22.過ぎたる力
『僕は、只の霊能者ですよ。すべては、依頼があったからです』
冷静に答える晃に、仮面の女は苛立ちを抑えきれないというように肩を震わせる。
『嘘つくんじゃないよ! 大体只の霊能者が、それだけ強力なキツネの力を借りられるもんか!』
どうやら相手は神の力を宿してはいるものの、霊的な力の見極めに関しては、素人同然だとわかった。今の晃が、笹丸の姿を借りているだけだと見破れないのだ。
識域下の世界では、晃は半ば本性が現れた状態となる。ちゃんと両眼両腕があるのだ。だからこそ、今の晃はそれなりの気を纏っているはずだ。
確かに笹丸は、かなり力を持った元憑き狐ではある。だが、その実力は晃と比べたらお話にならないほどなのだ。本来なら、一連のことは晃自身の力だと看破出来なければいけないのに、それが出来ずに白狐の力だと思い込んでいる。
おそらく元々は、まったく霊感がないか、多少あったとしてもそれほど強いものではなかったのだろう。それがいきなり相当強い力を行使出来るようになって、まだ本人がそれを使いこなせていないのだ。
『僕がどういう存在であるのかは、別にあなたには関係ないでしょう。それに、一言忠告だけはしておきます。神の力を宿し続けるのは無謀だ。破滅しますよ』
『うるさい!! せっかく望みをかなえる希望が出てきたのに、とやかく言わないでよ!!』
『“望み”とは何ですか? 無茶な望みは、身の破滅につながるだけです』
『あんたは何よ! 上から目線で! 私の気持ちが、あんたなんかにわかってたまるもんか!!』
『あなたの望みがわからない以上、一般論を言うしかありません。あなたが縋ったのは、“禍神”とさえ呼ばれる存在。安易に人が近づいていい存在ではありません』
『うるさい! うるさい! うるさい!! 私の願いは、あの方が叶えてくれる!! あの方が、力を取り戻しさえすれば!!!』
相手は勝手に怒りを募らせていくようで、晃は内心これはすでに相当禍神の影響を受けているのだろうな、と思った。
そうなると、まともな話し合いにならないだろう。相手の隙をついて、識域下の世界から、さっさと脱出したほうがよさそうだ。
『……あんたがやっていることは、あの方が力を取り戻すのに邪魔になるのよ。おとなしくしていてくれればよし。そうでなかったら、二度と邪魔が出来ないようにするしかなくなるわね』
怒りを含んだままの口調で、相手が晃を指差した。
『……脅しですか?』
『脅しじゃない。本気よ』
『“二度と邪魔が出来ないように”と言いますが、どうするつもりですか?』
『……どうしようかしらねぇ……』
相手は再び低く嗤った。
もしかしてこれは、何事もなく帰すつもりはないということか。
『僕としては、“禍神”とまで呼ばれた存在に与するつもりはないですけどね』
『じゃあここで、あの方が力を取り戻すための“糧”になってもらうわよ』
相手は、両腕を大きく広げる。明らかに、何か仕掛けてくるつもりだ。
いくら半ば本性を現している状態とはいえ、晃はまだ本気の状態ではない。本気で遼の力を呼び込めば、いくら相手が見極めの素人であっても、気配ががらりと変わるのに気付くだろう。さすがに、これ以上手の内をさらしたくない。
だからといって、相手は逃がしてくれなさそうだ。
(あの女のセリフから考えて、“魂喰らい”と同じような力が使えるのかもな)
(そうかも知れないね。だとしたら、かなりまずいんだけど)
(おそらくは、相手の命運を喰らうのであろう。厳密には違う。だが、結果的には同じようなことになる。違うのは、“魂喰らい”が相手の命運のみならず魂そのものを喰らうが故、霊や物の怪にも力を及ぼすのに対し、相手のそれは命あるものでなければ効かぬであろうな。魂自体が消滅することはまずないであろうが、それを喰らえば無事ではすまぬぞ)
相手の両掌に、異様な力が集まりつつあった。あとはもう一、二秒の勝負となる。
(笹丸さん、力を貸してください。どうせ向こうは、勘違いしてくれていますから)
(であろうな。急ぐぞ)
笹丸が、相手に聞こえないようにぼそぼそと何事かつぶやく。晃は笹丸から力が流れ込み、それが防護障壁のように自分の前に集まってくるのを感じた。素早くそれに力を注ぎ、さらに強化する。
見えない障壁が出来上がるのと、相手が両掌を揃えてこちらに力を叩きつけてくるのがほぼ同時だった。わずかに障壁が形作られる方が早く、相手の力は障壁にぶつかり、障壁の三分の二を削って止まる。
『馬鹿な!? これを止めるなんて!』
驚愕したように、相手がびくりと体を引きつらせる。
