15.乱闘
一方、晃や『心霊研究会』から離れた一行は、彼らの姿が一瞬でかき消すように見えなくなったのを見て我が目を疑った。
しばし呆気に取られていたが、いち早く我に返った法引が、今の状況に気づく。
「……やられました。これは、早見さんを狙った罠です。早見さんを、結界の中の異界に封じ、わたくしどもから引きはがす相手の策です。まんまとはまってしまいました」
それを聞いた和海が、ぎょっとして法引のほうを見る。
「お、和尚さん、それじゃあ、晃くんは今頃……」
法引は、難しい顔をして腕を組んだ。
「そう簡単にはやられるような人ではありませんが、この結界がどれだけ強固なものかがわかりません。自力で戻ってこられるかがわからないのですよ」
一応法引は、晃が“人にして人にあらざるもの”であることは知っている。だが、彼が本気になった時、どれほどの力を発揮するかまでは知らないし、今回は巻き込まれて一緒に封じられてしまった者たちがいる。
彼らの“目”がある限り、晃は“人にあらざるもの”の力を使わないだろう。だから、自力で脱出出来るかわからない。いや、これだけ強力では、“あの力”を使わなければ、脱出は難しいのではないか。法引は、内心焦りを感じていた。
「もし、自力で戻れなかったら、どうするんだ?」
昭憲が、こちらは焦りを隠そうともせずに問いかける。
「……こちらから働きかけて、結界を破る手伝いをし、何とか中から打ち破ってくれるのを期待するしかないのが現状だ。わたくしの今の実力では、この結界は、破れない……」
「おやじ!」
その時、法引が改めて真顔で周囲を見回し、告げた。
「皆さん、護符の準備を。やはり、仕掛けてきたようです」
「チッ! 早見くんがいなくなった途端、これか!!」
結城が、舌打ちしながら護符を取り出すと、それに念を込めながら自分の正面に掲げる。
和海も、昭憲も、そして法引も同じように掲げ、川本家を囲む結界が形作られた。
その直後、辺りがまるで日が陰ったかのように薄暗くなったかと思うと、どこからともなく人とも獣ともつかぬ異様な物の怪が何体も現れ、結界の周囲を飛び回り始めた。
これらの物の怪自体は、そう厄介な存在ではない。祓う気なら、経験の浅い昭憲であっても、かろうじて祓うことが可能だろう。
だが、そこそこ数がいた。
そして、明らかに“贄の巫女”である万結花以外の川本家の人間を狙っていた。結界に阻まれてはいるが、執拗に狙ってくる。
元々はこうなった場合、晃が襲ってきたモノを祓うなり牽制するなりして隙を作り、逃げる予定だったのだが、こうなっては今いる人間で何とかするしかない。
「……わたくしが、祓う側に回ります。昭憲、わたくしの分の護符を渡すので、そのまま持っているように。それで、結界は維持出来る」
「わかった、おやじ」
法引の手にあった護符が、昭憲の開いていた手に渡る。
その直後、法引は直ちに懐から数珠を取り出すと、それを鳴らしながら読経を始めた。
読経を続けながら、数珠を持つ手を掲げ、物の怪に向かって突き出し、振り下ろすと、その物の怪はあっという間にその姿が薄くなり、そのまま見えなくなる。
しかし、この場にいた誰もが、違和感を感じていた。
何故、この物の怪どもは、万結花ではなく家族を狙うのか?
