10.危惧
晃は足早に駅に向かうと、途中で少し買い物をし、とりあえず結城探偵事務所に戻って、事の顛末を結城に打ち明けた。
「……それは、いろいろな意味で災難だったな。どちらが被害者か、にわかには判断がつかんが……」
複雑な表情で結城が唸る。
それを横で聞いていた和海も、やはり何とも言えない顔をする。
「……まあ、晃くんに怪我がなくてよかったけど……。でも、その女の鬼、また晃くんのところに来るんじゃないの?」
「ええ、近いうちに、確実にまた来ると思います。今度は、何人誑かして引き連れてくるかと思うと、気が重いですよ。さすがに数で押されると、きついですから」
それと、川本家の男性陣には、念のために自作のお守りを渡しておくことにしたことも話した。
「初めは兄の分だけ考えていたんですけど、父親だって魅入られたら危ないなって思い直して、二人分用意することにしたんです」
探偵事務所に戻ってくる前に寄り道して購入した二つのパワーストーンを、晃はデスクの上に出して見せた。
父親用には煙水晶、雅人用には黄水晶で、ちゃんと念を込めて選んできたものだという。
「今夜にでも力を込めて、お守りにするつもりです。明日、川本に会ったら、渡そうと思います」
「なるほど、わかった。和尚さんへは、やはり連絡しておいた方がいいかな」
「そうですね、お願いします」
結城が法引にSNSで連絡を入れると、ほとんど間髪を入れずに返答が返ってくる。
『了解しました。それにしても、次から次へと、問題が起こりますな』
その日のうちに、週末に法引も含めて皆で一回打ち合わせをしよう、というところまで話が進んだ。その次の週末と決まった、川本家の神社めぐりの護衛の話も、詰めておかなくてはならない。
そうして、事務仕事をしながらの雑談の中で、結城は改めて晃の<念動>について口を開いた。
「早見くんの<念動>だが、思っていた以上に強力なんだな。まさか、大人二人をまとめて吹っ飛ばすとは」
「……常時荷重をかけ続けるなら、大人一人分の重さを支えるのがやっとですよ。それに、正直<念動>で殴り合いなんて、やりたくないです。手加減とか、ほぼ出来ないですから。それに、長時間になったらかなり疲れますし」
「それでも、充分すごいと思うけど。普通、そんなこと出来る人、いないわよ」
「だからこそ、普段使わないようにしてるんですけどね……」
それから事務仕事の合間にレトルトで簡単に夕食を済ませ、キリのいいところまで進めると、結城と和海は午後七時半までにそれぞれ帰宅の途に就いた。
残された晃は、二階の間借りしている部屋に戻った。
あれから結城がいろいろ苦心して、室内無線LANを構築してくれたおかげで、晃が持ち込んだパソコンも、何とかネットに接続が出来るようになっていた。
開通直後にさっそく通販サイトで、肌着を含む着替えと靴をもう一足まとめ買いして、持ち出せなかった衣服の補充をしている。
もっとも、設定その他を晃も手伝ってはいるが。
新聞社のニュースサイトでその日のニュースを確認し、義手を外してシャワーを浴びて汗を流すと、パジャマ代わりの長袖Tシャツとスウェットパンツに着替え、お守りにする予定の石を取り出して右掌に軽く握る。
遼の力を呼び込み、全身に熱く冷たい炎が巡るのを感じながら、二つの石に力を込める。
今回は、相手が何をしてくるかの予想がつくため、それに対して精神抵抗力が高まるように、念入りに。もちろん、普通に悪霊などにも効き目があるように。
石にとっても晃にとっても限界近くまで力を込めると、遼の力を分離する。その途端、あまりの脱力感に座り込みそうになる。
それをどうにかこらえ、石に革紐を通して首から下げられるようにすると、それを店で購入した時に入れてもらった紙の袋に戻し、明日持っていく教材などを入れてあるワンショルダーのポケットに入れ、晃はそのまま倒れ込むように簡易ベッドに横になると、眠りについた。
一気に眠りに引き込まれて、気づくと翌朝だった。
時間的には、大学には充分間に合う時間だったが、晃の感覚としては少し寝坊気味の朝だ。やはり、疲れていたのだろう。
顔を洗い、身支度を整え、以前買っておいたシリアルに牛乳をかけた朝食を食べ、インスタントコーヒーにパウダーのミルクをたっぷり入れて、ほとんどカフェオレと変わらなくなったようなものを飲む。
食べた食器を洗って片付け、出かけようとしたところで和海と顔を合わせた。
晃が遅めに大学に行くときと、和海が早めに事務所に来るときが重なると、こうして朝に顔を合わせることになる。
「小田切さん、おはようございます」
「晃くん、おはよう。今から大学?」
