26.遼の告白
結城が、睨みつけるようにして返答を待つと、晃はかすかに溜め息を吐いたように見えた。
「……すみません、今晃は動揺がひどくて。俺が代わりに説明します」
晃の口からこぼれてきたのは、聞いたこともない男の声だった。声からすると、割と若い男のように感じるが。
「もう一度訊く。君は誰だ?」
結城の問いかけに、相手は答えた。
「俺は、晃には『遼』って呼ばれています。『遼さん』と。晃の中にいる……幽霊です」
遼と名乗った存在は、居住まいを正すと、改めてこう言った。
「ここまでさらけ出したからには、すべてお話しします」
自分のことを幽霊だと言った遼は、問われるままに、自分と晃の関係を話し始めた。
自分は、交通事故で命を落とした結果、幽霊になったこと。そして、自分が運ばれた病院の同じ建物の中の産婦人科の分娩室で、自分が息を引き取ったのと同じ時刻に産声を上げたのが晃だったこと。
この奇跡的な偶然に、ずっと見守っていこうと決め、晃の側にいたこと。
“視る”力だけは今とあまり変わらなかっただけに、いろいろ霊的な“事件”に巻き込まれがちだった晃を、そんなに力が強くない守護霊とともになんとか守って過ごしていたこと。
そんな関係が大きく変化したのが、晃が高校二年生の時の事故だった。
「……事故の原因は、実は俺でした。俺の姿を“視”てしまった運転手が、パニックを起こして車を暴走させたのが事故のきっかけだったんです」
事故は、車数台を巻き込む大事故。自転車に乗っていてそれにまともに巻き込まれた晃は、病院まで息が持ったこと自体が奇跡に近いほどの瀕死の状態だった。
「正直俺の目で“視”て、晃は到底助かる状態じゃありませんでした。すでに、『魂の糸』が切れかかっていたから……」
「その、『魂の糸』って何なんだ?」
結城が尋ねると、遼は答える。
「人の魂と、肉体とを結ぶものです。たとえ幽体離脱して肉体から遠く離れたところまで行っても、それが繋がっている限り、また自分の体に戻ることが出来る」
そして、その『魂の糸』が切れたとき、霊的に“死んだ”ことになり、魂は肉体を離れ、二度と肉体に戻ることはないのだという。
『魂の糸』が切れると同時に、肉体もまた、死へのプロセスが始まる。そして、肉体が死ぬのと相前後して、魂は肉体を完全に離れてしまうことになる。
『魂の糸』が切れてから、“完全な死亡状態”になるまで、およそ二、三分だという。このタイムラグの間に、現代の高度な医療故に肉体だけ救命が一時的に成功してしまうと、魂のない抜け殻の肉体が、数日生き続けるという事態に陥るが、どちらにしろ本当の意味では助からない。
「その時の晃は、もう切れる寸前でした。そのままにしていれば、おそらく俺の感覚であと数分で完全に切れてしまうだろうと、そこまでいってました……」
遼は、苦悩の色を浮かべる。
「自分のせいで、生まれたときからずっと見守ってきた奴が死に瀕している。……助けたかった。どんなことをしても、助けたかった。それで、“同化”を試みたんです」
生きている人間と幽霊、つまり死霊が同化するなどということは、はっきり言って本来は無茶である。
一応条件はある。人間のほうが死に瀕していることと、心から死霊である相手を受け入れることだ。
普通は、表層意識はともかく、無意識域で相容れない存在は拒絶するもので、失敗するのが当たり前だ。
ところが、晃は受け入れた。遼を完全に受け入れ、同化が成功してしまったのだ。
「俺と晃の同化が成功した直後でした。晃の『魂の糸』が切れたのは。俺は、自分の霊力で肉体から出て行こうとする晃の魂を肉体に押しとどめ、切れてしまった『魂の糸』を無理矢理繋ぎ合わせ、ほどけないように霊力で固めて、晃の命を繋ぎ止めたんです」
遼の告白に、誰もが言葉を失っていた。
高校二年生の時の事故とは、そんな凄まじいものであったのか。
「……さっき、話しましたよね、“『魂の糸』が切れると霊的には死んだことになる”って」
遼の言葉に、質問者の結城も、周囲で聞いていた者たちもうなずいた。
「……だから、晃は霊的には“死んだ”んです。『魂の糸』が一度完全に切れたので。それを俺が……自然な死に向かうものを、不自然な生に繋ぎ止めた存在。それが今の晃です。だから、晃には余計なものも背負わせてしまいました……」
