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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第二話 神隠し
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03.依頼人

 晃が自転車で家を出たのは、翌日の午後一時を少し回った頃だった。ゆっくり漕いでいても、三十分掛からないくらいで事務所にたどり着ける。

 綿のシャツの上にウールのベスト、ジーパンにスニーカー。裏地がフリースのナイロンジャケットを羽織っているので、晴れてはいてもだいぶ冷たくなった風をも、ほとんど通さない。背中には、愛用のワンショルダーをたすき掛けしている。

 探偵事務所へ行くときも、晃はあえてラフな格好のままで行っていた。かっちりとした格好は、正規の所員である和海たちに任せ、自分はあくまでもアルバイトであるということを、周囲に自覚してもらうためだ。いつも頼られすぎるための、自衛策だった。とはいっても、おそらくすぐにそれを忘れ、頼られることになるのだろうが。

 住宅地の中の、ごく普通の一軒家の外観をしている結城探偵事務所には、一時四十分過ぎに到着した。ガレージに自転車を止め、玄関ドアを開けて中に入る。

 いつもの《Welcome》ボードが掛かった開けっ放しのドアをくぐると、すでに所長の結城孝弘と小田切和海が、まるで待ち構えてでもいたかのように、晃を迎えた。

 「早見くん、一ヶ月ぶりだが、怪我のほうは大丈夫かね」

 結城がさっそく声をかけてくる。

 「僕は大丈夫ですよ。所長のほうこそ、手首の捻挫はよくなりましたか」

 「つい最近までテーピングで固定していたんだが、もうそろそろはずしてもいいだろうということで、形成外科の先生から、お許しが出たよ。ほら、なんでもないだろう」

 結城は笑って、右手首を見せた。

 「いやあ、まともに動かせるようになるまで、結構かかった。あんなにひどい捻挫は、警官時代の容疑者との格闘以来だったな」

 そこへ和海が口を挟む。

 「わたしは人生始まって以来の怪我でしたよ。体中痣だらけだったんですから……」

 そこまで言って、急にしまったという表情になり、晃のほうに視線を走らせた。

 「気にしなくていいですよ、小田切さん。僕は僕。小田切さんは小田切さん。そうでしょう。今回のことは、小田切さんにとっては、大変な怪我をした出来事だったんですから」

 晃の言葉に、和海は救われたように安堵の息をつく。

 そのとき、来客を知らせるチャイムが鳴った。

 和海が素早く身を翻すと、玄関ドアを開けて来客を迎え入れる。依頼人の深山春奈その人だった。

 短めの髪に、普段通勤でも着ていると思われるグレーのスーツ姿で、一応化粧はしているものの、肌全体に張りがないようで、かえってみすぼらしく見える。相当心労が溜まっているのだろう。

 春奈は、和海に促されて事務所の中に入り、晃と顔を合わせて棒立ちになった。

 「はじめまして。僕は早見晃と申します。あなたが、深山春奈さんですね」

 晃が自己紹介しても、春奈は呆気にとられるばかりで言葉が出てこない。微苦笑しながら、結城がさらに補足説明をした。

 「彼は、我が事務所の超常事件専任担当です。強力な力を持つ霊能者でもありますから、何かあったときは、彼に相談するといいですよ」

 「あ、はい……」

 春奈は、落ち着かない素振りをしながら会釈した。時折晃に目をやっては、大きく息をついている。目も覚めるような美貌を持つ晃に、困惑しているのだろう。和海は内心苦笑しながら、春奈に語りかけた。

 「とにかく、そこの長椅子にどうぞ。もう一度当時のことを詳しく話してください。あれから、何か思い出したことはありませんか。どんな些細なことでもいいですから。情報が必要なのです。今、お茶を入れてきますから、ゆっくり思い出してみてください」

 和海に勧められるままに長椅子に腰掛けながら、春奈はしばし考え、やがて口を開いた。

 「……もしかしたら、あたしの気のせいかもしれないんですけど、裕恵を送っていく電車の中で、女の子を見たんです……」

 「女の子……」

 結城と晃はもちろん、事務所の片隅のポットでお茶を入れている和海までが、同じ言葉をつぶやいた。

 春奈は、何度もつかえながら、目を伏せたまま話し始めた。

 裕恵は、その日会ったときからずっと、『数日前から誰かに見られている』といい続けていた。居酒屋で飲んでいても落ち着かず、やむなく送っていくことにして電車に乗ったとき、その女の子の姿を見たのだ、と。

 「その子は、ガラスに映った姿を一瞬見ただけで、直接見たわけじゃありません。第一、あたしたち二人が立っていた場所は座席の真ん前で、座っている人との間には、たとえ子供だろうと立てるスペースなんかありませんでした。だから、見間違いだろうと……」

 その少女の容姿や外見を聞いた結城と晃は、互いに顔を見合わせた。

 和海が、四人分のお茶を入れ、お盆に載せて運んできて、長椅子のところのローテーブルの上に置き、まず客である春奈の前に、次に結城の前に、そして晃の前、最後に自分の前に湯飲みを置いた。

