24.血闘
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
ですが、新年早々注意書きを。
今回、多少暴力的な流血表現があります。ご注意ください。
目的地が近づくにつれて、晃の“嫌な予感”もますます強くなる。もう、『三坂神社』で何かが起こることは確定的だった。
高速を降り、一般道を走ることしばし、『三坂神社』に近づくと、その辺りはすでに住宅地を外れ、畑の中に家が点在するような風景になっていた。
その中で、ひときわこんもりとした緑に覆われた一帯があった。そこが、『三坂神社』のいわゆる“鎮守の森”であるという。
その手前のところどころ土が見える草の生えた開けた場所に、すべての車を止めた。
どうやらそこが、駐車スペースとして使われているところらしく、そこから歩いて三十メートルほどのところに“鎮守の森”はあった。
木々の中に、ここが入口だと示すように、石造りの鳥居が見える。
この神社は常在の神主がおらず、町の有志が定期的に集まって掃除をしたり、お社の手入れをしたりしているという。
今日は、人の姿は見えないが、小春日和の穏やかな天候と相まって、周辺にはのどかな雰囲気が漂っている。
しかし晃にはなぜか、鳥居の向こうにぽっかりと闇が口を開けているように感じた。
『入ってはいけない』
直感がそう告げる。
銘々車から降り、鳥居の前に集合していた一行に向かって、晃が叫んだ。
「今すぐ鳥居から離れてください! 入ってはいけない!」
誰もが呆気にとられた顔になり、晃の方を向く。
「『入ってはいけない』って、どういうことなのですかな」
法引が訊ねてくる。
「その鳥居をくぐると、何かが起こりそうなんです。何が起こるかはわからない。でも、僕には、その鳥居の向こうに、闇が口を開けて待ち構えているように“視え”て仕方ないんです」
言われた霊能者組は、改めて鳥居の向こうをじっと“視た”。
確かに、なんとなく様子がおかしい。
「……これは確かに、入らないほうがいいでしょうな」
法引が真顔で鳥居の奥を睨むようにしながら、下がるように手で合図する。
結城も和海も昭憲も、真剣な顔でうなずくと、晃とともに川本家の五人に付き添うように共に下がり、車まであと十五メートルほどのところまできた。
その時だった。
不意に、生暖かいつむじ風のような突風が一瞬吹き過ぎる。あまりの強さに、ほんのひと時だったが全員の足が止まり、吹き上げられた砂ぼこりに皆目をつぶった。
そして、あっという間に重苦しい気配が降ってくる。
目を開けたときには、まるで夕暮れ時のような薄暗さになっていた。まだ昼前で、雲がまばらにある程度で天気は良かったはずなのに。
次の瞬間。
『まったく、用心深いやつらだ。面倒な』
頭上から、野太い声が響いたかと思うと、気づけば確かに見えていたはずの車が姿を消していた。あるのは、ただのむき出しの地面。
いや、おそらくは逆だ。自分たちが、車が置いてある空間から切り離され、別な異界へと送り込まれたに違いない。
現に、周囲の風景は一見変わらないように見えるが、石造りだったはずの鳥居は朽ちかけた様な木製の鳥居に変わっていた。
そして、野太い声はよりはっきりと、頭上から降ってくる。
『手間を取らせやがって。素直に鳥居をくぐっておれば、面倒がなかったものを。まあいい。くぐらん場合もあるだろうと、策を授けていただいた甲斐があったというものだ』
そして、声の主が皆の頭上に姿を現した。
黒髪蒼肌の一本角で、墨の衣を纏ったごつい体格の鬼。身長は、軽く二メートルを超えているだろう。ただし、顔に大きな傷があり、左眼が抉られるように失われていた。
