11.万結花
その日万結花は、自分と時を置かずに帰宅した兄から、晃が襲われたことを聞き、驚いた。
もっとも、あっさり相手を退けたと知って、胸をなでおろしたが。
そもそもが、帰宅した兄がいつもとは違う強力な気配を纏っていたため、どうしたのかと訊ねたことが発端だった。
兄の雅人が普段持っている気配とは全く違う、どちらかと言えば晃が放つ気配に近いものだったため、直感的に晃にお守りか何かを渡されたのではないかと気が付いたのだ。
そして、訊いた結果が“鬼に操られた人間による襲撃”という、一瞬背筋がぞっとするような話だった。
以前に、ほんのひと時だけ見た晃の姿を思い出す。驚くほどに整った、優しい顔立ち。男にしては、すらりとした細身の体。荒事などとてもこなせそうもない、華奢な体型。
でもその彼が、<念動>で屈強な男を弾き飛ばしたという。
いったい彼は、どれほどの力を秘めているのだろう。
時々家に来ていた時には、そんな雰囲気は感じさせない人だったのに。
彼に怪我がなくて、本当によかった。でも、とうとう狙われてしまった。
もっとも、兄に言わせれば『本人はとうに覚悟の上だった』そうだが……
本当に大丈夫なのだろうか。いくら覚悟の上だとはいっても、これ一回だけで済むわけではないはずだ。
きっと、繰り返し狙われる。自分と同じように。それでも、兄や父のためにお守りを渡すということは、自分を、自分の家族を護る、という意志を貫くということだ。
どこから、あの強さは出てくるのだろう……
雅人は、出来るだけ雰囲気が暗くならないようにするためか、少しおどけた調子で口を開いた。
「それで、おれやとうちゃんが操られたら大変なことになるだろ。だから、あいつがお守りを作ってくれたんだよ。その鬼は女で、男を誑かして操るっていうからさ」
「へー……」
兄はさらっと流しているが、“誑かす”というならどういうやり方で操るのかの想像は、おぼろげながらつく。以前、授業の一環で模型などに触れながら、いろいろ説明を受けたし。
そう思うと、操られる男が、なんとなく不潔に思えてくる。
でも、少なくとも兄と父は、晃の力で護られる。あの、暖かく優しく、強い気配で。
万結花は、自分の首にかかっているお守りの石をそっと握りしめる。
その石からも、晃の気配とその力の一端を感じる。暖かい。
そこに居なくても、晃の存在を感じることが出来る。
そして、右手首にはめている瑪瑙のブレスレット。これにも、晃の力が込められている。意識するたび、晃に護られているのだと感じられる瞬間だった。
自分は生まれつき、光のない世界に生きてきた。
ただ、聴覚以上になぜか気配に敏感で勘がよく、初めて行く場所でも、そんなに戸惑うことがない、今思えば少し不可思議なところのある子供だった。
それが、“贄の巫女”が持つ強大な霊力の一端で、ある種の超感覚に近いものだとは、結城探偵事務所に依頼を出し、その伝手で何人もの霊能者と知り合って初めて知った。
そうして知り合った霊能者の一人が、晃だった。
彼は突出した能力を持ち、何より、彼女が今まで感じたことがないほど、暖かな気配を纏う人だった。
ここ数年、悍ましい悪霊や妖の気配に追い回され、気の休まる夜がほとんどなかった自分が、晃の手で結界を張ってもらい、お守りを受け取ってからは、ちゃんと熟睡出来るようになった。
それでも何度か危険を感じる目に遭ったが、そのたびに晃に助けられた。
でも一度、力を使いすぎて入院することになったと聞いている。あの時は、自分もものすごく心配したが、こちらに来ていた化け猫も明らかにおかしくなった。
あの猫さんも、ご主人様のことが大好きで、あの時は心配でたまらなかったんだろうと思う。
その後、結構頻繁に家にやってくるようになって、何度か話してみて、心の奥に孤独を抱えてる人のような気がした。聞けば、両親との仲もあまりよくないのだという。
どうしてそう感じたのかは、自分でもわからない。でもあの人は、本当の意味で心を許せる友人とかが周りにいないような気がする。それは、自分の勝手な思い込みに過ぎないのかもしれないけれど。
