02.悪しき予感
二人の女性が山で消えて騒ぎになっていた時分のこと。晃は週末に、午前中から結城探偵事務所に顔を出していた。その胸元には、いつものように月長石と紅玉髄の首飾りが揺れている。
「……あれから、川本家には大きな異変は起こっていません。ただ、嵐の前の静けさとしか思えないんですよね」
晃の報告に、結城も和海も顔を見合わせて溜め息を吐く。
「……嵐の前の静けさ、か。そうだろうなあ……」
「相手の動きが読めないのが、困るっていうか、もどかしいところよねえ」
二人の様子に、晃はぽつりと口を開いた。
「それはそうなんですが、ちょっと気になることがあるんです」
「気になる事って、なんだ?」
結城の問いかけに、晃は“不確実だ”と前置きをして、こんなことを言い出した。
「実は……最近、山で行方不明になる人がぽつぽつ出ているそうなんです。何か嫌な予感がしたんで、山の遭難事故の数を、新聞のアーカイブスで確認してみたんです。そうしたら、ここ一か月ほど増えていました。もちろん極端なほど異常ではないんですが、行方不明になる人たちに一定の傾向がみられるように感じたんです」
「一定の傾向?」
和海が怪訝な顔になると、晃はうなずく。
「ええ。特に最近行方不明になる人なんですが、比較的若い女性が多いみたいなんです。……偶然かもしれませんけど」
「……」
二人が押し黙る。
「……そういえば、例の禍神関連の封印があった場所って、みんな山の中よねえ」
和海がつぶやく。
「人里近くに、あんな物騒な神やそれに関係する存在を、ホイホイ封印しておくわけにもいかんだろう。もしそこが開発でもされて、封印のための祠なりなんなりが壊されたら、シャレにならん」
「ですよねえ」
結城の言葉に、和海が合わせる。
「実際に、わざと人目につかないようにしたんだと思いますよ」
晃はそう言ってから、A4の紙を一枚、テーブルの上に置いた。アーカイブスから読み取った数字を、表計算ソフトでデータ化したものをプリントアウトしてきたものだ。
「こうしてデータ化してみると、明らかに引っかかるんですが……確証があるわけじゃありませんからね。その現場へ行けば、わかることがあるかもしれませんが、いくらトレッキングコースだとはいえ、一日何時間も歩いてそこまで行くのは、正直ちょっと大変で……」
晃が、申し訳なさそうに肩をすくめる。
「晃くんは仕方がないわよ。そもそも呼吸器系が弱いんだし、ついこの間倒れたばっかりでしょ」
和海が、気にしなくていいとばかりに小さくかぶりを振るが、晃の表情はさえない。
「とにかく、私もデータを見させてもらうよ」
結城が、晃の資料を手に取って眺める。目を走らせるうちに、だんだん厳しい表情になってくる。
「……確かに引っかかるな、この数字は。しかも、持ち物さえ見つからない完全な行方不明になるのは、比較的若い女性ばかりか……」
しかも、遭難する山自体は違うものの、遭難場所を見ると、ある一定地域に収まるのだ。
全国各地に散らばっているというものではない。逆にそれが、不自然さを感じさせた。
全国でまんべんなく行方不明者が出ているなら、偶然の一致といえるだろうが、ある特定地域でだけ行方不明者が出て、それも若い女性ばかりが姿を消したとなれば、それはただの偶然とは思えなかった。
和海も資料を読み、難しい顔になる。
「たとえ絶対数は少なくても、なんか不自然さを感じるわね」
晃は、真顔になってこういった。
「僕の推測ですが、これは禍神が動き出したということなのではないか、と思うんです。以前、禍神の依り代になっているらしい女性と対峙した時、彼女は僕に向かって『“糧”になってもらう』と言ってきたんです。無論、何とか躱して逃げましたけど、逆に言えば人間を糧にして力を取り戻せる神、と言えるんじゃないかと思うんです」
結城も和海も、嫌そうに顔をしかめる。
「……昔は、本当に人を犠牲にする人身御供というのがあったぐらいだからな。それを考えれば、実際に人を[食う]存在であってもおかしくはないか……」
「で、でも、依り代となっているのは生身の人間でしょ。だったら、誰かに目撃されていてもおかしくはないと思うんだけど……」
「本人が来るとは限りませんよ。いつか山で見たでしょう、配下らしい鬼を。ああいう連中がさらってくるのなら、どこか拠点としてある場所まで運べば、どうにでも出来るでしょう?」
晃の指摘に二人ともますます顔をしかめてしまうが、充分あり得ることだと、二人とも認めていた。
「……妙なところから、行方不明者の持ち物がまとめて出てきた、なんてことにならなければいいが……」
「嫌な想像しないでくださいよ、所長!」
二人のやり取りを聞きつつ、晃は思い出していた。いつぞや笹丸が言っていた話を。
『さる土地を支配した禍神は、その地に住む人々に生贄を要求した』
笹丸はそう言っていた。ならば、今回のことも……
(晃殿、我も昨晩その資料の説明をされてから、ずっと考えておった。この行方知れずになった娘御たち、やはり生贄とされたのであろうな。無理矢理拉致されたであろうことが、やはり配下の鬼の仕業のように思える)
胸元にかかる月長石 の中から、笹丸が話しかけてくる。
(やはり、そう思いますか。で、この遭難が発生した場所をしばらく眺めていて思ったんですが、もしかしたらこれらの中心に何かありませんかね?)