「余計なものって、何なの?」
思わず問いかける和海に、遼は大きく溜め息を吐く。
「……晃は元々、霊能者の素質を持っている存在でした。でも、さっき見せた力は、明らかに人間の力を超えてたでしょう? 人間を超える、超常の力を結果的に晃に与えてしまった。あの『魂喰らい』の力だって、俺自身持ってなんかいなかった。俺の霊力と、晃の霊能者としての潜在能力とが入り混じった結果、現れてしまった力みたいなんです。俺が、晃を“人外”にしてしまったんです……」
一瞬の沈黙の後、結城が問いかける。
「さっき、早見くんは宙を飛んでたな。あれは何だ?」
「あれは、<念動>の応用ですよ。ただ、普段は文字通り地に足を付けていないと使えないんで、皆さんが気づかなかっただけです。俺の力を呼び込んで本性を現して初めて、完全な形で<念動>が制御出来るようになる。そうなれば、自分で自分を<念動>で飛ばして、ああいうことも出来るようになるんです」
結城が一瞬遠いところを見るような目になりながら溜め息を吐き、気を取り直したかのようにさらに続けた。
「もう一つ聞きたいんだが、もし早見くんを霊たちの側から“視”たら、どう見えるんだ?」
「……俺自身が晃と同化してるんで、あくまで実際に経験した結果の話なんですけど……」
遼は、少し考え込みながらも、体験を交えて答える。
「霊格が高い、つまり神や精霊に近い存在だと、普段の状態でも晃の中の俺って存在に気が付くみたいで、『こいつはおかしい、只者じゃない』っていう反応になる感じでした。逆に、例え強力な霊体であっても、“視る目のない奴”は全然気づかずに、晃が本性を現して初めて愕然とするってパターンがほとんどでした」
晃は本性を現すと、霊能者としての力も跳ね上がるため、普段の状態では浄化に手間取って消耗し尽くしてしまうような悪霊であっても、本性を現せば一撃必殺で浄化出来てしまうほど力が違うという。ただ、その分消耗も激しくなるので、長時間保っていられないのだというが。
「だからこそ晃は、普段は霊能力で対応出来るから、今まで『魂喰らい』の力は禁忌として封じてきたんです。霊能者の皆さんは気が付いてると思いますけど、あの力は人を殺せる力なんです。晃はそれをわかっているから、その力を恐れて最近まで封印してた……」
遼の告白に、皆息を飲む。今回は、それを使わなければどうしようもない事態だったため、やむなく最大限の力を持って使ったのだ、と遼は告げた。
「あの鬼は、いくら本性を現したところで、霊能力で浄化出来るような存在じゃありませんでしたから……」
「……そういえば、『守護霊』さんはどうしたの?」
おずおずといった感じで、少し離れたところから舞花が訪ねてくる。
「今の晃に『守護霊』はいない。『守護霊』は、生きている人間に憑いてそれを守る存在だから。晃は、霊的には高校二年の時に“死んだ”。死者には、守護霊は憑かないよ」
「で、でも!」
戸惑いの表情を浮かべながら、なおも言葉をつづけようとする舞花に、遼は静かに首を横に振る。
「晃の体は人間だし、間違いなく生きている。でも、俺が同化している晃の魂は、もう死霊である俺を引きはがすことが不可能なんだ。『魂の糸』も切れてしまっている。一度切れた『魂の糸』は二度と元通りには繋がらない。今の晃は、『生者と死者の狭間に立つ者』なんだよ。厳密には、もう人間とは呼べない存在なんだ……」
遼は、がっくりと肩を落としながら、それでも問わず語りで話を続ける。
「……それでも、それでも晃には、“人”として生きて欲しかった。生きられると思った。人並に友達を作って、恋をして、当たり前の人生を歩んで欲しかった。でも……」
晃自身が、そういう生き方を否定した。
自分が本当は“人外”なのだとはっきり自覚してしまってからは、自分の力を隠し、目立つことを避け、人と深く関わろうとしなくなってしまった。
一歩踏み出してから、手を差し出してから、自分の本性に気づかれて拒絶されるのが怖かったのだ。“人外”である自分に対する拒絶は、どれほどのものになるのか、見当もつかない。
拒絶されたら、もうそこにはいられなくなる。ならば、初めから深く関わらなければいい。そうすれば、本性に気づかれる可能性も低くなり、その場所の隅で、立っていられる。
晃が選択したのは、そういう生き方だったのだ。