12.深夜の攻防
しかしその深夜、川本家は突然の家の鳴動で家族全員が目を覚ますことになった。
「地震か!?」
慌てて飛び起きた雅人が見たものは、窓に引かれたカーテン越しに、いくつもの火の玉が飛び交っている有様だった。
「や、ヤバい」
今まで結構な数の霊やら物の怪やらを見てきた雅人だったが、今回は極め付きにまずいと直感した。
こうしてはいられないと、急いでスマホだけを引っ掴んで部屋を飛び出すと、廊下の明かりをつけ、階段を駆け下りる。そして万結花の部屋に飛び込むなり明かりをつけると、そこは異様な気配に満ちていた。
「兄さん!」
飛び込んできたのが雅人だと気づいた万結花が、不安げにこちらに顔を向ける。
万結花の部屋の、カーテンの隙間から見える窓の向こうには、いくつもの手が伸びて窓ガラスを叩こうとしている。
今にもガラス窓が破られそうな気配に満ち、万結花はすっかり怯えているようだった。
一応まだ結界は効いているはずだが、この調子だといつまで持つかわからない。
雅人は、無茶を承知で晃の携帯に電話をかけた。
今の時間は午前二時。今電話をかけたら、寝ているところを叩き起こすことになるだろうが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。
四回、五回と呼び出し音が鳴る。早く出てくれと雅人が祈るような気持ちで耳を澄ませていると、六回目の呼び出し音のところで電話が取られた。
「……どうした?」
寝起きのいくらかぼんやりした声だ。
「早見! 今、ヤバいんだ! どうすりゃいいんだ!?」
「……確かに、かなり危険な状況だね。念のためとは思っていたんだけど、あのお守り、あるかい?」
晃の言葉に、雅人は万結花の胸元を見る。あの首飾りが、かかったままだった。
「あるよ! あれをつけていれば、大丈夫なのか?」
「すぐには襲われない。今からそちらに行くにしても、タクシーを捕まえたとして最低四十分ぐらいかかると思う。この状況だと、それまで結界が持つかどうかわからない。使いたくなかった奥の手だけど、使うしかないな……」
晃はいったん言葉を切ると、こう言った。
「今から緊急で、ある存在をそちらに送る。驚くかもしれないけど、受け入れてくれ」
「なんだ? 何かあるのか?」
「ごめん、ちょっと事情があって、いったん切る。でも、対処しないわけじゃないから、信じてくれ」
直後、電話は切られた。
「おい!!」
雅人が切られた電話に向かって思わず叫んだ途端、万結花の胸元にある紅玉髄が柔らかな橙色に光り始める。見る間にそれは大きな光の塊となり、石を離れて部屋の真ん中でさらに膨れ上がった。
その光はやがて、体長二メートルにもなる獣の姿となり、ついには長くふさふさとした毛並みを持つ三毛猫となった。
「……化け猫!?」
雅人がほとんど腰を抜かしかけたところで、猫はついと窓のほうを見、まるで威嚇するように低く唸った。
それに気圧されたのか、窓を破ろうとする手の動きが鈍る。
「うわぁ!!」
突然、背後から悲鳴が上がった。
振り返ると、開けっ放しだったドアの前で、両親と妹の舞花が座り込んでいた。どうやら、目を覚ましてここにやってきたものの、化け猫の姿を見て腰を抜かしたらしい。
悲鳴を上げたのは父の俊之で、母の彩弓や舞花は、驚き過ぎて声も出ない様子だ。
後方の騒ぎなど意に介さないように、化け猫はゆっくりと万結花のほうに向き直ると、ぬぅっと顔を近づける。
ハッとした雅人が、必死に間に割って入ろうとしたとき、万結花がそれを止めた。
「兄さん、大丈夫」
「え、なんで?」
それには答えず、万結花もまた化け猫のほうに向き直る。しばらく見つめ合う状態が続いたが、はどなく化け猫のほうが体の向きを変え、ドアのほうへと顔を向ける。
廊下で座り込んでいる三人は顔を引きつらせたが、万結花が口を開いた。
「大丈夫。この猫さんは、早見さんがここに送ってきたの」
「何!?」
家族全員が驚愕していると、化け猫はのっそりと歩き出したかと思うと、その体がぼやけ、一瞬で廊下のかなたにその姿が消えた。
「な、何が起こったの?」
震える声で舞花がつぶやくと、万結花が答える。
「あの猫さんは、“この家で一番危ないところへ行く”って言ってたわ。この部屋はまだ大丈夫だから、ここにいて欲しいって」
「もしかして、あの猫も念話ってやつが使えるのか? それにしても……あいつは化け猫まで送り込めるのかよ……」
雅人が驚き半分呆れ半分で、猫が消えた廊下の先を見つめた。
「そういや、一番危ないところって……あ、居間だ!」
雅人は思い出した。居間の、庭に面した窓の辺りに物の怪たちなどが集まるように、結界を組んだと晃は言っていた。
ならばそこには、この部屋とは比べ物にならないほどの数の、霊や物の怪が集まっているに違いない。 そこの部分の結界が一番強化されているはずだが、数を頼みに攻撃されたら、どうなるかわからない。
だから、あの化け猫はこの部屋に居ろと言ったのか。そして、自分がそれを食い止めるために、そこへ向かっていった?
