だろう。
晃は大きく溜め息を吐くとともに、ふと気づくと結城と和海がこちらを見ていることに気が付いた。
今の二人は、こうして見た目ぼんやりしている時に、遼と話しているともう知っている。
晃はおずおずと口を開いた。
「……あの、川本さんの家、やっぱり訪ねようと思います……」
晃がそう言った途端、その先を言わせずに妙にニコリとするなり結城が答える。
「ああ、それなら私が問い合わせておいてあげよう。何も心配しないで、顔を出しに行ってくればいい」
和海もうなずく
「そうよ。もう少し肩の力を抜いて、ゆったり構えているといいわよ」
明らかに、いろいろと見透かされている気がする。
“贄の巫女”である万結花とは、どうあっても本当の意味では恋人同士にはなれない。だからこそ、深入りしないように、でも忘れないように、心の内に納めておこうと思ったのに、無意識に自分が口に出してしまった。
ある意味“一生の不覚”といってもいい。
しかし周囲がどういうわけか気を回してくれているらしく、『たとえ本当の意味で結ばれなくても、せめていい思い出を作れればいいのでは?』とばかりに裏で画策しているような気がしてならない。
遼はすでに開き直っていて、『せっかくの厚意なんだから、それに甘えて雰囲気でいいから味わってこい』と言い出す始末だった。
『お前は経験値が低すぎるから』と。
いつか必ず、万結花は神に仕えるために、俗世からある程度距離を置く暮らしを始めることとなる。正真正銘神の巫女となるのだから、当たり前だ。
そうなったとき、万結花への未練をきっちり断ち切って、新しい相手を見つけなければ、それこそ下手をしたら一生独身で過ごしかねない。
晃はそれを、やらかしかねないところがあったのだ。
それを感じ取ったからこその、周囲のおせっかい焼きだった。
『ちゃんと想い出を作って、それを糧に次の一歩を踏み出してほしい』
本人が気づかないところで、晃はかなり心配されていたのだった。
そのうちに、打ち込み作業も目処が付き、結城や和海が帰宅の準備を始めると、時刻は午後六時半過ぎになっていた。
「わたしたちはこれで帰るけど、晃くんは夕飯はどうするの?」
和海に問われ、晃はちょっと考えてから『自炊します』と答えた。
「簡単なものしか出来ないですけど、冷凍のカット野菜とかストックしてあるので、それ使って野菜炒めでも作ります。肉の代わりにベーコン炒めて」
「そういえば、最近少しずつ料理するようになったって言ってたものね。ご飯はどうするの? パン食?」
「一応、ご飯炊いてます。ちゃんと、少人数用の小さい炊飯器買ってあるんですよ。多めに炊いて、一食分ずつラップに包んで冷凍しておけば、あとはレンチンすればいつでもご飯が食べられますし」
「……いつの間に、家電品を買い揃えたんだ、君は」
結城も、しばらくダイニングキッチンを覗かないうちに、いろいろ買い揃えていたらしい晃に軽く驚いた。
「量販店のサイトとか見て回っていたら、ちょうど手ごろなのが目に入ったので……」
事務所として使っている家のダイニングキッチンに、元々あった家電品は、冷蔵庫と電子レンジくらいのものだった。そういえば、冷蔵庫の中は最近確認していなかった結城と和海である。
まあ、お茶を入れるのにそのくらいは必要だからと、二リットルサイズの電気ポットを事務所の備品としておいてはあるが。
それと、厳密には家電品ではないが、瞬間湯沸かし器はあった。
晃に連れられて、結城と和海がダイニングキッチンへと足を進めると、そこにはスイッチを入れるとすぐに沸くので有名な電気ケトルや、三合炊きの炊飯器、オーブントースター。ガスコンロが置かれていたところには、一口のIHクッキングヒーターが置いてある。変に余計なものがないのは、堅実な性格の晃らしい。
片隅には、スティッククリーナーと呼ばれるタイプの掃除機が、部屋のかどに立てかけてある。
シンク周りには、少し深めのフライパンや鍋。キッチンバサミ、包丁、プラまな板など、調理道具がいくつか、整頓されて置かれていた。
まだどれも新しく、使い込まれた感じはしないので、買ってきたのは最近だろう。
こうしてみると、いつの間にかこの家は、晃の本当の意味での生活の場になっていたようだった。
「どれも、そんなに高い機種じゃありませんよ。小物揃えたのも、割と最近ですし。百均で買ったのもありますし」
それでも間違いなく、晃は自分の足で、自立の道を歩き始めていた。晃自身、やりたくても過保護な母 親に邪魔されて出来なかった、意味のある一歩を踏み出せた気がする。
結城も和海も、ある意味妙な安堵感を覚えながら、事務所を後にした……