18.禍神
その日の夜、晃は改めて笹丸から話を聞いた。
川本家から帰ってから一時出かけていた笹丸は、新たな話を聞き込んで帰ってきたのだ。
(晃殿、神使の狐より新たな話を聞いてきた。かなりまずい内容であった)
(まずいって、どういうことですか?)
晃に問いかけられて、笹丸は人の眼で見ても“顔をしかめた”とわかる表情を浮かべ、溜め息を吐く。
(彼らによれば、解き放たれたるは『邪神』『悪神』としか形容のしようのない存在であったという。彼らは、『禍神』と呼んでおったそうだ)
(『禍神』……)
千年近く昔、その神は自らの配下、眷属を引きつれ、何柱もの土地神を打ち倒し、己が治める地を作り上げようとした。
その土地に住む人々は、その地に住んでいるというだけで神より生贄を差し出すように言われ、拒んだり渋ったりしたものの土地には疫病を流行らせたり、虫に襲わせたりして神罰を与えた。
まさに、恐怖で人々を支配した神だったという。
(結局は、あまりにも多くの神を敵に回したため、強力な神であったにもかかわらず、多数の神の協力により封印されてしまったという。だが、長い年月により、人はその神の存在を忘れてしまった。それゆえ、封印を維持するために行う二十年に一度の儀式があったらしいのだが、それがいつの間にか行われなくなってしまったという)
神は、人の営みに対して無理な干渉を行うことは、本来許されないのだ、と笹丸は言った。
(人々が強く願ったのならともかく、そうでなければ余計な手出しなどせず見守るのが、土地神の役目ゆえな。それが今回、裏目に出てしまったらしい)
(裏目とは、行わなければならない儀式が、行われなくなってしまったということですか?)
(うむ、そういうことだ。それで封印が少しずつ緩み、それにより封印を免れて逃げおおせていた配下の者を使い、ここ数年少しずつ力を取り戻してきていたらしい。そして今回の封印破りだ。それを行った人間が、目覚めつつあった禍神によって何かしらの影響を受けた末に、操られたとしても不思議ではないからの)
(厄介ですね)
今回封印を解かれた禍神と呼ばれた神。その神が“贄の巫女”の存在をはっきり確認したら、間違いなく接触してくるだろう。己の力を取り戻すために。
(あれだけ長い間、人から忘れ去られていた神、おそらく力は往時のものとは比べ物にならぬほど弱体化しておるであろう。それだけに、“力”を求めてくることは、大いにありうる)
そして、そのような神であるならば、“贄の巫女”を見つけ次第、いかなる方法を用いても自分に仕えると言わせようとするだろう。そう言わせた暁には、彼女の霊力を喰らい尽くし、力を取り戻そうとするのは間違いない。
(霊力を喰らい尽くされれば、巫女は死ぬ。文字通り“贄”として。そして、それをためらったり哀れと思ったりするような存在ではない)
笹丸の言葉に、晃は唇を噛んだ。どんなことをしても、これ以上力を付けさせてはいけない存在だ、『禍神』という神格は。
(そいつ、ほんとに神と言えるのか? 妖なんじゃないのか?)
(遼殿よ、たとえそういう存在であろうと、人は神として祈りを捧げるのだよ。特に、自然の理もよくわからず、病や虫の被害になすすべもなかった時代の人々だ。彼らは、間違いなく祈っていたのだよ。『どうか災厄を起こさないでください』とな)
(ああ、そういう方向でか……)
自然科学の知識が豊富になり、自然の脅威にある程度対応出来るようになった現代人であっても、人は神の存在を否定しない。日々の安寧を神に祈る。特に、この国のように毎年どこかで大きな災害が起こるような国であれば、なおさら。
だからこそ、このような荒魂であっても神として認められ、祈りを捧げる対象となりうるのだ。
(例えば、『憎くてたまらぬあいつを滅ぼしてください』などと願うものがいたらどうする? あの神格は、その願い、聞き届けるぞ。そうであるならば、それを願ったものにとってはあれは紛う事なき神なのだよ)
禍神と呼ばれるほど、災厄しかもたらさぬように見える神だとて、ある考え方によれば、それは崇められるべき存在へと変わるのだ。
(はっきり言って、禍神が本来の力を取り戻してしまったら、とても人間が太刀打ち出来る存在ではない。力を取り戻す前に、再度の封印を試みる以外、対処の方法はないであろう。だが……)
(だが、どうしました?)
