24.孤悲
識域下の世界に引き込まれた翌々日の夕方、晃は大学の帰りに川本家に立ち寄った。
あの夜の出来事は、法引や探偵事務所の二人には翌日メールで知らせたが、万結花本人には直接伝えるべきだと考えたのだ。
インターホンを押すと、対応したのは雅人だった。彼も、大学からすでに帰宅していたらしい。
短いやり取りの後、ドアが開いて雅人が姿を現す。
「とにかく入れよ。万結花も、帰って来てる」
「わかった。お邪魔するね」
二人はそのまま居間に行った。そこには、初めて会った時のように、万結花がいた。
「川本さん、こんにちは。ちょっと、耳に入れておいた方がいいことがあったので、アポなしだったんですが、来てみました」
晃の声に反応して、万結花が微笑む。
「早見さん、いらっしゃい。なんですか、その『耳に入れておいた方がいいこと』って」
それは、と晃が口を開きかけたところで、彩弓がお茶を入れて持ってきた。
「せっかく来てくれたんだから、お茶でも飲んでいってね」
「……かぁちゃん。なんだかんだ言って、早見の顔見に来たんだろ。ほんとにいい年して……」
あきれ顔の雅人をよそに、彩弓はいそいそと座卓にお茶を出した。
さすがに、出されたお茶を飲まないのも失礼であるため、晃は差しだされた湯飲みを手に取り、口を付ける。程よく熱いお茶が、喉を通っていく。
「いい香りですね。おいしいです」
「ありがとう。うちの子たちも、そのくらいのこと言えるようになってくれてるのかしらねえ」
「何気に失礼だぞ。おれだって、礼儀ぐらいわきまえてるっての」
再び雅人と彩弓のやり取りが始まりそうになったので、晃は内心苦笑しつつ口を挟んだ。
「あの、一応話があってここに来たので、それを話してもいいですか?」
その途端、親子はあっという顔で晃のほうを見、それから気まずそうに目を逸らした。
隣では万結花が、やはり何とも言い難い苦笑のような困ったような表情を浮かべている。ただ、いつものことだと達観してもいるような感じだ。
「……とりあえず、話ってなんだ?」
照れ隠しなのか、ややぶっきらぼうに雅人が話を促す。
そこで晃は、一昨日の夜のことを話した。『禍神を身に宿した仮面の女性』のことを。それ以前に、すでに自宅に結界を張ってあることも。
「おそらくその人は、僕が“贄の巫女”である川本さんを護っていると推測したうえで、識域下の世界に引きずり込んだのだと思う。一応、顔を見られないように細工することは出来たから、お互い顔はわからない。でも、街中でばったり出会えば、互いに気配で気付きはするだろうね」
「……それって、ヤバくね?」
雅人が顔をしかめる。いわば、攻撃側と防衛側のトップ同士の顔見世のようなものだったからだ。
「だから、顔を見られないようにしたんだよ。顔を知られたら、一方的に呪詛みたいなものをかけられたかもしれない。でも、今回はそういう事態にはならなかったから」
「なんか、話の内容がヤバすぎて、ちょっとついていけないんだが……」
「今のところは大丈夫。それに、何事かあってもそちらに迷惑はかけないから、心配しなくていいよ」
「いや、別な意味で心配だ、それ」
雅人の言葉に、彩弓も万結花もうなずく。
「そうだよ、そんなこと言うもんじゃないわよ」
「早見さん、危ないことはしないでください。あたしのために、無茶なことしないでください」
万結花は真剣だった。さすがに、ことが大きくなりつつあることを、敏感に察しているのだろう。
「大丈夫ですよ。少なくとも、相手と直接対峙するようなことにはなってません。いくらでも、やりようはありますから」
晃は、万結花に向かって優しく語りかける。
「あなたは、自分の夢を諦めないでください。夢に向かって、一歩一歩歩んでいってください。僕はそれを、全力で応援しますから」
「……早見さん……」
万結花が、どこか切なげに晃のほうを見る。その顔を見た途端に、晃の胸に何とも言えないもやもやとした感情がこみあげてきた。
“ずっと彼女の側にいてあげたい。彼女を護りたい……!”