雅人や彩弓、舞花ははっきりと覚えている。万結花もまた、気配で覚えている。もちろん晃も。
万結花の部屋の外に直接やってきて、結界を破ろうとして晃の遠隔攻撃で撃退された鬼だった。確か、厳鬼と名乗ったか。
鬼は、その場にいる十人を値踏みするようにじろじろ見ていたが、やがて視線が一点に止まる。無論、晃のところだ。
『貴様だな、俺様の眼を抉り取ってくれたのは。あの時の礼は、たっぷりとさせてもらうからな』
厳鬼は、奥の鳥居に向かってまるで手招きするような動作をする。すると、鳥居の向こうから何体もの半透明の人とも獣ともつかない異形のモノたちが姿を現した。
あるものは地を這い、あるものは宙を舞いながら、一行に向かってくる。
同時に、厳鬼のすぐ傍らに、白髪灰肌の一本角で、白の衣を纏った一つ目の鬼が三体、姿を現した。身長は厳鬼と同じくらいだが、体つきは幾分ほっそりとしている。
『こいつらは、俺様の配下の鬼だ。さて、いくら貴様が人並外れた力を持っていたとしても、持ちこたえられるかな』
異形のモノたちは、すでに晃以外の一行を取り囲み始めた。法引以下、結城や和海、昭憲が、川本家の人々を囲んで結界の中に守りながら、臨戦態勢に入っている。
晃は咄嗟に、アカネを呼び出した。
アカネは最大級、体長五メートル超の大きさになり、背後に晃を庇って鬼を威嚇する。
『出てきやがったか、化け猫が! お前ら、行け!』
一つ目鬼が三体、アカネを挑発するように飛び出すと、巧みに連携を取りながら、アカネに対して一撃離脱の戦法を取って徹底的にペースを崩し、苛立たせるように仕向けているように感じた。
実際アカネは、次第に苛立ってきているのがわかった。
その途端、おそらく見かねたのだろう、笹丸も外に飛び出してきた。普段の柴犬の大きさではなく、本来の精悍な白狐の姿だ。
(アカネよ、落ち着け! これはわざと怒らせて、お前を晃殿から引き離そうとする相手の策略であるぞ!)
(うーっ! わかってる!! でも、こいつら、鬱陶しい!!)
それを見た厳鬼は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
『なるほど、本当に白狐がいたんだな。そいつもそこそこ霊格が高そうだ』
いうが早いか、今度は厳鬼までもが一緒になって、アカネに向かって突進してくる。一つ目鬼の三体は、やはり一撃離脱だったが、厳鬼は違った。一瞬一つ目鬼の最後の一体に重なるように動いてアカネの視覚を欺き、一つ目鬼が攻撃をしてアカネがそれを前足の爪で迎撃、一つ目鬼が離脱したその瞬間を狙いすましてアカネに掴み掛ると、一瞬地面に足を着き、それを軸に力任せにアカネの体を空中に放り出したのだ。
無論すぐさま空中で体勢を立て直したアカネだったが、晃の元に戻ろうとしたところで、例の一つ目鬼たちが割って入り、それを妨害した。
アカネは怒り狂って、空中で三体の一つ目鬼たちに躍りかかるが、彼らも機敏にかわして致命的攻撃を避け、なおかつ晃に近づけさせない。
それを確認して、厳鬼は再度軽々と宙に上がると、地上五メートルほどのところから晃を見下ろしながら、にやりと笑った。
『さて、邪魔が入らんうちに始末をつけてやる』
厳鬼は晃に向かって一気に高度を落としながら、落差を利用するように、右手の鉤爪を振り下ろす。
晃は短い気合とともに右掌を真っ直ぐそちらへ向けて突き出し、それを迎え撃った。厳鬼の鉤爪は、晃の掌の十センチ手前で止まる。
『聞いた通りだな。これを止めるとは。人間の分際で、生意気な』
厳鬼が、不愉快そうに唸る。
(笹丸さん、アカネのところへ行ってやってください! あの子は今、怒って頭に血が上っています。あの状態だと力押ししか出来ない。隙が多くなって、そこを突かれたら危険です!)
