16.医師
晃の様子を覗き込んだ雅人が、愕然としながら震え声でつぶやく。
「同じって、何が同じなんだ?」
一歩遅れて駆け寄ってきた結城が思わず、雅人に尋ねる。
「……前に、倒れて入院したことがあったでしょう。あの時と同じなんです。あの時も、こんな状態だった……」
それを聞いて、和海も結城も思いだした。倒れた直後の、一切治療を受けていない状態を知っているのが雅人なのだ。自分たちは、病院で一通り治療を受け、最悪の状態を脱した後の姿しか知らない。
と、雅人は今度は『心霊研究会』の六人のところへ駆け出すと、帰れた帰れたと泣いてへたり込んでいる連中の中からぽっちゃり青年の姿を見つけると、襟首を掴んで無理矢理立たせる。
「おい! 向こうで何があった!? ちゃんと説明しろ!!」
「……ちょ……くるし……」
雅人のあまりの剣幕に、誰もが顔を引きつらせていたが、そこへ法引がやってきて雅人をなだめる。
「落ち着いてください。そもそも、襟首を掴んで締め上げていては、まともに話せないでしょう」
法引が雅人の手を離させると、ぽっちゃり青年はしりもちをついてせき込んだ。
「とにかく誰でも構いません。向こうで何があったのか、話してはもらえませんか? 早見さんが意識を失っている状態なので、あなた方に訊くしかないのです」
言葉使いは丁寧だが、嘘やごまかしが効かないだろうという、言いようのない威圧感を感じさせる目の前の僧侶に、皆おずおずと話し出した。
数えきれない数の“お化け”に襲われ、彼が一人でそれを祓っていたこと。それでも祓い切れずに自分たちも“お化け”にやられて力が抜けたりしていたこと。
彼が化け猫を呼び出して守ってくれたこと。そのあと、彼が空間を割り裂いたように見えた途端、戻ってきたこと……
「それで、早見さんはその時、どういう状態だったか、わかりますか?」
法引の言葉に、男子の一人がポツリと言った。
「……そういえば、こっちに戻る直前には、“お化け”を祓うたびになんかふらついてて……。大丈夫なのかなって、ちょっと思ったりしました……」
それを聞き、法引は苦い顔になった。晃は、明らかに限界以上の力を使っている。だからこそ、今意識を失って倒れているのだ。
だが、これはおそらくただ事ではない。先ほど自分も“視た”が、あれはまずい。
おそらく、ただ救急車で病院に担ぎ込めばいい、というものではないはずのものだ。病院へ運んで治療をすれば、前回同様回復はするだろう。だが、それで済ませてはいけない根本的にまずい何かがあると、自身の直感が教えていた。
法引が考え込んでいると、雅人の怒鳴り声が聞こえた。
「おい! お前、散々『自分は霊能者だ』って言ってただろ! あれだけデカい口叩いてたよな!! 早見はぶっ倒れることになるまで、お前らを守ったんだろ!? お前は、向こうで霊能者らしいことやったのか!?」
雅人に詰問され、ぽっちゃり青年が泣きそうな顔でうつむき、答えを返すことも出来ずに体を震わせている。
「……わかったよ。その沈黙が答えってわけだ。早見の足を引っ張りまくっておいて、関係ないから帰るとかいうなよな! もう少し、付き合ってもらうぞ!!」
実際、結界の中の異界で何があったのかは、行った者しかわからない。もう少し詳しい事情を訊くためにも、彼らにはこの場にとどまってもらうしかないのは、他の者たちとしても同じだった。
すると、晃の状態のひどさに川本家の他の人たちが騒ぎ始めた。
「とにかく、救急車を!」
俊之がスマホを取り出したところで、法引がそれを止めた。
「待ってください。普通の病院に収容しても、おそらくこうなった根本原因はわからないでしょう。実は、わたくしの大学時代の同期で、開業医になった者が居りまして、今でも時々連絡を取っているのです。その人物も実は、正式に修行をすればわたくしに匹敵する霊能者になれた実力の持ち主でしてな。彼なら、霊能者と医者の両面で今の早見さんの状態を診ることが出来ると思うのです。彼に連絡を取ってみます。彼のクリニックは、ここからそう遠くないところなので」
法引は、公園のあずまやのベンチまで晃を運んでくれるよう指示すると、自分は皆から少し離れてスマホで“大学時代の同期”のところへ電話をかけた。
指示を受け、俊之と昭憲の二人で晃の体を抱え上げ、公園へと運んでいく。和海や彩弓、舞花、万結花といった女性陣も、そのあとに続いた。結城と雅人は『心霊研究会』の六人を、やはり公園に向かって案内していく。アカネもそのあとを追った。
