17.エピローグ
深夜の高速道路を、郊外から市街地へ向けてひた走る、淡いクリーム色の軽自動車があった。
運転席でハンドルを握る和海は、体中から湿布薬の匂いをさせながら、助手席のほうを時折睨み、愚痴をこぼし続けていた。
「結局なんだったのかしら、最後のところは」
和海の愚痴は止まらない。
「どう決着がついたのか、はっきり覚えてる人はいないし、皆で怪我をするし、所長は運転を代わってはくれないし、本当に、どうなったのか。全然納得出来ない……」
助手席の結城が、苦笑しながら和海に言った。
「どうしようもないじゃないか。私も君も、途中で気絶してしまっていたんだ、どうやって、その間の出来事をわかれと言うんだ。それに、私が運転を代われないのは、今の私がこれだからだ」
結城が、厳重に湿布薬で包まれ、包帯までされている右手首を見せた。かろうじて骨は折れていない様子ではあったものの、ひどい捻挫で腫れ上がり、まともに手首を動かすことも出来ない状態だった。
体の他の場所にも湿布薬が張ってあり、車に乗り込むのにも一騒ぎをしたほどだ。
しかし和海は、結城に対しては同情的な口調にはならなかった。後部座席の晃を気遣っていたからだ。
当の晃は、広いとはいえない車内で、後部座席に上半身を横たえ、両足を座席の下に投げ出す格好で過ごしていた。後頭部には、ビニール袋に氷を入れて即席の氷嚢にしたものを乗せ、出来るだけ体を動かさないように、静かにしている状態だ。
懐中電灯を拾って皆を起こした晃は、悪霊を祓うことに成功したことだけを告げ、余計なことを訊かれないように気分が悪いからとうずくまったりした。
実際、打撲したところは相当に疼き、芝居でもなんでもなく気分がよくなかった。
島木宅で応急手当をしてもらっているときでも、話すに話せない当時の状況のことは、よく覚えていないと繰り返した。
そのため、頭を打った後遺症ではないかと心配され、後頭部を冷やして安静にしているようにと念を押された揚句、救急車を呼ばれそうになった。大慌てで大丈夫だと繰り返し、何とか帰途についたのだ。
(本当は、こんなことはする必要ないんだけどな。あのときのことを、はっきり言いたくなくて誤魔化したら、とんでもないことになった……)
(そりゃしょうがないだろう。頭ぶつけたショックで、気絶したことは確かだし)
(僕自身は、あの場で何が起きたか、わかっているから、余計に話せなくて……。悪霊を力づくで捕まえて、品物に直接強制封印するなんて、普通の能力じゃ出来るはずないからね。大体霊を封印するなら、それなりの聖別された品物を用意して、それなりの儀式的なことをする必要があるはずだし)
(まあな。俺とお前は、お互い記憶を共有してるから、俺の記憶を探れば、何があったかすぐわかる。けど……俺は、二つだけ後悔してるんだ)
遼が、申し訳なさそうにつぶやく。
(命を救うためとはいえ、お前にこんな人外の超常能力を与えちまったこと。そして、お前自身は憶えているはずもない事故のときの記憶を、結果として思い出せるようにしちまったことだ。俺が、何もかも見てたからな、あの現場で……)
(それに関しては、もういいんだよ、遼さん)
晃は、静かに答える。
(あの時遼さんは、本気で僕の命を助けようとしてくれていた。それがわかったから、僕は遼さんを受け入れた。遼さんを受け入れた時点で、すべては僕自身の宿命になったんだ。自分で選んだ道だもの、後悔はしていないよ)
(……晃……)
そのとき、晃は自分に呼びかける二人の声に気がついた。かなり必死で呼びかけている。
「晃くん、大丈夫なのっ!?」
「しっかりしろ、早見くんっ!」
晃は慌てて二人を交互に見、答えた。
「大丈夫ですよ。ちょっと考え事をしていただけです」
しかし、二人は納得しなかった。