(そなたのほうも、楽観出来るとは思えぬが……やむを得ぬか)
笹丸が晃の側を離れ、三体の鬼を相手に悪戦苦闘しているアカネの元へと走り寄っていくと、まるでそれを待っていたかのように厳鬼が一旦晃から距離を取り、再度襲い掛かってきた。
晃がそれを受け止めたところで、不意に背後から殺気が迫ったかと思うと、背中に熱さにも似た激痛が走る。
思わず呻いて一瞬自身への護りが緩んだ晃に向かって、厳鬼がその鉤爪をふるった。
鮮血が飛ぶ。
歯を食いしばって悲鳴を飲み込み、激痛に顔を歪めつつ、愕然としながら晃は自分の右腕を見た。
二の腕のところのパーカーの袖が大きく引き裂かれ、中のシャツもろとも肉が抉られて血がだらだらと流れ落ち、見る見るうちに袖を赤く染めていく。
しかも、ただ傷口が痛いだけではない。その奥のほうから、体の芯に響くような痛みが次第に強くなりつつあった。これは、骨にひびが入ったかもしれない。
向こうで、物の怪を打ち祓いながら様子をうかがっていた者たちから、悲鳴のような声が上がる。
『ふん。腕を切り落としてやろうと思ったが、案外丈夫な骨をしてやがるな。だが、それでもう、その腕は使えないだろう。もう一本の腕は、作りものだと聞く。さて、まだあがくのか? 俺様は、その方が面白いからじっくりかわいがってやるがな』
晃は一瞬だけ、背後の様子をうかがった。背後には、やはりと言おうか、一つ目鬼が一体、身構えていた。こいつに背中から一撃を受けたのだ。いまだにうずくところから見て、背中にも鉤爪の傷が出来ているのだろう。
しかし、極限まで実体化しているだろうとはいえ、まさか実体あるものにここまで直接干渉出来るとは思わなかった。あの鉤爪が、本当に人の体を切り裂くことが出来るとは……
晃が傷を負った様子を見たアカネが、ますますいきり立って暴れるが、三体の鬼はうまく牽制し合い、晃に近づけさせない。
厳鬼が目で合図をすると、晃の背後にいた一つ目鬼もアカネのほうに移動し、四体でアカネを翻弄し始めた。こうなると、アカネが晃の元へ助けにやってくることなどまず無理だろう。
逆に、アカネ自身が手ひどくやられてしまわないように、笹丸が援護してやらねばならない。
厳鬼がまたも、空中から一気に襲い掛かってくる。しかし、今の晃にはそれを受け止めるすべはない。
必死にかわそうとするが、かわし切れずに鉤爪が右肩から背中にかけてかすめる。
かすめただけのはずなのに、パーカーの生地が裂け、内側のシャツさえも切れてたちまち血が滲み始める。
『おっと、言い忘れていたが、俺様の爪には毒があってな、この爪でつけられた傷からの出血は、つけられた奴が死ぬまで止まらないんだ。どうやってもな。わかるか? 貴様はどちらにしろ死ぬんだ。さっさと楽に死ぬか、苦しみのたうち回って死ぬか、好きな方を選べ』
地上五メートルの空中で、勝ち誇ったように、厳鬼が晃を嘲笑う。
「……ここで、屈するわけにいかないんだ……」
痛みをこらえながら、晃は厳鬼を睨みつける。
『ほう、のたうち回って死ぬ方を選ぶってわけか。俺様としては、たっぷり楽しめるから歓迎するが。じゃあ、早速行くぞ』
いかにも楽しそうに嗤うと、厳鬼は一気に距離を詰める。
何とか距離を取ろうとした晃だったが、相手の動きが速すぎて逃げられず、次の瞬間には左の太腿前部を厚手のデニム生地ごと大きく抉られた。
血飛沫が飛び、こらえきれずに呻き声を漏らした晃は、立っていることさえ出来ずに半ば飛ばされるようにして倒れ込む。ジーンズが、たちまち血に染まっていく。
「いやぁ!!」
「晃くん!!」
舞花の悲鳴と、和海の叫び声。
「小田切くん! 気持ちはわかるが、こっちも手いっぱいだ!! 意識を逸らし過ぎると、やられるぞ!!」
結城の叱咤する声が聞こえるが、苦悩の色は明らかだった。
すでに厳鬼は、空中に浮かび上がることもしない。あとは、じわじわ嬲り殺しにするだけだと思っているからだろう。