今まで物の怪の類は、万結花の無尽蔵ともいえる霊力を喰らうため、彼女を狙っていた。だが、今襲ってくるモノは、家族を狙っている。それは何故なのか。
疑問に思いながらも、それでも法引の力であと二、三体というところまで数を減らした。
その時だった。
参道脇の木々の間から、四人ほどの若い男が現れる。皆、服装はラフで、どことなくガラの悪さを感じさせた。
彼らは一行に駆け寄ると、和海や舞花を突き飛ばし、万結花の両手をそれぞれ男が一人ずつ掴んで引っ張り、残りは腕を振り回して周囲を牽制しながら、万結花を力づくで連れ去ろうとしたのだ。男たちの目に精気はなく、おそらく自らの意志で行っているわけではないだろう。
物の怪どもとは反対の方角から現れたことからも、物の怪どもに一行を襲わせ、混乱している隙に、いわば物の怪を囮にして連れ去る予定だったのだと推測される。だが、結界のせいで物の怪が直接襲えなかったこと、思いのほか法引が物の怪を祓う力が強かったことで、出るタイミングをいささか逸した形になったようだった。
そして、さらに襲撃者にとっての計算違いが重なる。万結花が抵抗したのはもちろんだが、この場にいた法引以外の男性陣がすぐさま追いかけてくるなり、一切躊躇なく殴り掛かったのだ。
結城はさすがに元警察官ということで、あっという間に牽制役の男を押さえ込んだ。昭憲は、プロレス紛いの飛び蹴り一発でやはり牽制役の男を蹴倒すと、自分はきれいに受け身を取って起き上がり、倒れている男に向かってさらにストンピングをかました。
そして雅人と俊之は、万結花の手を掴んでいる男たちに駆け寄ると、雅人は両手を組んでその手首めがけて真上から叩きつけ、俊之は狙いすました裏拳を顔面に叩きつける。
呻き声をあげて双方思わず手を離したところで、雅人は全力でラリアットを相手に喰らわせる。それで男はひっくり返った。
俊之はというと、追い打ちをかけるように、顔を手で押さえている相手に向かって、再度顔を狙っての見事なハイキックが決まり、男は吹っ飛んだ。
そこへ、すべての物の怪を祓い終えた法引が駆けつけてくる。
その頃には、空は元の明るさを取り戻していた。
「皆さん大丈夫……ですなあ……。どうやらその連中、操られておったようです。わたくしが喝を入れて、正気に戻るか試してみましょう」
法引は、押さえ込まれたり蹴転がされたりしている男たちに順次気合を込め、喝を入れていく。
すると、まさしく憑き物が落ちたように我に返り、自分の記憶と今の状況が結びつかずに困惑する、ということが人数分繰り返された。
法引は、彩弓が咄嗟にスマホで撮った動画を見せながら、状況を少し大げさに説明すると、“お互いなかったことにしませんか”と申し出た。
すぐ隣では、結城が睨みを利かせる。
おそらくここに居る四人は、カタギではないだろう。叩けば埃が出るに違いない。ならば、下手に警察沙汰にしていろいろ面倒なことにするよりも、体に付いた傷に目をつぶり、この場では何もなかったとしてしまうのが、双方面倒がない。
男たちも、それはピンと来たらしい。
実際、男たちも殴られたり蹴られたりしているときの記憶はないのだ。ならば、何とか我慢も出来る。
その条件で手を打つことになり、男たちは去っていった。
「それにしても、所長は元警察官だからわかるんですけど、他の人もずいぶん勢いよく行きましたねえ……」
和海が半分呆れながら問いかけると、法引がどこか遠くを見ながらつぶやいた。
「うちの愚息はプロレス好きでしてな……」
「……ああ、だから技が全部プロレスっぽかったんですね」
しかも、趣味で結構筋トレもしているらしい。
すると今度は、彩弓が苦笑しながら答えた。
「雅人のほうはただ無我夢中だったんだろうけど、うちの人の場合は、『昔取った杵柄』だわね。昔は、結構ヤンチャしてたから……」
地元が一緒だったそうで、俊之は元ヤンだったと暴露した。
「割と早めに足を洗って、夜学で大学を出て、今の会社に入ったみたい。真面目にサラリーマンしてたんだけど、娘の危機に昔の血が騒いだのね」
「おい、何もこんなところで……」
傍らでは、俊之が頭を抱えている。
皆が一時気が緩んだ、その時だった。
先程まで皆がいた辺りに鈍い光が走り、まるで虚空が裂けるかのような歪みが現れる。
誰もが息を飲んで見つめる中、歪みがさらに大きくなったかと思うと、一瞬にして消え去り、それとまるで入れ替わるように、晃と巨大化したアカネが姿を現した。アカネの四肢の間には、例の『心霊研究会』の六人が、座り込んだまま、まるで守られるかのように入っている。
だが、安堵する間もなく、晃はその場に両膝をつくとそのままばったりと倒れ込んだ。
「晃くん!!」
「早見!!」
和海が血相を変えて駆け寄り、雅人がそれに続く。法引や結城、昭憲、川本家の人々がそのあとを追いかけた。
和海が晃を抱き起す頃には、アカネも猫本来の大きさになって、駆け寄ってきていた。
「晃くん! しっかりして! 晃くん!!」
必死に声をかけるが、晃は全く反応せず、その顔色も蒼白で、呼吸も弱々しくとぎれとぎれにさえ感じられた。アカネもどうしていいのかわからず、ただうろうろするだけだ。
「……同じだ……。あの時と……同じだ……」