「ええ。行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
探偵事務所から歩いて十分ほどで駅に着き、そこからは乗り換えなしの一本で大学までいける。
大学に着くと、なんとなくいつもより心なしか騒がしいような気がしたが、敢えて考えないようにし、いつものように講義を受け、昼休みに雅人の姿を探してカフェテリアできょろきょろと見まわすことになる。
雅人は、いつもの勢いでカレーを食べていた。それも大盛りだ。最近晃とつるむことが多くなったせいか、前につるんでいた連中が遠巻きに見守るような感じになっている気がするのは気のせいだろうか。
晃もカレー(こちらは並盛)を頼み、トレイを持って雅人のところにやってくると、声をかけた。
「川本、ちょっと話したいことがあるんだけど、ここ、いいか?」
「ん? ああ、別にいいぞ」
晃は改めて、雅人の向かいにトレイを置き、席に着いた。
「話って、なんだ?」
「うん、ちょっと、渡しておきたいものがあって。お前と、お前のお父さんに」
「あん? おれと、とぉちゃんにか? なんだ?」
「……ちょっと、説明すると、長くなるんだ。取りあえず、持っててくれないかな」
そう言うと、晃は煙水晶と黄水晶を取り出した。
「グレーのほうが、お前のお父さん、黄色い方がお前の方のお守りとして作った」
「まあ……お前がなんか訳ありで作ったっていうなら、ありがたく受け取るけど……」
雅人は訝しげに首をひねっていたが、ほかならぬ晃が出してきたものであるため、素直に受け取った。晃の表情がいやに真剣だったのと、石から感じる力が、本物だったからだ。
そして、話題を変えようと思ったのだろう、とんでもない爆弾を放り投げてきた。
「そういやさ、昨日事件があったの知ってるか?」
「事件?」
この時点で、晃は何となく嫌な予感はしていた。
「ああ。うちの大学、一応大学リーグに入ってるラグビー部があるんだよ。まあ、リーグではすっごい下部のほうなんだけどさ。そのラグビー部の主力三選手が、不可解な状況で怪我したって一部で騒ぎになってるんだ。おまけに、『心霊研究会』とかいう連中がしゃしゃり出てきてさ、『これは悪霊の仕業である! 悪霊に取り憑かれて、互いに殴り合ったのだ!!』とか言い出して、物議をかもしてるって話だぞ。しかも、肝心の怪我した本人たちが、その時のことを覚えてないらしいんだ。だから、余計に不可解だって騒ぎになってる」
「……」
嫌な予感が当たった。やはり、昨日の“事件”のことだった。
「お前霊能者だろう。どう思う?」
雅人は、まったく悪気なく聞いてくる。もはや、全部話した方がいいだろう。今回渡したお守りも、関わりのあることなのだから。
「……川本、大きな声を出さないって、誓えるか?」
「へ!? ま、まあ、誓える、けど……どうした?」
「一応聞くけど、三人の怪我の程度は?」
「確か、二人が打撲と捻挫、残り一人がそれに加えて鎖骨骨折だって話だ」
一人が意外と重傷だった。しかし、今更どうしようもない。
「……実はあの三人は、鬼に誑かされていたんだ。自分の意思を奪われ、操られていたんだよ」
それを聞いた雅人は目を剥いた。そして、一応小声で問いかける。
「おい、なんだそりゃ。てことは、“心霊研”は当たらずとも遠からずか。でも、よくそんなことわかるな。お前、遠隔は苦手なんじゃなかったか?」
「苦手だよ。何故わかるかと言えば、僕自身が当事者だったからだ」
「えっ?!」
「僕が、操られてたあの三人に襲われそうになって、やむなく<念動>でぶっ飛ばした結果、ああなったんだよ。こっちとしては正当防衛なんだが、状況が状況だ、言ったって信じてもらえないだろう。だから、あの三人には申し訳ないけど、黙ってたんだ」
雅人は、今度は驚きのあまり口をパクパクさせる。咄嗟に声が出てこないらしい。
「あの三人は、おそらくは禍神配下の女の鬼に誑かされ、僕を取り囲んで掴みかかってこようとしたんだ。<念動>を使わなかったら、僕がボコボコにされてるところだった」
おそらくは、手加減なしの暴行を受け、それこそ瀕死の重傷を負ってもおかしくはなかったのだ。
「腕力では絶対にかなわない。そんな相手が三人だ。こっちも奥の手を出すしかないだろう?」
「……お前の能力、とんでもないのな……」
唖然とする雅人に向かって、晃は続ける。
「で、話は最初に戻る。そういうことがあったからこそ、お前やお前のお父さんが操られでもしたら大変なことになるから、お守りを渡したんだよ」
「……なるほど……。よくわかった……」