晃が問いかけても、笹丸は言葉を濁す。しばらく押し黙っていたが、やがて重い口を開いた。
(実はの、肝心の禍神が今どこにいるのか、わかっておらぬのだ。いかに力衰えたる存在と言えど、神は神。その力の痕跡を追うことは可能なはずなのだが、追い切れておらぬらしい)
(え!? それはどうことですか?)
(かつてかの神を封印したる神々も、その行方をつかめておらぬということだ。考えられる可能性としてはいくつかあるが、一番可能性が高いのは人間を仮初の依り代としておる場合かの。そう考えるのが、一連の出来事の辻褄が一番合うのだ)
おそらくは、封印を解いている者であろう、と笹丸は結論付ける。
(ただの、神をその身に宿すというのは、相当な負担となるはずなのだ。まだ力を取り戻しておらぬから、何とか耐えられるであろうが、力を戻していけば、いつか人の体の器では耐えられなくなる日が来る。そうなったとき、待っておるのは破滅以外の何物でもない)
それに、と笹丸は付け加える。
(禍神を宿したりすれば、まずやられるのはその精神であろうの)
宿した神の性質に引きずられ、普通の人間なら到底考えもしないことを平然と思いつき、実行してしまうだろう。それが、傍から見れば“外道”と罵倒されるようなことであろうとも。
そもそもそのような神を敢えて自らに宿すような者はそういないだろうから、すでにある程度心を操られていたか、あるいは何か相当強い思いがあったか、そのどちらかだろうというのだ。
ただ、どちらにしても、ただの人間が神の依り代になるということは、短い時間ならともかく、ずっと宿したままにしておくというのは、危険すぎるという。
精神に異常をきたすか、体が耐えきれなくなって命を落とすかのどちらかの運命をたどるしかないのだ。
(だとすると、神を宿してしまった人を見つけないといけないことになりますよね)
(確かのその通りなのだがの、どうやって見つける? 神々でさえ、探しあぐねておるというのに。だからこそ、余計にまずいのだ)
笹丸が、大きな溜め息を吐いた。
晃もまた、しばらく考え込んでいたが、眉間にしわを寄せたままぼそりとつぶやく。
「川本家の人々を、囮にしたくはないけどなあ……」
あれほどの攻撃を受けたのだから、何がしかの力を持つ存在があの家に注目しているのは間違いないだろう。それが禍神なのかどうかはまだわからないが、仮にそうではなかったとしても、禍神は必ず“贄の巫女”を探す。力を取り戻すために。
川本家の周囲で見張っていれば、狙っている相手の尻尾を掴むことが出来るかもしれない。
しかし、それは川本家の人々、中でも巫女本人である万結花を囮にすることでもあるのだ。万が一のことを考えると、別角度からのアプローチが欲しい。
(笹丸さん、その禍神関連の祠とか、配下の者を封じているだろう場所の情報ってありませんか? 封印を解いている者に先回りして封印を強化すれば、相手の妨害が出来るんじゃないかと思うんですが)
(それも一つの手ではある。ただ、よほど強化しないと、封印は破られるであろうよ。もし本当に神を宿した相手なら、いくばくかでも神の権能を使えるはず。それに打ち破られないほどの封印となると、そなたら全員で時間をかけて儀式を行って、やっとどうにかというところであろうよ)
(そうなりますか……)
肝心の封印されている場所だが、ある程度伝承が残っていればいいのだが、『禍神』ですらほぼ忘れられていた存在なのだ。その配下や眷属となると、人間側に伝承はまず残っていないだろう。
しかも、相手は禍神自身に導かれているから、関連する場所は比較的簡単に特定出来るだろうが、こちらは当時封印を施した神々を探し、場所を問うしか方法がない。
