31.エピローグ
晃は、自室でぼんやりと座り込んでいた。正直今は、精神的な疲労感がひどい。
川本家から帰宅した後、母の智子との神経をすり減らすような言い争いというか、束縛しようとする相手を言葉の力だけで何とか押しとどめ、自室に逃げ込んだのだ。
智子は先程まで部屋の前で金切り声を上げていたが、さすがに諦めたらしく、今は静かだ。
気が付くと、アカネがいつの間にか膝の上に乗ってきていて、心配そうに晃を見上げていた。
晃が退院して戻って来てから、アカネはべったりと張り付くように寄り添ったまま、離れようとしなくなった。初めて心を許した“あるじ様”を喪うかもしれないと怯えた、その記憶があるからだろう。
実際、退院して初めてアカネに会った時、アカネは晃の胸元に飛びついてきた。そして、泣いていた。涙を流していたわけではないが、間違いなく泣いていた。全身の毛が逆立ち、体が小刻みに震えてさえいた。その時のことを思い出すたび、胸が痛くなる。
そして今も、晃が部屋にいる限り、こうしてくっついてくるのだ。
(……あるじ様、いなくならないで。わたい、嫌だ……)
(アカネ、ごめんよ。ほんとにごめん。でも、もしかしたら僕は、長生き出来ないかもしれない……)
(嫌だ。ずっと、一緒にいて……)
アカネが、晃の体に自分の体を摺り寄せてくる。
晃は、ただ黙ってその体をなでていた。
(……晃殿、本気で禍神に挑むのかの)
笹丸も近づいてきて、真剣な顔で晃を見つめる。
(禍神に挑むとなれば、只ではすまぬ。命をすり減らすどころか、命を落とすことにもなりかねぬぞ。それでも、やるのであるな?)
(……ええ。封印出来れば一番いいんでしょうけど、たとえ封印が出来なくても、僕が全力で食い止め、盾になれば、彼女に時間を与えてあげられる。そうすれば、禍神などよりずっとふさわしい神格に、巡り合えるかもしれない。彼女の笑顔を、見ていたいんです……)
(うーむ……。引く気はなさそうであるな。我としても、止めるすべは持ってはおらぬしの……)
(晃、お前意外と言い出したら聞かないところがあるから今更なんだが、“贄の巫女”に惚れたのもマジなら、そのために自分が盾になるつもりなのもマジなんだよな?)
(ああ。マジだよ、遼さん。それは、わかるだろう?)
遼が、困り果てたというように溜め息を吐いた。
こうなっては、晃は止められない。止められる存在がいないのだ。
霊能者として突出している晃は、本気になれば結城や和海はもちろん、笹丸や法引でさえ力づくで弾き飛ばしてしまえるほどの実力者だ。
その彼が本気で立ち向かう覚悟を決めたのならば、それを引き留められるものは、誰もいない。
(晃、止めたって無駄だろうからもう止めないが、せめて無茶なことはするな。あの娘の笑顔を見たけりゃ、命知らずなマネは絶対やめろよ)
遼の説得に、晃は静かにうなずく。
(そりゃ、本当に命を懸けるようなことは極力避けるよ。ただ、そのつもりがなくても、どうなるかはわからないだろ。その覚悟だけは、しておくつもりなんだ。いざというとき、護りたいものを護れなくなってしまったら、後悔するなんてもんじゃすまないだろうから)
言いながら晃は、どこか遠くを見るような眼差しになった。
(……川本さんには、神社めぐりを勧めようと思う。神社を回るうち、これはと思う神に出会えるかもしれないだろう? 善き神であればあるほど、自分からは手を伸ばしてこないと思うから)
(だけどな、理屈ではそうでもちょっと心配だぜ、俺は)
神社めぐりなど始めれば、禍神はその狙いに気づくだろう。実力行使に及ぶ危険性が高くなりはしないか、それが心配だった。
それでも、万結花自身の夢である『資格を取って働く』という、当たり前のことを実現するためには、彼女に禍神に抗うための信念のようなものを持ってほしい。どんな状況であっても、禍神の要求を撥ねつけられるだけの心の強さを。
