14.突破
辺りには、すでに神社の建物も見えなかった。すぐそばにあったはずの鳥居さえ、その姿を消していた。
その代わり、見たこともない朽ちかけた小さな社が見える。時間はまだ昼過ぎのはずだが、空はまるで夕暮れ時のような薄暗さで、紫がかった紺色になっている。
周囲の様子が全く変わってしまったのを見て、『心霊研究会』の連中は、全員が騒ぎ出した。
「うわぁぁぁ!! なんだぁ!! 瞬間移動でもしたのかぁ!?」
ぽっちゃり青年が、半ばパニックになりかけながら叫ぶ。その取り巻き連中も、真っ青になりながら辺りを見回した。
「嘘ぉー!?」
「なんで!? なんで!?」
「何が起こったんだぁ!?」
「あわわわわ……」
「ここ、どこなんだよぉ!?」
そんな六人に向かって、晃が珍しく声を荒らげる。
「だから言っただろう! 逃げろって!! さっさと逃げないから、こういうことになるんだぞ! これの標的はおそらく僕だったんだ。僕から離れていれば、巻き込まれなかったのに!」
晃は気づいていた。この罠は、自分を異界に封じて他の人から、“贄の巫女”から、引き離すための罠だったのだ、と。
晃一人が巻き込まれたなら、そんなに問題ではなかった。本性を現して、一気に力づくで突き破ればいいだけだ。だが、一緒に封じられた者たちがいるなら、それは出来ない。
晃に怒鳴りつけられ、六人は互いに顔を見合わせ、不安げにぼそぼそと小声で何かを話し合い始めた。その顔色は、すっかり青ざめている。
その様を見ながら、晃は笹丸に話しかけた。
(笹丸さん、まずいことになりました)
(そうであるな。早く出口を見つけ出さねば、おそらくこれから大変なことになるぞよ)
(大変なこと?)
(うむ。ただ異界に封じただけでは、そなたをどうこう出来るわけではないと、向こうもわかっておるであろう。ならば、脱出出来ぬように画策するはずなのだ)
(……そうでしょうね)
その直後だった。朽ちかけた社の扉が開き、そこから青白くも半透明の、人とも獣ともつかぬ異形のモノたちが次々と現れると、あるモノは地を這い、あるモノは宙を舞いながら、晃と『心霊研究会』の六人に向かって襲い掛かってきた。
六人が、それを見て悲鳴を上げる。
「まずい!」
晃は右手の人差し指と中指を揃えると、今にも襲い掛かろうとする邪霊とも物の怪ともつかぬモノに向かって、短い気合とともに真横に振り抜く。その瞬間、そのモノはたちまちのうちに霧散した。
近づくモノを次々打ち祓い、霧散させる晃だが、背後にいるのは六人。
物の怪どもは、一体一体は大したことはない。霊能者としての力量が一番低い結城や昭憲であっても、何とか祓えるだろう。だが、すべてを守り切るには、襲ってくる物の怪どもの数が、あまりにも多すぎた。
「おい! 自称霊能者! 仮にも霊能者を名乗るなら、仲間ぐらい守って見せたらどうだ! 一体ぐらい祓って見せろ!!」
襲い来るモノたちを必死に祓い続けながら、晃がぽっちゃり青年に向かって怒鳴る。
言われたぽっちゃり青年は、今にも泣きそうな顔で叫んだ。
「ボクは、霊が“視え”たり、なんとなく考えがわかったりするだけで、祓うなんて出来ないよ!!」
「なら、霊能者なんて二度と名乗るな!! 悪霊や物の怪と対峙し、それを打ち祓えるような力量を持ってこそ霊能者だ! だから言っただろう! ただ霊感があるだけなんだ、君は!!」
それでも、結果的には巻き込んだことは事実。何とか六人を守ろうと奮闘する晃だったが、数の多さに守り切れず、異形のモノたちに触れられ、わずかずつでも精気を啜られていく者が次々と出てくる。
やられた者たちは、急速に顔色が悪くなるので、すぐさま異常な状態だとわかる有様となるのだ。
晃自身、少しずつ消耗し、息が上がり始めていた。
(まずい。このままだと、全員消耗して動けなくなってしまう)
(物量で押してきやがったか。確かに、まともに戦えるのがお前ひとりじゃ、じり貧だ)
(こうなったら仕方がない。この連中の前では、切りたくないカードだったけど、切るしかない。アカネに頼もう)
晃は、今も襲い掛かる物の怪を祓い続けながら、胸元の紅玉髄に向かって心の中で叫んだ。
(アカネ!!)