晃は改めて、その鬼の能力が人間に化けて女の色香を使って誑かし、男を操るというものであり、だから“贄の巫女”の親族で、男である雅人と父親は操る標的となりうることを告げ、外に出るときには肌身離さず持っているようにと言った。
「色香に惑わされることがないように、精神的な抵抗力を上げるように力を込めてあるんだ。もちろん、普通にお守りとしての力も込めてある」
晃は、真顔で雅人の顔を覗き込みながら言葉を続ける。
「普通の人間じゃ、鬼の幻惑に抵抗するのはまず無理だ。始めから相手の正体に気づいていて、操られまいと抵抗しているなら、まだ可能性はあるけどね」
「しかしな、そういうお前はどうなんだ? お前が操られることはないのか?」
雅人が疑問をぶつけてくる。
「僕は、まず引っかからないよ。いくら相手が巧みに人間に化けようと、どこかに違和感があると感じるもの。それに……他にもまあ、いろいろと。どこで誰が聞いてるかわからないから、手の内は明かせないけど」
「う~ん。それもそうか」
雅人はしばらく考えていたが、不意にこう言った。
「大学の構内だけでも、出来るだけおれが一緒に居ようか? さすがに授業中はそういうことはないだろうけど、行き帰りとか、昼休みとか、おれがいたほうが面倒なことにならないんじゃないか?」
晃はやや苦笑気味に微笑むと、首を横に振った。
「気持ちはありがたいけど、無理にそんなことしてくれなくてもいいよ。相手はもう、構内では狙ってこないさ。大学内では、僕に太刀打ち出来そうな相手は見つからないと悟ってるだろうから」
いくら屈強な男を見つけたところで、今回と同じ結果になるのは見えている。それを崩すには、数を頼むか、<念動>を封じる何らかの方法を見つけ出す必要がある。
だからこそ、まず操られたら対処が難しい二人に、お守りを渡すことにしたのだから。
「……でも、仕方なかったとはいえ、あの三人には、悪いことしたなって思う。今更名乗り出るわけにいかないから、このまま黙ってるけど、あの三人には、そのうち何か埋め合わせをしてあげたいなあ……」
晃が溜め息を吐くと、雅人は苦笑しつつその肩を軽くたたいた。
「そこまでお前が気にすることじゃ、ないんじゃね? 不可抗力ってやつだ。怪我した三人だって、どうせ美人のお姐さんに鼻の下伸ばした挙句に操られたんだろうし、お前だって、相手に怪我させるつもりでやったわけじゃないんだろ?」
「それはもちろん。<念動>で人を殴るなんてことやると、手加減が難しいんだ」
本気になった状態で使えば、まだ制御が効くのだが、そんなことはここでは言えない。
すると、入り口からひときわ賑やかな一団が入ってきた。
大声で、ラグビー部の部員たちが巻き込まれた怪事件のことを話す彼らは、どうやら例の『心霊研究会』の面々らしい。
あまりに声高に話すものだから、今現在カフェテリアにいる者のほとんどの注意を引いてしまっているのだが、本人たちは一向に気にする様子がないというか、話に夢中でそれに気が付いていないようだ。
「それじゃあ、霊視の結果は、悪霊同士の代理戦争だっていうのか?」
「そうだよ。霊能者であるボクにははっきりわかった。三人それぞれ、違う悪霊に取り憑かれていて、その悪霊たちが、誰が一番強いのかやり合ったんだ。あの三人も、気の毒だよね。悪霊同士の争いに巻き込まれるなんて」
得意そうにそう話す人物は、眼鏡をかけてぽっちゃりとした感じの青年だった。それを囲んで話に聞き入っているのも、これと言って目立った特徴はない男女五人ほどで、霊能者だと名乗ったぽっちゃり青年の話を真剣に聞いている。
「……なんだろうなあ……」
雅人は思わず小声でつぶやき、晃の方を見ると、晃本人はテーブルに突っ伏しそうになっている。
「ず、頭痛が……」
真相を知るもう一方の当事者としては、見当違いもいいところの“霊視”に、本気で頭を抱えたくなった。本当に能力があるのなら、そんな結果は出ないはずだ。
『霊能者である』というのは絶対、本人の思い込みに違いない。もはや、妄想の域まで行っているとしか思えなかった。
だが……
「あいつらに、お前がガチものの霊能者だってばれたら、いろいろまずそうだな」
「……確実にめんどくさいことになるね」
「おれの友達は、そんなに言いふらす方じゃないからまあ大丈夫だろうと思うけど……」
「とにかく、極力関わらないようにしておく。あんなのに、関わってる暇、ないから」
そうでなくとも、禍神とその配下の者たちと、どう戦うか頭をひねっている最中だ。
余計な荷物を背負う気はない。
晃と雅人は、さっさと昼食を食べ終えると、いまだに悪目立ちをしている『心霊研究会』の連中を尻目に、慌ただしくカフェテリアを後にした。