『こっちだって、みすみすやられるわけにはいきませんからね』
刹那、晃の体を覆う白い毛が次々と抜けてそのまま空中に広がる。あっという間に、まるで煙幕のように相手の周辺を真っ白に覆い尽くした。
『ああっ! もう、何よ?!』
苛立ちを隠せない相手の大声が聞こえる。
しかし、晃はこの隙を逃すつもりはなかった。
下手なことをして余計に興奮させるよりは、相手が視界を失っている今のうちに識域下の世界から抜け出すことに専念することにしたのだ。
あの白い毛は、直接の視界だけではなく、気配なども混乱させる力があるらしい。笹丸が、そう教えてくれた。
ならば、相手がこちらを“視る”ことが出来ない今、すぐに距離を取れるなら全力を出しても大丈夫だろう。
晃はためらうことなく遼の力を呼び込み、一気に離脱を図った。
元々は相手の無意識の世界に引き込まれていただけに、まるで水中を進んでいるような抵抗があったが、ある時点でそれがなくなり、一気に自分の意識の世界へと浮上する。
そのままハッと目覚めて起き上がった。
時計を見ると、午後十一時。ベッドに横になったのが確か午後十一時になる少し前だったから、引き込まれていたのはわずかに十分弱だ。
しかし、そんな時間に思えないほど疲労感があった。やはり、あの実力行使を伴ったやり取りは、結構な消耗を招いたらしい。
(大丈夫か、晃殿)
ふと気づくと、すぐ傍らに笹丸がいた。今は、いつものように柴犬サイズだ。
(ちょっと消耗しました。うまく逃げられたとは思うんですが、どこまで相手がこちらの情報を掴んでいるかわからないので、不安が残りますね)
(そうであるな。だが、そなたの真の力にはまず気づいてはおらぬであろうよ。あれは、自分に与えられた力を持て余しておる。使いこなせれば恐るべき相手になっていたであろうが、あの女では宝の持ち腐れであろうて。しかも、本人はそれに気づいてはおらぬ)
(ですね。しかしあれじゃあ、中に宿している神がもう少し力を持ったら、相手の操り人形になってしまうでしょうね。そして、最後に待っているのは破滅……)
(まったくだの。だがあれでは、おそらくそなたが善意で説得しても、聞く耳を持つまいよ)
(せめて、相手が何を願っているのかがわかれば、少しは説得材料になるとは思うんですが……おそらく、『口外するな』と言い含められでもしてるんでしょうね)
(あの女、説得するのは無理じゃないか? かたくなに、自分の望みを果たすには禍神が力を取り戻す必要があるって思い込んでるみたいだったぜ)
(でも、敢えて禍神とも呼ばず、『あの方』と言い続けてたけど……バレバレと言えばバレバレなんだよね)
(それにも、何か意味があるかもしれぬな。もしやとは思うが……)
笹丸が、言葉を切って考え込む。なんだか、嫌な予感がした。
(……もしかしたらだがあの女、さらに余計なことをやらかしておるやもしれぬ)
(余計なこと?)
(もう一度、思い返してみよ。あの姿での、異様な“気”を。あれはただ、依り代になっているだけではないかもしれぬのだ)
そう言われ、晃はもう一度彼女の姿を思い浮かべる。そうじろじろ“視て”いたわけではないが、そう言われてみると引っかかる。
何が引っかかるのか、考えているうち、はっと気が付いた。自分とアカネの間のような、何らかの絆めいたものが感じられたのだ。
(……まさか、『名付け』!?)
(であると我も思うぞ)
おそらく本人は、それほど重要な意味があるとは思っていないだろう。禍神と呼びたくなかったから名を付けた、くらいの考えだっただろう。そして、新たにつけた名前を伏せるように言われていた、というなら辻褄が合う。
だが、人ではない存在に名を与えるということは、ある種の呪いだ。それも、かなり強力な。下手をすると、相手の魂とこちらの魂を直接結んでしまう、などということさえ起こりかねない。
(もしそうなら、あの女性は……)
(……そうであるな。もしかしたら、こちらが救いたくとも、救えぬ状況に陥っておるやもしれぬ)
(うわっ。なんておバカなんだ、あいつ。おそらく知らないでやったんだろうが、知らないってのは怖いねえ……)
遼が呆れたようにつぶやく。
(でも、それだけに相手は禍神のために全力で動く。そういう意味では、これ以上厄介な相手はいないよ、遼さん)
(だな)
しかし、だからといって今出来ることは何もない。
今の晃に出来ることと言ったら、明日に備えて眠りにつくことくらいだ。
念のため、ベッドの周囲に力を込め、軽く結界を張って再び意識が引っ張られることがないようにしながら、晃は改めて眠りについた。