01.プロローグ
今回から、第八話です。
まだ書き始めたばかりで、どういう方向に話が展開するか、自分でもよくわかりませんが、頑張って書いていきますので、よろしくお願いします。
部屋の中は暗く、特に奥に置かれた姿見は、まるで光を吸い込んでいるかの如く漆黒となっていた。かろうじて、外の明かりがわずかに入る窓を、女の手がカーテンを引いて閉ざすと、部屋の中はほぼ真っ暗となった。
女に額には、妖しく赤く光る逆三角形の印があり、その眼も金色の光を帯びていた。
日没間もないその部屋の中に、ゆらりと揺らめくものがあり、それは急速に人型となり、様々な色の衣を纏った鬼の姿となった。
姿を現した鬼は、全員で四体。それぞれ、まだ若い部類に入るその女の前に跪く。
『漸鬼、参上仕りました』
『劉鬼、参上仕りました』
『蒐鬼、参上仕りました』
『濫鬼、参上いたしました』
それぞれが名乗るのを待って、女が口を開く。その声は、壮年の男の声だった。
『ご苦労じゃの。すでに知っての通り、今日の昼間、厳鬼が斃された。配下の鬼、四体を引き連れ、さらには物の怪どもをも引き連れての上でじゃ』
そう告げた虚影の顔は、苅部那美の体を借りているとはいえ、不愉快そうに歪んでいた。
『他にも霊能者どもはいたであろうが、他の者どもは、物の怪どもを抑えるので精一杯であったはずじゃから、厳鬼とその配下の鬼を斃したのは、例の“人間離れした力を持つ霊能者の若造”じゃろう』
虚影の言葉に、四体の鬼たちは一様に信じられないというように、互いに顔を見合わせる。
『……まさか……。あれだけの“戦力”を引き連れて行って、なおかつ厳鬼自身力自慢で、真正面から戦えば、決してあのような人間の霊能者におくれを取るような者ではございません。何がどうなったのか……』
漸鬼が、困惑と苦悩の入り混じる表情で、虚影に対して答える。
『じゃがの、斃されたことは間違いないのじゃ。……儂の力がもう少し戻っておれば、厳鬼がどのように斃されたのか、せめて知ることが出来たものを。それが口惜しい』
虚影が怒りの形相で歯噛みすると、四体の鬼がひれ伏す。
『しかし、厳鬼が斃されたとあっては、こちらとしてもそれ相応のことをせねばならぬということじゃ。今までのように、“所詮は人間どもの悪あがき”とは言えなくなったという事じゃからの。それにしても、ぬかったわけでもあるまいに、何があったか、厳鬼よ……』
漸鬼もまた、苦悩の表情を浮かべながらも、改めて口を開いた。
『……今となっては、何があったか探るは至難の業。下手に動いて忌まわしき神々の注意を引いてしまうことがあれば、本末転倒。何かの拍子で、厳鬼をいかにして斃したか、その方法を知れることもありましょう。それよりも、厳鬼に代わるモノを見つけ出し、我らが元へ引き入れるがよいと思います』
それには、虚影もうなずいた。
『そうじゃな。喪ったモノをいつまでも嘆いても仕方がないこと。では、一連のこと任せたぞ、漸鬼よ。使えそうなモノを見つけてくるのじゃ』
そこまで言うと、虚影はまた不愉快そうに顔をしかめる。
『……それにしても厄介なのは、霊能者どもが“贄の巫女”に神社めぐりをさせておることじゃ。奴らは気づいてはおらぬじゃろうが、もし、巫女が心の内にでも使える神を定めたのであるなら、言霊による約定をせずとも、ある程度は選ばれし神による干渉が可能となってしまう。今の儂にとって、それが面倒なのじゃ』
苦虫を噛み潰したような表情になる虚影に、劉鬼が伏したまま顔だけを少し上げて答える。
『虚影様、式神にて奴らの動きを探っておれば、今まで通り先回りは出来ましょう。巫女が神を定めることが出来なければよいのです』
『それはその通りじゃが、奴らもそろそろこちらがなぜ先回りして罠を仕掛けることが出来ておるのか、気づき始めてもおかしくない頃合いじゃ。逆に、気づかなければ馬鹿であろう』
すでに二回、先手を打って罠を仕掛けた。それが何を意味するのか、考えないようなら相手は大したことはないが、いくら何でもそろそろ考えるだろう。
式神を飛ばし、神社めぐりをするのだということを掴み、どこの神社へ行くのか、直前に把握して先回りをし、式神どもには多少の不自然さはあってもそれを奴らに気づかせないように立ち回らせた。
だが、さすがにもう限界だろう。
『あの忌まわしい霊能者の若造めに、式神を張り付けておければ楽なのじゃがな、それを許す相手ではないからの』
