17.宣告と告白
誰もが、その言葉に息を飲み、絶句した。
「命を削ってるって……一体……」
思わず茫然と問いかける法引に向かって、松枝はさらに鋭い言葉を投げかける。
「そのままの意味だ。今回のことで、この子はおそらく、本来の寿命より二年は命が短くなっただろうな」
「!?」
今度こそ、全員が言葉を失った。
「しかも、前にも同じようなことがあったみたいだな。その時も、おそらく同じように命を削り、寿命を縮めたはずだ。累積で、四年は寿命を縮めてるよ、この子」
次の瞬間、雅人が『心霊研究会』の六人ところへ駆け寄るなり、一人一人の襟首を次々と掴んでは揺さぶって叫んだ。
「お前ら! 責任取れよ!! お前ら全員で、四か月ずつ早見に寿命を譲れよ!! そうすりゃ、少なくとも今回縮めた分の埋め合わせにはなるだろ!! お前らが! お前らが早見の足を引っ張ったんだぞ!! そのぐらい早見にしてやったっていいだろうが!!」
叫び続ける雅人の肩を、誰かが強く押さえるように叩く。振り返ると、それは医師の松枝だった。
「今の話を聞いて、なんとなく事情は察したが、『寿命を他人に渡す』なんてことは出来ない。仮にそういう術が存在していたとしても、それは使ってはいかん“外法”だ。第一、早見くんといったか、その彼が、それを望むと思うかい?」
そう問いかけられた雅人は、唇を噛みしめたまま言葉を失い、その場にがっくりと膝をついた。
松枝は、いまだに動揺が収まらないままの六人のほうに目を向け、さらに法引たちのほうに向き直った。
「彼らは、まだこの場にいてもらったほうがいいのかな? それとも、帰ってもらってもいいのかな?」
「……事情も訊き終わってはいるし、帰ってもらっても構わないと思ってはいるので……。彼らも、居たたまれない状態だとは思うし……」
法引の代わりに、隣にいた結城が答えた。他の者たちも、同意とばかりにうなずく。
それを確認して、松枝は六人を促した。
「君たち、家に帰りなさい。今日起きたことは、もちろん他言無用だ。いいね」
六人はあたふたと姿勢を正すと、それぞれ一礼し、逃げるようにその場を去っていった。
それを確認して、松枝は晃の側に戻ると、改めて右手をその顔の上にかざしてみて、大きく溜め息を吐いた。
「とにかくもう一度聞く。西崎、お前が一緒についていながら、なぜこんなことになったんだ。それに、普通は無意識のうちに歯止めがかかるものだ。“これ以上は危ない”とね。儀式的なことをしていて、事故が起きたとか、未知の術を使おうとして暴発させたとか、そういうことでもない限り、こんなことは起きないはずなんだが。何が起きたんだ?」
冷静に問いかける松枝に、法引はわかっていることを時系列に従って説明した。
それを聞き、さすがに驚きを隠せない表情で、松枝が事実関係を確認してくる。
「……それでは、邪神か、その配下が作り出した結界を、自力で破ってこちらに戻ってきたというのか!? その時に、自分の限界以上の力を使って、この状態になったと?!」
「そういうことなのだよ、松枝。早見さんの実力は、わたくしなどよりはるかに上で、わたくしの力では結界など破れなかった。どうしようもなかった……」
目を伏せる法引に、松枝は困惑の色を浮かべながら、改めて晃の顔を覗き込む。
「……君、まさか自分の意志で今回のことをやったのか? だとしたら、無茶苦茶だぞ……」
松枝は、自分の車に念のために担架を持ってきているので、これから取りに行く。自分のクリニックには、数は少ないが入院用病床もあるし、ちょうど空きもあるので、今から入院の手続きを取るから、と告げた後、特に法引や結城に向かって厳しい表情で告げた。
「とにかく、これ以上“命を削る”ような真似をさせてはいけない。これからは、削れる寿命が加速度的に増えていくことになる。もう二度と、させるな!」
「“加速度的に”とは、どういうことですか?」
俊之が思わず問いかけると、松枝が厳しい表情を崩さないまま答える。
「今回までは、削れる寿命は二年だった。だが、次に同じようなことが起こったら、削れるのは四年。その次は八年。その次は十六年。その次は三十二年。そこまで削れたら、もう終わりです」
つまり、削れる寿命は二倍で増えていくというのだ。
「三十二年削れたら終わりっていうのは、どうしてですか?」