雅人はいまだ足元がおぼつかないながらも、居間に向かって歩みを進めた。
何が起きているのかを自分で確認しなければ、どうにも気が済まなかった。
「お兄ちゃん、どこ行くの!?」
舞花が叫ぶように問いかけてくる。雅人は振り返りもせず答えた。
「居間だ! あの部屋が一番ヤバい!」
必死に居間にたどり着いた雅人が見たものは、庭を埋め尽くす様々なモノたちのと、窓越しにそれに対峙する化け猫の姿だった。
モノたちが押し寄せるたびに、結界がきしむように感じる。結界の要となっている、窓の両端に置かれた盛り塩が、微かに揺れているような気がした。
と、不意に盛り塩がまるで破裂するかのように飛び散り、結界が裂け、悍ましいまでの邪気が押し寄せる。
その時、化け猫が結界の裂け目を自らくぐるように窓ガラスを突き抜け、物の怪の群れへと踊り込んだ。
鉤爪を伸ばした前足を激しく振るって物の怪たちを引き裂き、その尻尾で邪霊を弾き飛ばす化け猫。どう見ても、ここに集まった物の怪たちより、圧倒的に格上の存在だ。
化け猫はしばらく奮闘していたが、やがて潮が引くように物の怪たちの姿が見えなくなり、辺りは静かになっていった。
化け猫はしばらく周囲の様子をうかがっていたが、大丈夫と思ったか、再び結界の裂け目をくぐって窓ガラスを抜け、部屋の中に戻ってきた。
呆然と立ち尽くす雅人だったが、今度は雅人の手の中のスマホが呼び出し音を鳴らし始める。慌てて着信を確認すると、それは晃からだった。
「早見か!?」
「ああ。どうやら、事態はいったん落ち着いたみたいだな」
「落ち着きはしたけどよ、あの化け猫はいったい何なんだ?!」
「ちょっと訳ありで、僕のところで保護した……ようなもんだな」
「ちょいと話を聞かせてもらうぞ、早見」
雅人が思わずドスの効いた声になる。ところが、そんなことにはお構いなしに、晃は言葉を続ける。
「それより、結界を修復する方が先だ。遠隔でやるのはあまり得意じゃないんだが、それでもやれるだけやってみる。盛り塩を直してくれ。吹っ飛ぶか何かしただろう?」
「あ、ああ。普通の食塩でいいか?」
「それは構わないから」
雅人はキッチンから食塩を持ち出し、元々盛り塩をしてあった小皿に塩を改めて盛りつけた。
「それじゃ、盛り塩が両方ともスマホのカメラの画面内に収まる位置に立ってくれ」
雅人が指示通りに動くと、化け猫は気配を察したか、スッと部屋から出ていった。
化け猫も気になるが、今は結界を修復する方が先だと、雅人は改めてスマホを構え直す。
「今度は、画面のほうを盛り塩がある側に向けて。カメラ機能は終了させていいから」
雅人が言われた通りにスマホを向けたとき、自分の手を一瞬ものすごい何がしかの力が抜けていったような気がした。
余りのすごさに、全身に鳥肌が立ち、体が硬直したまま動けなくなった。
ふと気づくと、結界は復活していた。それも、最初に張った時に引けを取らないほどの強さだ。修復どころの騒ぎではなかった。
「すげえ、結界が元に戻ってるぞ!」
雅人が感心していると、電話の向こうでなんだか調子のおかしい晃の声が聞こえた。
「……よかった……。遠隔は……苦手だ、やっぱり……」
「おい早見、何だ、急に声が小さくなったんだが、どうしたんだ?」
「……遠隔は苦手なんだよ……。ごめん……もう、落ちる……」
その直後、電話は切れた。雅人はまだ釈然としないながらも、とりあえず化け猫のことも気になるし、万結花のところに戻ることにした。
部屋に戻ると、雅人以外の家族が全員集合しており、聞けば化け猫が戻ってくるなり、橙色の光の塊になって、万結花が首から下げている首飾りの石に中に吸い込まれるように消えたという。
「兄さん、あの猫さんは、早見さんのところに帰ったわよ。早見さんのことを『あるじ様』って言ってたから、早見さんのところにいるのは間違いないわね」
「お兄ちゃん、あの早見さんて人、すごいよね! 化け猫さん呼べるし、結界だって直しちゃったんでしょ? いつか来た霊能者だっていうおじさんとは、大違い!!」
雅人は、妹たちの発言に同意はするものの、化け猫まで“飼っている”晃の実力の底知れなさに、空恐ろしいものさえ感じていた。
見た目はあんなに華奢なのに、どこからあれだけの“力”を出せるのだろうか。
「とにかく、早見さんだっけ、あの霊能者の人が納めてくれたんだし、もう寝ましょ」
一区切りついたのだからと、彩弓が皆を促した。
それをきっかけに、皆自分の部屋に戻っていく。雅人も戻ったが、目が冴えてしまってとても眠れたものではない。
結局そのまま朝を迎え、大学はサボろうかどうしようか迷ったが、四年生になって単位が厳しくなると、それこそ就活どころではなくなると思い、睡眠不足のまま用意をし、大学へと向かった。