何故か、公園に向かう途中も、公園の中も、人の姿は見えなかった。
公園にやってくると、あずまやの中に入り、中のベンチに晃を寝かせる。
とはいえ、最近の公園のベンチは、横になって寝ることが出来ないように、わざと真ん中に仕切りがつけてある。
幸い、ここのベンチは背もたれもなく、中央の仕切りもそう高いものではなかったため、結城がジャケットを脱いでその上にかぶせ、枕のようにそこに頭を乗せ、脚はベンチの端から投げ出す形で横たえ、体がずり落ちないよう昭憲が支えるという形で何とか落ち着いた。
「……ここまで運んできて思ったんだけど、なんだか体も少し冷たいんだよ。なんか、仮死状態に近いっていうか……」
昭憲が、改めて晃を見下ろしながら心配そうに目を伏せる。
「救急車を呼ばなくて、ほんとに大丈夫なんですか?」
彩弓が落ち着かない様子で、晃と後からやってきた法引を交互に見ながら法引に声をかける。
「今すぐ手当てをしなくても、急に容体が悪化することはないと思います」
法引はそう言うと、雅人に向かって訊ねる。
「確か、前回倒れたときには、倒れたときから実際に病院に運ばれるまで、それなりに時間がかかったと聞いておりますが」
「確か、倒れたのは、おそらく鬼を追い払った直後だったはずです。それから、おれが早見の家に行って倒れているのを見つけるまで、小一時間はかかってたと思うので」
以前のことを思いだしながら、雅人が答える。
「でも、でも、前は前でしょ。今度はどうなるか、わからないじゃない!」
舞花が、泣きそうな顔で口をとがらせる。
すると、その舞花を後ろから抱きしめるように、万結花が腕を回した。
「まいちゃん、あたしだって、怖い。早見さんが、このままいなくなってしまうんじゃないかって。気配が弱くなって、どこにいるのかよくわからなくなっているんだもの。でも、きっと戻ってきてくれるって信じてるの。だって、『必ず護る』って約束してくれたんだもの……」
その間にも結城が、晃の容態を気にしつつ、例の六人への事情聴取を続けていた。
六人の供述は、どこか要領を得ないところはあったが、概ね法引が大雑把に聞き出した内容で間違いないことが確認出来た。
「……明らかに、物量でつぶす作戦だったんだな。まったく、たった一人で無茶をしたな、早見くん……」
傍らで、内容を聞いていた和海も、どこかやりきれない表情で溜め息を吐いた。
「そうでなくても、大量の物の怪に襲われて大変だったはずなのに、この人たち庇って……消耗した体で無理して結界を破ろうとしたから……」
『心霊研究会』の面々も、あまりに気まずすぎて、かえってひと声をかけてここから立ち去るということさえ思いつかないようで、あずまやのすぐ近くで固まったまま無言で下を向いて立ち尽くしていた。
そうして二十分ほど経った頃だろうか、公園の入り口に白衣姿で大ぶりのショルダーバッグを持った五十代ぐらいの男性と、スラックスタイプの看護師の制服を着、ショルダーバッグを持ったやはり五十代の女性が姿を現した。
それを見た法引が、あずまやから一歩出て手を振る。
「ここだ、松枝! 本来休みなところ、悪いなあ」
「おう、西崎! 例の患者はそこか! お前が頼ってきたんだ、何とか融通するさ」
松枝と呼ばれた男は、看護師の女性を伴って、あずまやへとやってくる。そして、中に結構人がいるのを見て、苦笑した。
「ずいぶん人が多いな。まあ、診察出来ないほどじゃないが」
男は改めて皆の方へ向き直ると、自己紹介をした。
「初めまして。私は、松枝藤吾と言います。そこにいる西崎の学部違いの同期で、本業は医者ですが、霊能者の真似事もしてまして、自分が手に負えない事例は西崎のほうに回したりしてるんです。一緒にいるのは、妻で看護師の文子です」
そして、ベンチに寝かされている晃のほうを見るなり、その表情が厳しいものになった。
ベンチの空いている側にバッグを置き、診察道具を出すが、それ以前にいやに鋭い目つきになって、晃の体を見つめている。
やがておもむろにシャツのボタンをいくつか外すと、そこから聴診器を入れて肺や心臓の音を聞き、昭憲に体を支えさせて背中からも音を聞いた。
そして、法引に向き直る。
「西崎、お前がついていながら、どうしてこんなことになった! この子は、ただ事じゃない。はっきり言おう。この子は、命を削ってるぞ!」
「え!?」