舞花の問いかけには、今度は松枝は言い聞かせるように答える。
「これは、累積するんだよ。しかも、一度削れてしまえば、まず戻らない。数字を足し合わせてごらん」
言われて計算した舞花が、顔色を変えていた。
当然だ。すでに四年寿命が削れている。さらに四年削れて八年。それに八年加わって十六年。それに十六年が加わって三十二年。それに三十二年が加われば六十四年だ。
いくら日本人の平均寿命が延びたとはいえ、もし本当に六十四年寿命が削れれば、今二十一歳の晃があと何年生きられるというのか。
「だから、これ以上は絶対に、このようなことをさせてはいけない。わかりますね」
念を押すような松枝の言葉に、この場の誰もがうなずいた。
すると、いつの間にかアカネが晃の上に乗っかって、切なげにニャアニャア鳴いている。
それを見た松枝が、ぎょっとした顔になった。
「あ、すまん。説明するのを忘れた。あれはアカネといって、化け猫なんだが、早見さんに従属していて、害はない。それどころか、早見さんにとても懐いていて、普段は普通の猫と変わらないくらいなのだよ」
法引にそう言われ、松枝が信じられないという顔をする。
「……いろいろとんでもないな、その子は……」
すると、晃の胸元の乳白色の石から白い光が飛び出すと、柴犬ほどの大きさの白狐の姿となり、晃の上に乗っている化け猫をなだめるように優しい声で何度か鳴くと、猫はしぶしぶという感じで下に降り、白狐のところへ行くと、体を擦り付けるような動作をし、白狐は猫の体をなめてやり、落ち着かせているようだった。
それを見た松枝は、呆気にとられたような表情でしばらくそれを見ていたが、やがて法引に向かって説明を求めるかのように口を開く。
「……あの白狐は何だ?」
「ああ。あれは『笹丸』という名の元憑き神で、早見さんのことを気に入って、早見さんのところにいるんだ。化け猫のアカネに、“従属の術”をかけたのは、そもそも笹丸さんなのだよ」
「……本当に規格外なんだな、いろいろな意味で」
半ば呆れたようにつぶやくと、松枝は大きく息を吐いた。
そして、担架を持ってくるので、待っていて欲しいと声をかけると、松枝夫妻は急ぎ足でその場を離れていった。
それを見送ったあと、和海が口を開く。
「……気休めかも知れませんけど、わたしたちの“気”を晃くんに分けてあげるのはどうでしょうか? 少しはましになるのでは……?」
それには、法引が難しい顔になった。
「確かにそうなのですが……今の早見さんにそれを行うのは、危険があるかもしれません。本人が極限まで“気”をなくしている状態で、もしかしたら際限なく吸い込んでくるかもしれませんからな。そうなったら、こちらがそれを御して何とか途中で振り切れないと、危険な状態になるほど吸われてしまうかもしれません」
しばし、沈黙が続く。
「……でも、わたしはやりたいです。少しでも、晃くんに回復してほしいから」
和海の言葉に、結城もうなずく。
「そうだな。私たちに出来ることは、それくらいしかない」
そう言った二人の様子を見て、法引は昭憲に向き直る。
「お前はどうする? いやなら参加しなくてもいい。無理をする必要はない。多少の危険は伴うからね。覚悟が出来ていないものは、参加する必要はない」
そう言われると、逆に『はい、わかりました』と引っ込んでしまえるほど、昭憲は子供でも無邪気でもなかった。
「……参加すればいいんだろ、おやじ。参加人数が多いほど、一人一人の負担は軽くなるはずだしね」
四人はうなずき合うと、晃の周囲に集まり、晃の胸の上でそれぞれの左手を少しずつずらしながら重ねると、互いに呼吸を合わせ、ゆっくりと“気”を送り込んでいく。
だが、まるで底なし沼に手を突っ込んでしまったかのように錯覚するほど、“気”を吸われていく。そう、自分たちが送り込むのではない。晃の体に吸われていくと言ったほうが正しい。
晃自身意識がないのだ。歯止めなど、かけようがない。
四人は咄嗟に互いに目くばせしあった。そして、自分の右手で右隣の人物の左手首を掴み、息を合わせて同時に引きはがす。
四人の中では和海の力は弱かったが、一番自分で自分を律することが出来る法引がわざと右隣りとなり、半ば自力で引きはがしたため、何とか事なきを得た。
全員、冷や汗とも脂汗ともつかないものが全身から噴き出していた。膝がかすかに震え、息が上がっている。座り込みたくなるような虚脱感があった。