 春奈は、緊張で喉が渇いていたのだろう、さっそく湯飲みを手に取り、お茶を飲んでいる。それを見ながら、三人は顔をつき合わせてとりあえず分析にはいった。

 「……この話をそのまま取れば、防空頭巾を被った子供、という風に思えるな。着ているものが、頭巾を含めてつぎはぎだったというのも、戦時中の姿としか思えんのだが」

 「そうですね。僕も教科書で見たことがありますよ、そういう写真は。ただ、どうして戦時中の霊体と思える存在が、“被害者”に取り憑いたのか、その接点がまったく見えてこないんですが」

 「そして、一連の奇妙な出来事が、直接失踪に関わっているのかも不明。押さえておく必要はあると思うんですけれど」

 改めて、晃が春奈に向き直り、静かに話しかける。

 「そういえば、失踪した持田さんは、その直前に誰かに腕を引っ張られたようにして路地を曲がったんでしたよね。その直前、彼女はどんなことを話していましたか。視線以外の何かを、感じていたようでしたか」

 晃が顔を覗き込むと、春奈は耳まで赤くなった。動揺を隠せないまま、何とか言葉を搾り出す。

 「……た、確か、急にあたしの手を振り解いて……そう、こう言ったんです。『誰かが引っ張っていこうとしてる』って」

 「それでは、持田さんは本当に引っ張られたのかもしれないわけですね」

 晃が、確認するように問いかけると、春奈はうなずいた。それを見て、今度は結城が尋ねる。

 「ところで、失踪する前、『誰かに見られている』と言っていたそうですが、いつ頃からその視線を感じていると言っていましたかね。出来れば、失踪前の行動を、詳しく知りたいところなんだが……わかりませんか?」

 「よくわからないんです。裕恵とは部署が違うんですが、ここのところ忙しくて、会って話す時間がなかなか取れなかったんです」

 「なるほど……」

 それならば、と結城は、持田裕恵と同じ部署にいる彼女の友人が誰か、話の聞けそうな人はいないかと訊いた。すると春奈は、『森川翠』という女性の名前を出した。新人研修のときに面倒を見てくれた先輩OLで、いつも裕恵が相談事を持ちかけていた人だという。

 「森川さんなら、同じ部署だし、当時何をやっていたか知っていると思います」

 「わかりました。それでは、後ほどこの人に連絡を取ってみます」

 春奈が静かに頭を下げた。

 「本当に、どうしていいか、わからなかったんです。見たことをそのまま話しても、全然信じてもらえなくて……。嘘つき呼ばわりまでされたんです。それで、ここを見つけて、やっと話を聞いてもらえて……」

 「僕たちは、あなたの証言を信じます。必ず、持田さんは見つけ出します。これからも、何かあったら連絡してください」

 晃の力強い言葉に、春奈がかすかに上気した頬になって、ゆっくりうなずいた。

 (……なんとなくだが、この姐ちゃんお前に惚れたかな)

 (よしてよ、遼さん。この人は、ただのクライアントだよ)

 (そうは言ってもな、あの姐ちゃんの顔つき、惚れたって顔だぜ)

 (だとしたら……かえって困るんだけど)

 (困ることないだろう。いっそ付き合え)

 (遼さん、そんな無責任なこと許されるわけないだろっ。クライアントをナンパする探偵が、どこにいるんだよ。そもそも僕には、その気はないってば)

 しかし、遼の言葉はあながち冗談ではなさそうだった。春奈の視線が、妙に熱を帯びたもののように感じられるからだ。

 その気配には、結城や和海も気がついた。特に和海は、自分自身晃の存在が気になるだけに、内心複雑な気分だった。

 「……とにかく、もしよろしければ、これから当日の足取りをもう一度辿ってみたいのですが、ご同行いただけますか」

 結城が声をかける。春奈は我に帰ったような顔つきになり、三人の顔を順番に見た。

 「あの……皆さんご一緒なんですか」

 「ええ、もちろんです」

 結城が答えると、春奈は一緒に行くと言った。

 「……皆さん……が来てくださるなら、心強いです……」

 言いながら、晃のほうにちらりと視線を向ける春奈に、晃は引き()り笑いを浮かべ、ぬるくなったお茶を一気に飲み干した。

 「それじゃ、来てくださるんですね。今、湯飲みを片付けますから」

 微妙な雰囲気を察した和海が、春奈を促した。春奈は、なんとなく晃のほうを気にしながら立ち上がる。それを見て、和海は急いで 湯飲みをお盆に載せ、事務所に使っている部屋のすぐ裏手にあるキッチンに運ぶと、さっさとゆすいで片付けた。

 その間に、結城が春奈を先導していた。

 「では、行きましょう。普段は車で移動することが多いんだが、今日のところは電車で行きますか」

 結城とともに、春奈は事務所の外に出た。そのすぐあとに晃も続く。三人は、そのまま外で、和海が出てくるのを待った。

 しばらくして、和海が出てきて玄関ドアに鍵をかけた。

 「電話は留守電に設定しておきましたし、戸締りも確認してきました。出発しましょう」

 和海はいつもの癖でガレージへ行きかけたが、自分で気がついて足を止めた。

 「……今日は、電車で行くんでしたっけ……」

 それを見て、春奈が笑いを浮かべる。それは、三人が見た初めての笑顔だった。

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