それでも、兄と少しずつ打ち解けてきているようなので、それはよかったと思う。
あれで、兄の雅人は面倒見のいい人だ。ちょっとお節介な感じの兄だけど、どこか一歩引いている感じのあるあの人には、ちょうどいいかもしれない。
そう言えば、来週の週末に神社めぐりをすることになった。
これも、晃からの提案だった。
まだ仕える神を決める必要はないけれど、心の中で、将来この神に仕えたいと思う神をある程度定めておいた方が、いざという時心を強く持てるかもしれない、ということからだった。
あの日晃が帰った後、帰宅した父も加えての家族会議の結果、全員一致で“万結花の進路を見届ける”ためについてくることに決まった。
まあ、兄の雅人は、かなり渋っているようだったが……
確かに、家族全員でついていったら、それを守る立場のあの人の負担は増すだろうな、と思う。きっと、前にも一緒に来たことのある他の霊能者さんたちとともに動くのだろう。
でも、他の霊能者さんたちの気配は、どうも印象が薄い。晃のあの暖かで優しい気配ばかりが印象に残りすぎて、他の人の気配の印象が飛んでしまった。
一応、名前や声は覚えている。
探偵事務所の所長の結城さん。その秘書だという小田切さん。二人の知り合いのお坊様である西崎法引さん。“和尚さん”って呼ばれていたっけ。
そして、早見晃さん。
こうして思い返してみても、晃の気配の印象ばかりが記憶に残り、他の人の印象が薄い。
霊能者として力を使っているときはなおさら、感じられる力の大きさというか、強さが違う。視覚に囚われない分、より敏感に気配をとらえる万結花は、晃の力が他の三人とは隔絶しているとわかってしまっていた。
だからこそあの人は、一人で頑張ろうとするのだろう。孤独の影を感じるのも、そのせいなのかもしれない。
万結花はふと、前々から気になってはいたが、ずっと聞けないでいた下世話なことを兄に問いかけた。
「そういえば兄さん、最初に探偵事務所の人たちに来てもらってからしばらく経つけど、お金のほうは大丈夫なの?」
「ああ、それかぁ……」
雅人は一瞬苦笑し、こう答えた。
「お前は心配しなくていいさ。おれだけが払ってるわけじゃないし。それに、あの人たち、無茶な金額吹っ掛けるような人たちじゃなかった。お祓いなんて、相場はあってないようなもんだろ。事前にSNSでちょっと拾ってみたんだけど、料金も良心的だったっていうのがあってさ。それであそこに依頼したっていうのもあるんだ。まさか、そこで早見と出くわすとは思わなかったけどなあ……」
そこまで言った後、雅人はひとつ大きく溜め息を吐き、さらに付け加えた。
「それで、早見の奴がお守りとかに使ってる石は、自腹で買ってるらしい。一応バイト代ぐらいは貰ってるらしいんだが、それ以上に持ち出しでおれたちのためにいろいろやってくれてるらしいんだ」
本人は何も言わないんだけどな、と雅人は頭を掻いた。
少し前に、やはり依頼人として必要経費等のことを電話で話した時に、晃の行動の多くが、事後承諾の単独行動だと知ったのだという。もっとも、能力が違いすぎるため、晃が単独行動を起こしても、またいつものことだと流す癖がついたと、所長の結城は言っていたそうだ。
それを聞き、万結花はなぜ晃がそこまでしてくれるのか、わからなかった。もっとも、兄の雅人も同様だったらしい。
「……なんであいつ、あんなに馬鹿が付くくらい真面目に、邪神とやり合おうとしてんだろうなあ……」
「……確かに早見さんは、『どんなことになっても護る』っていつか言ってくれたけど、本当に危険なことに巻き込まれたりしたら……」
「……とっくにいろいろ巻き込まれてる気はするけどな。あいつが平然としてるだけで」
万結花はさすがに知らなかった。晃が雅人に対し『命を賭けることになっても構わない』と言っていたことを。
そして雅人自身が、それを妹に言うつもりはなかったことを。