それは、依頼を受けたからというには、どこか生々しいものだった。
初めて彼女と話をしたときから、心のどこかにずっとあったものだ。
しかし今は、そんなことにかまけているときではないだろう。
晃は気持ちを切り替えると、すでに渡してある首飾りと腕輪を出してくれるように頼んだ。
「これですか」
言われた万結花は、それを外して晃のほうへ差し出す。それを受取ろうとした晃の手と、万結花の手が一瞬触れあう。
瞬間、二人はハッとして声もなく互いを見る。万結花も、気配でどこに誰がいるかわかるため、晃のほうを見ていた。
「あ……すみません。僕の注意が足りませんでした」
「いえ。普通にテーブルの上に出せばよかったんですよね」
「おい、大丈夫なのか? 早見」
二人の様子に、多少顔を引きつらせた雅人が声をかけてくる。なまじ“下手に触ると文字通り身の破滅となる”と知っているため、内心焦ったようだ。
「ああ、ごめん。大丈夫。お互い触ったのは手だけだから」
そう言うと、晃はそれを持って立ち上がり、気を込め直してくると居間を出た。
しかし、一瞬万結花と間違いなく触れたところが、なんとなく熱を持っているような気がする。なんとなくだが、心臓の鼓動が早くなった様な気もする。何故だろう……?
(……晃、お前さ……もしかして……?)
(え?)
(自分で気づいてないのか。お前、あの娘が好きなんじゃないか?)
(へっ!?)
いきなりの指摘である。晃は一瞬頭が真っ白になった。
晃は実は、女性とまともに付き合った経験はないと言っていい。顔立ちのせいで浮き上がり、さらに子供の頃から強かった霊感のせいで言動が少しずれていたこともあって、本当の意味で女の子と付き合ったことがなかったのだ。
見た目で寄ってきた女の子たちも、晃のどこかずれたというか、意識が霊や妖のほうについ向いてしまう言動に引いてしまい、離れていく。そういうことの繰り返しだった。
特に事故に遭ってからはそれが顕著で、さらに体の障碍のこともあって、完全に浮いていた。
実際、晃が今まで心を多少でも動かされた存在と言えば、実は幽霊たちだったりする。
生きた人間の女性を意識したことなど、そういう意味では、今までなかったのだ。
(ま、まさか……。彼女は“贄の巫女”だ。そんなこと、思うわけないじゃないか……)
そう言いながら、晃は自分が動揺していると自覚していた。
遼がものすごい勢いで溜め息を吐く。
(……まあいいや。“袖振り合うもなんとやら”というしな。とにかく、早く力を込めちまえよ)
(あ、ああ。そうだね……)
人目を避けた廊下の隅で、遼の力を呼び込むと、お守りとなる二つの品物に改めて気を込め、素早く力を分離すると、晃は虚脱感を抑えて居間に戻った。
そして、今度は雅人を介して、お守り二つが万結花の手に渡る。
「わあ、すごいですね。それに、やっぱり早見さんが力を込めたんだってわかります。なんだか、とても暖かい感じがするから」
お守りを身に着けた万結花が、嬉しそうに微笑むのを見て、晃はふと、“彼女がかわいい”と思っている自分に気が付いた。
遼の言葉で、変に意識しているせいなのかもしれないとは思ったが、“このまま彼女の側に居られたら……”と考え始めている自分に気が付き、頭の中がなんだかぐしゃぐしゃになってくる。
だんだん、自分で自分が信じられなくなってきた。
「それじゃ……そういうことだから、一応用心して。僕は帰ります」
このままここに居たら、どうも妙な方向に行きそうだと直感した晃は、そそくさと立ち上がり、帰ることにした。どちらにしろ、大学からの帰りに寄ったのだ。
それに、そろそろ帰らないと、家に着くのが不自然に遅くなり、また母親からぶつぶつ言われるのが確定する。