直後、橙色の光が石から飛び出すと、光は急速に膨れ上がり、体長五メートルにもなる巨大な化け猫が出現した。
それを見た『心霊研究会』の連中は、二名がその場で腰を抜かし、一名が卒倒、残り三名も硬直したまま動けなくなった。
けれど晃はそんな彼らには構わず、アカネに向かって告げる。
「アカネ、そこにいる連中を守れ! この空間から抜け出すまで、周囲の物の怪に手出しをさせるな!」
アカネが低く唸り声をあげると、一足飛びに六人のところへやってくる。
その姿に、かろうじて立っていた三名の内二名がへたり込み、一名が逃げ出そうとしたが、アカネに前脚で押さえ込まれて座らされた。
そうした後、アカネは彼らの真上に陣取り、四肢の中に六人を庇い入れた。あとは、物の怪どもが襲ってくるたびに尻尾や前脚で蹴散らして、六人を守る。
それを確認して初めて、晃はやっとこの異界からの脱出の手立てを考える心の余裕が出来た。
とはいえ、物の怪どもはいまだに途切れることなく襲い掛かってきており、晃としても、いつまでもこの状態で持ちこたえることは出来ないとわかっていた。
実際、祓う動作をした直後、一瞬だが体がふらつくようになってきていた。
早く決着を付けないと、本当に物量につぶされてしまう。
晃はわずかに後ろを振り返り、アカネの脚の間に庇われている者たちの様子を見た。男三人で互いにしがみつき合いながら、恐る恐るという感じで、こちらを見ている者たちがいる。その中に、あのぽっちゃり青年もいた。
あとは、卒倒した女子を、腰を抜かしてへたり込んだ女子が介抱し、その近くでやはり腰を抜かした男子が無様にうずくまっていた。
少なくとも、何人かは自分に注意を向けている。迂闊なことは出来ない。
(……このまま祓い続けていても、埒が明かない。一か八か、力づくで破ってみる)
(おい、ちょっと待て! なら、せめて俺の力を呼び込め! このままやったら、いつかの二の舞だぞ! わかってるだろ!!)
(遼殿の言うとおりだ。無茶をしてはならぬ! そなたが倒れては、巫女殿を護る者がいなくなるのだぞよ!)
(わかっています! でも、探偵事務所の人たちの前でさえ、本性を現していないのに、あいつらの前でなんか、本性を現したくない!!)
(気持ちはわかるが、無茶だ!! やめろ、晃!!)
(遼さん、ありがとう。でも、今は敢えてやらかすよ。ごめん!!)
止める遼や笹丸を振り切り、晃は物の怪たちが襲ってくる間のわずかな隙を狙って、その力を振り絞り、自分たちを異界へと閉ざす結界を力づくで破ることを試みた。
失敗すれば、全員が異界に封じられたままになるという、最悪な事態を迎えてしまう。それだけは、何としても避けなければならない。
晃の脳裏に、微笑みを浮かべた万結花の顔が浮かぶ。
普段、心の奥に押し込めている想いが、激情となってあふれ出した。
どんなことをしても、結界を破ってみせる。たとえ、気力ばかりか生命力をつぎ込むことになろうとも。
揃えた右手の二指にあらん限りの力を込め、すべてを切り裂かんばかりに全力で振り下ろす。
なんとしても、戻るのだ。彼女の元へ。
自分が護るべき人の元へ。
自分が想う人の元へ。
その執念が、遼の力を呼び込まぬままで、ついに空間を割り開いた……