(考えられなくはないの)
晃は、自分が考えたことを、二人にぶつけてみた。
すると、結城も和海もうなずき、早速そのあたりの正確な地図を出してくる。
さっそく地図上に、不審な遭難者が出た山をピックアップしていく。
しばらくしてその作業が終わると、誰もが一瞬押し黙ってしまった。
それは、大雑把にではあるが、ある図形を形作っていた。
「これ、六角形に見えるわよね……」
和海の声に、晃が答える。
「六角形ではなくて、“六芒星”というべきでしょうね。日本では、“籠目”でしたっけ」
「ああ。私も詳しいわけではないが、本来は五芒星と並ぶ魔除けの紋だな、確か」
結城が、考えながら答える。
晃は、多少歪んではいるものの、六芒星を形作るその場所の中心を、指で指し示しながら言った。
「……奇妙なことはまだあるんですよ。他の山では行方不明者が出ているのに、中心に位置するこの山には、それがないんです。ここだけ空白地帯なんですよ」
その山は、標高は高くない。山頂まで深い緑に覆われた、低山だ。だが、そう遠くない場所にちょっとした規模の地方都市があり、一連の行方不明者の捜索では、この市が中心基地になっているらしい。
今も、つい最近行方不明になった二人の女性登山者の捜索が行われているはずだ。
「以前、笹丸さんが言っていたことがあるんです。『かつて、禍神を封じた祠では、封印を強化する儀式が行われていた。それがいつの間にか、忘れ去られてしまった』と」
晃は頭を上げ、結城と和海の顔を、順番に見る。
「かつての封印の祠は、人里から離れてはいたけれど、人跡未踏なところではなかった。だから、この山にそれがあったのではないか、と思うんです。もちろん、確証なんかありません。ただの勘ですけど」
しかし、晃の勘がよく当たるのも、この二人は知っていた。
「だとすると、この山のどこかに禍神がかつて封印されていた場所がある可能性がある、ということか」
結城が、言いながら空白の山を指で指し示す。
「でも、もう封印は解かれたんでしょ? それなら、ここにはもう用はないんじゃないの?」
和海が首をひねると、話を聞いていた笹丸がつぶやいた。
(だからではないか、と思うがの。アカネの時と似たようなものではないかと思うのだ。アカネは、かつて自分が封印されていたところを、かえってなわばりのようにしておった。禍神も、かつての封印場所であるからこそ、そこに力の片鱗を残しておるのかもしれん)
(あ、なるほど。ありえますね、それ)
晃が、笹丸の見解を伝えると、二人はああ、とうなずいた。
「でも、それだけに、迂闊に近づくと危険かもしれないな。我々まで行方不明者の仲間入りをしてしまったら、どうしようもなくなるぞ」
結城が改めて、中央部の山に入るためのルートを地図上で確認する。
例の地方都市から行くとして、どうやっても行方不明者を出した山の裾野を通らないと、入ることが出来ない。
山裾だから大丈夫、とも言い切れないから、困るのだ。