「考え事をしているという雰囲気ではなかったぞ。それこそ、どこか朦朧としたような、心ここにあらずといった感じだった。病院に行かなくて、本当に大丈夫か」
「そうよ。念のため、今からでも病院に行ったほうがいいわ」
二人は、病院に行くようにと繰り返した。
晃は、ここでもし病院に行って、病院のほうから自宅にでも連絡が行ったら、それこそ探偵事務所をやめさせるために親が怒鳴り込んでくるに違いないこと。気分はどんどんよくなっているので、このまま様子を見てもまず大丈夫だと思うことなどを話し、病院へ連れて行こうとするのを何とか思いとどまってもらった。
しかし、晃の身を案ずる二人は、なかなか納まらない。
「もし、急に具合が悪くなるようだったら、すぐに言うんだぞ。こちらには、雇用主としての責任があるんだからな」
「そうよ、無理をして大事に至ったら、元も子もないわ。おかしいと感じたら、すぐに言ってね」
二人は何度も念を押し、一応落ち着いた態度に戻ってくれた。
(この二人が心配するのも、当然といえば当然なんだがな。普通、あれだけの勢いで壁に激突しといて、まったく無事っていう奴はいないぞ)
(無事じゃないよ。後頭部には大きな瘤が出来て腫れてるし、背中は湿布だらけだし)
(けど、体の芯は大丈夫だろう。俺が支えてるからな。精密検査したところで、わかるはずないけど)
(でも、今はそれより、母さんをどうやって誤魔化そうか、真剣に悩んでいるんだよ。帰りが遅くなったこと自体、絶対にかんしゃく起こすはずなのに、それで怪我して帰ってきたとなったら……)
(……反応が目に見えるな……)
(それを考えていたら、頭痛がしてきたよ)
(だがな、それを絶対に口にするなよ。うっかりしゃべったら最後、病院直行、精密検査だぞ)
(わかってるって……)
晃は、前の座席に座ってる二人の後姿を、見るとはなしに見ていた。
二人が、依り代だった高岡麻里絵の話をしている。彼女は、霊が離れて正気に返ったあと、これからのことについて、夫ともう一度話し合うことを約束してくれた。
どうやら、収まるべきところに収まりそうだ。
と、不意に和海が振り返り、晃の顔を見た。
「本当に大丈夫、晃くん」
「うわ! 前方不注意ですよ。前を見て運転してください!」
晃が焦って怒鳴った。その途端、不用意に力が入ったのがまずかったか、またも後頭部や背中に脈打つような痛みが走る。
晃は思わず顔をしかめた。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「大丈夫かと訊きたいのはこっちのほうだ。前を向いて運転しろっ! こんなところで事故を起こしでもしたら、それこそ元も子もないだろうが」
結城の大声に、和海は慌てて前に向き直った。
その時のハンドルのブレで、車が左右に揺れる。まるでスラロームだ。
「傍から見たら、酔っ払い運転と勘違いされるぞ。事務所に帰り着くまでは、絶対に安全運転だ。いいな」
結城にきつく言われ、さすがに首をすくめている和海に、晃が声をかけた。
「小田切さん……心配してくれる、その気持ちだけありがたく受け取っておきます。だから、安全運転でお願いします」
和海は、溜め息をつきつつもうなずき、改めて前方を見据えた。
深夜の高速道路は、車の絶対数は少ないものの、大型車が多い。
「気をつけなくてはね。無事に帰り着くまでが、仕事のうちということね」
三人を乗せた軽自動車は、彼らが住む町を目指して、道路を疾走していった。
人物紹介編である第1話は、これで終わりです。
原稿用紙換算で300枚を超える内容の話を読んでいただき、ありがとうございます。
ちょっと間隔を置いて、第2話を投稿します。
今度はもう少し、読みやすい分量で切るように努力しよう……