『いかがなさいますか? 虚影様』
蒐鬼の問いに、虚影は答える。
『ひとまずは、我が力を少しでも取り戻すことを優先させる。さすれば、向こうが多少あがこうと、力づくでどうにでもなるものじゃからの』
言いながら、虚影はにやりとした笑みを浮かべる。
『幸いといってはなんじゃが、“贄の巫女”たるあの娘、くだらぬ【夢】とやらのために、仕える神を定めても、しばらくは約定をせぬつもりでおる。おかげで、儂には充分な時間が出来るでの』
すると、濫鬼が一瞬眉間にしわを寄せ、こう言った。
『されど、その“体”は……』
『わかっておる。どうせ元々、儂が力を取り戻すまで、他の神々の目くらましに使うために使い潰すつもりじゃったからの。“贄の巫女”の力を取り込めれば、目くらましなどもう必要はないのじゃ。少し予定が狂うだけのこと』
それでも、漸鬼は懸念を口にする。
『本来、“贄の巫女”の言霊による約定は、巫女が自ら発することによって初めてその効力を持つものであり、いかなる神も、巫女の発する言霊に干渉してはならないという定めであると聞き及びまする。下手に我らが手を出し過ぎると、他の神々に目を付けられて、それだけで神々の介入を招くのではないかと危惧致しますが……』
“贄の巫女”の霊力は、神々にとっても大きいものであり、彼女が巫女として仕えるということは、その霊力がその神に奉げられるということを意味する。
元々そんなに大きな力を持っているわけではない小さな土地神などは、それで神としての格が一気に上がってしまい、周辺を圧倒する存在となってしまうほどのものなのだ。
それ故、巫女が現れたときには、神々はお互いにいわば“相互不可侵”を守り、巫女が仕える神を定めるまで余計な手出しをしないことと定められている。
それを、半ば掟破りで配下を使って手を出しているのが、禍神の今の状況なのだ。
未だ居場所を特定されていないからこそ出来ることではあったが、やりすぎると憑依している人物を特定される危険もある。
そのため、最初の予定では、ある程度力を取り戻したところで“贄の巫女”の力を取り込んで“神”にふさわしい神力を得、周辺の神々のどれか一柱でも不意を突いてその力を平らげ、社や信者を奪うつもりだった。
無論、“贄の巫女”の力を取り込む時点で苅部那美からは離れることにはなるが、心は充分に支配しているため、手駒として使い倒すことにしていた。彼女を起点として人間の信者を増やし、神としての力を確固たるものにする予定ではあったのだ。人間に信仰されればされるほど、神としての力は増すものだからだ。そうすれば、もはやかつて自分を封印した忌まわしき神々とて、手など出せなくなっているはずだった。
苅部那美も、どうせギリギリまで神を宿していた身、長生きは出来ないだろうが、十年ほど頑張ってくれればある程度根を張れるだろう。そういう目算もあった。
だが、“贄の巫女”を護る者の中に、厳鬼をも打ち倒せるほどの力を持つものがいるとなれば、話は違ってくる。
苅部那美の体に限界までとどまりながら力を蓄え、配下のモノたちに力を分け与えられるまでになってから、一気呵成に勝負をかけたほうがいいと思い直したのだ。
そうなると、この体は早晩負荷に耐えられなくなるだろう。その時は、その時。
別な使い道があるだろう。
『よいか、余計なことはする必要はないのじゃ。使えそうな手勢を見つけ、勢力を強化すればよい。厳鬼の抜けた穴は、それで充分に埋まるのじゃ。よいな』
四体の鬼は、声を揃えて『御意』と答えると、たちまちのうちに散り散りになって姿が消える。
『……さて、儂もひとまず眠るとするかの……』
虚影が低く嗤うと、不意にその声が途切れ、体ががくりとその場に崩れ、うずくまる。
ほどなくして顔を上げると、額の逆三角形は霊感があるものにしか見えなくなり、目の色も本来のものに戻っていた。
「……あれ、何だろう……なんだか頭がぼんやりする……」
声も、苅部那美本人のものに戻っていたが、那美自身は記憶が抜け落ちており、日が暮れた部屋の中で、明かりもつけずに何をやっていたのか、まったく覚えていない。
それに、何故か全身が軽い筋肉痛のような痛みに襲われていた。動けないほどではないが、どうしてこうなったのかが全くわからない。
神の眷属になれたはずの自分が、なぜ筋肉痛などで苦しむのか。
とにかく少し休もう。
部屋の明かりをつけながら、那美は大きく溜め息を吐いた。