「……大丈夫ですかな」
何とか法引が声をかけると、他の三人も顔色が悪いながらもうなずいた。
「……しかし、危なかった。もう少しで、こっちもつぶれるところだった……」
結城が、額の汗を手で拭いながらつぶやく。
「……あの、そこに空いてるベンチありますから、休んだらいかがですか?」
一気に顔色が悪くなった四人を見かねて、彩弓が声をかける。
「……いえ、慣れてますから、大丈夫です。少し息が整えば、落ち着きますから」
和海がそう返すが、実際はかなりきつい状態だった。車の運転が出来るかどうか、ギリギリというところか。
そこへ、夫婦二人がかりで担架を担いで松枝夫妻が戻ってきた。
そして、すぐさま四人の異変に気付いた。
「……“気”を補ったのか。まったく、そんな危ないこと、よくやったな。この状態の人間にそれをやったら、やった方がえらいことになるのに……」
「……承知の上だ。少しでも早く、回復してほしいから。多少はマシだろう」
「それはそうなんだが……大丈夫か? ちゃんと歩けるか?」
松枝の問いかけに、法引はうなずき、他の三人も一瞬互いに目線を交わし合ったが、同様にうなずいた。
その時、ベンチに寝かされていた晃が、微かに呻き声を上げる。
ほとんど反射的に、全員がその周囲に集まった。万結花でさえ、その微かな声を聞きつけ、舞花に導かれてすぐ近くにやってきた。
晃は、うっすらと目を開けていた。だが、医師である松枝の診断によると、覚醒レベルは低く、相当に朦朧とした状態であり、意識が戻ったとはとても言えない状態だという。
「“気”を補ったせいで、一時的にでも全くの意識喪失からわずかに覚醒レベルが上がったんだろうな。だけどな、本人はこれ、本当に意識が戻った時には覚えていない程度のものでしかないぞ。とにかく、担架に乗せよう。誰か、もう一人担ぐ手伝いをお願い出来る人はおりますか?」
それには、俊之が名乗り出た。
ベンチのすぐ脇の地面に担架を広げ、そこに松枝と俊之で晃の体を乗せる。
そして、ゆっくり担ぎ上げようとしたところで、今までずっと様子をうかがっていた万結花が、晃に向かってそっと近づくと、頭を下げる。
「ごめんなさい。あたしのために、無理させて……。もう、無茶なこと、しなくていいです。ごめんなさい……」
晃が実は“命を削っていた”というのが、よほどショックだったのだろう。万結花の顔は、青ざめていた。
その時だった。
「……ま……ゆ……か……さ……」
晃の口から、微かな声が、零れ落ちた。
明らかに、万結花の名を呼んだとわかるその声に、誰もが息を飲んで固まった。
「……か……なら……ず……まも……る……から……」
朦朧した意識のまま、晃は万結花に向かって話し続ける。誰も動けない。
「……あ……なた……は……じぶ……み……ち……を……」
視線の定まらぬ晃の目から、涙が一筋、零れ落ちた。
「……あな……た……が……す……き……」
そこまでが限界だったのだろう、晃の目は、再び閉じられてしまった。
しかし、あまりのことに、皆固まったまま動けない。
いち早く我に返って周囲を叱咤したのは、医師の松枝だった。
「ほら! 患者を車に運ぶぞ!! 早く!!」
「は、はい!!」
凍り付いた時が動き出すように、松枝と俊之が晃を担架で運び出し、文子がそれに付き添う。
それを見送りながら、雅人が泣き笑いのような顔でつぶやいた。
「あの野郎、とんでもない時に、とんでもない告り方しやがって……」
しかし、それで様々なことが腑に落ちた。
妹の万結花が好きだからこそ、馬鹿正直に、邪神に挑むような無茶な選択をしたのだ。
そして、ある意味『命を賭けることになっても構わない』という言葉が、本当になってしまっている。
どこの世界に、本当に自分の寿命を縮める馬鹿がいるのか……
一刻遅れて、皆ぞろぞろと担架の後に続き始める。突然の告白をされてしまった万結花も、呆然と立ち尽くしていたところを彩弓に肩を抱きかかえられて、後を追う形となった。
全員が公園を離れた後、まるで封が解かれたかのように、公園や参道に人影が現れる。
それはまるで、邪神に狙われた“贄の巫女”を必死で護る者たちが、好奇の視線にさらされぬように、神社の御祭神たる女神が人目から守っていたかのようだった。