今回神使の狐よりもたらされた情報も、いわば狐同士の人脈(?)により、伝手をたどってようやく聞き出せたものだった。
それぞれの神の名はわかる。だが、その神がどこに鎮まりし神なのかは、こちらが調べなければならないのだ。
(ある程度力を持っておる神ゆえ、きちんとした社に祀られておるであろうが、どの神社の御祭神が該当するのかを調べるのは、相当な手間であるぞ)
(でしょうね……。うわ、思ってたより大変だ……)
神社の御祭神としての名前と、狐たちが伝えてきた名前が違う神もいる。細かい差異は、こちらが補正する必要がある。
けれど、ある程度後手に回ったとしても、やらないよりはマシに違いない。
晃はひとまず、今回笹丸がもたらしてくれた情報を、他三人にメールで送った。
すると、五分もしないうちに返信してきたのは法引だった。
やはり、関連した場所の封印を強化したほうがいいということで、自分も伝手を使ってそれらしい場所がないか、調べてみるとのことだった。
他のメンバーからも、了解した旨の返答があった。
すると、しばらく部屋の隅でおとなしくしていたアカネが、晃の元にやってくるなり、いきなりその体の上によじ登った。
(あるじ様、どっか行くの? わたいも一緒に行く!)
(……言うと思ったよ)
アカネは、そのまま晃の頭の上に陣取った。
こうなると、それを認めない限りアカネは頭の上から降りない。アカネが自分のわがままを通そうとするときに使う手だった。
もっとも、晃が本気で拒絶すれば、従属の術がかかっているアカネは従わざるを得ないのだが、晃自身が強い態度に出ないため、アカネは結構自分のわがままを出すことが多い。
猫というものはそういうものだと思えば、晃は特に腹も立たないのだが、当然遼からはツッコまれる。
(晃、お前はなぁ……。“飼い主”なんだからちゃんと躾けろよ! アカネはただの猫じゃない。強力な力を持った化け猫なんだぞ!!)
(まあそうなんだけどね、今回に限っては、アカネに一緒に来てもらったほうが、心強いからさ)
遼が盛大な溜め息を吐いたのがわかった。
(ほんとにお前は……なんでいつもいつも、そうだだ甘なんだ……)
(……アカネに甘いのは、自分でも自覚してるさ。でも、この子にはこのくらいでちょうどいいとも思ってる。あかねはまだ、本当の意味で“傷”は癒えていない)
(そう言われると、こっちとしては何にも言えなくなるんだがなぁ)
実際、これから行おうとすることは、危険が伴うのは間違いなかった。『禍神』の配下や眷属の復活を阻止しようというのだ。
当然、封印を解いて復活させようとする者とばったり出くわす可能性もあり、直接出くわさなくとも、そういうことをしていれば、確実に“敵”だと認識されるはずだ。
そうなったとき、どうなるのかは全くわからない。ただ、敵認定されるのが、出来れば自分ひとりであればいいと晃は思っていた。
かろうじて法引なら、ある程度までは対処出来るだろうが、結城や和海では本当に危険な事態に陥るかもしれない。
自分なら、本気を出せばかなり強力な存在でも対抗出来る。
その時、笹丸が晃の顔を見上げながら語りかけてきた。
(晃殿、また自分ひとりで背負い込もうとしておるのではあるまいな? 今度ばかりは、それは危険であるぞ)
見透かされた、と晃は思った。さすがに、考え方を読まれたか。
(確かに、まともに対抗出来るのはそなた一人であろう。だが、だからといってすべてを一人で引き受ける必要もないのだ。法引殿もいるであろう。結城殿や小田切嬢は、力は確かに劣るが、だからといって何も出来ないわけではない。アカネはそなたに懐いておる。そなたのためなら、喜んで動こうぞ。そなたには、仲間がいる。それを忘れてはならぬ)
(……はい)
晃は静かにうなずいた。