その一環として、自分が将来仕えたい神格を心に決めれば、少しは心が落ち着くのではないか、という判断だった。
(出来る限り、僕が付き添う。そうすれば、少しは危険度が減ると思うから)
それはそうだが、晃自身が相手の注意を引いているというか、敵対するものだと認識されているはずなので、かえって標的になる可能性がある。
だが、いくらここで説得を試みたところで、晃の心が固まっていれば、そうそう応じるはずがない。
(相わかった。そなたが出かけるときには、必ず我とアカネを連れていくようにな。これでも我は、多少の知恵はあるし、それを貸すことも出来る。アカネは、相当の実力の持ち主。必ず力になるであろう。それに……)
笹丸は一度言葉を切り、晃にくっついたまま離れようとしないアカネの体を優しく舐めた。
(アカネとて、もう置き去りにはされたくないであろう。そなたが居らぬ間、なだめるのが大変であった……)
何度も『あるじ様のところに行く』と家を出ようとして、そのたびに笹丸が引き留めていたのだと聞かされた。抜け出したところで、晃が入院していた病院の場所を正確に知らない状態では、街中をさ迷い歩くしかなかったはずだ。第一、諦めて帰って来ても、結界に阻まれて自力では中に入れない。
それでも会いに来たがったアカネのことを思うと、自分は“あるじ様”失格なのではないか、とさえ晃は考えた。でも、そうだとしても、自分の命が終わるまで、アカネの元にいてやるのが、“あるじ様”の最低限の務めだ。
晃は、自分の体にすり寄ったままのアカネを片手で抱き上げると、その顔を真正面から見つめた。
(アカネ、これからは、危険なことも多くなるだろうけど、それでも一緒にいてくれるかい?)
(わたい、あるじ様の側がいい。危なくなったら、わたいがあるじ様守る。だから、一緒にいたい……)
その目を潤ませながら、アカネは晃に向かって前脚を伸ばした。晃がアカネを抱き寄せると、アカネはそのまま晃にしがみつく。
(アカネ、僕はダメなあるじだよ。お前を幸せにしてやれない……)
(わたい、あるじ様の側に居られれば、それでいい。それで幸せ。あるじ様、絶対守る。だから、ずっと一緒にいよう?)
遼が、再度大きく溜め息を吐いた。
(健気すぎて、涙が出てくるぞ。とにかく、無茶するな。早まるな。一人で背負い込むな。お前の悪い癖だ、誰かを頼れ。何度も言われてるだろ?)
(……うん……)
晃は今一度、万結花の笑顔を思い浮かべた。
彼女が笑って生きていられるように、自分は手を尽くしたい。そのためには、禍神の手をなんとか逃れて、穏やかな神格の元で巫女として生きていけるようにしなければならない。
“贄の巫女”が仕える神を決めるのは、一生に一度のこと。一度言霊による契約が結ばれたら、その命が尽きるまで、契約は破棄出来ないのだ。
それに、大きな神社だからといって、そこに祀られた神が巫女に対して優しいかどうかはわからない。彼女にとって相性のいい神格は、探さなければ見つからないだろう。
そして、そういう行動をとっていれば、当然禍神に目を付けられやすくなる。
自分が全力を尽くしたとして、どこまで盾として持ちこたえられるかわからない。
それでも、自分は決めたのだ。
あの笑顔を護るため、“神”に挑むと。
これにて、第六話は終了です。
第六話の登場人物紹介を挟んで、第七話をスタートさせたいと思います。
第七話でも、事態がどんどん動いていく予定ですので、頑張って書き綴っていきたいと思います。
それにしても、コロナ禍おさまりません。
東京に住んでいるもので、毎日発表される数字がねえ……
そして、雨の被害もひどいものになりました。
被災された方、心からお見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。