08.悪霊祓い
その後、末っ子の舞花、父親の俊之が帰宅し、改めて一通り事情を話した後、三人は居間に待機することになった。
家族は皆、居間の奥の廊下に待機してもらっている。窓に直接面していない空間ということになると、その辺りしかなかったからだ。居間とは、引き戸一つで隔てられているが、中の物音を聞こうと思えば聞けるだろう位置で、家族全員霊感持ちだという川本家にとって、なんとなく落ち着かない状況となるが、そこは今夜の事態が落ち着くまで、多少暑いのだが我慢してもらうことになっている。
和海が廊下を気にして小声になりながら、晃に声をかけた。
「それにしても、晃くん大丈夫? 舞花さんが、あんなにはしゃいで纏わりつくとは思わなかったけど」
「いえ、慣れてます、ああいう態度を取られることには……」
晃は、どこか諦観したような表情で、やはり小声で答える。
そう、舞花は晃と顔を合わせた途端、まるでアイドルにでも出会ったかのように悲鳴のような声を上げると、すぐさまスマホを取り出すなり、写メを撮らせてほしいと上ずった声でお願いをしてきた。
晃は、SNSに上げるのはやめてくれと頼んだのだが、聞く耳持たなさそうな状態だったため、雅人が割り込んで窘め、結局写メを撮るのをやめさせた。
晃としては、これ以上ネット上でも悪目立ちしたくないが故の話だったのだが、SNSが当たり前のツールとなっている舞花に理解してもらうのに、少し時間を要した。
その後、父親の俊之が帰宅した時は、家族で唯一の喫煙者だということが判明。もっとも、家族から家の中ではタバコを吸うなと常日頃言われていたそうで、晃としては心底ほっとしたものだった。
そして今、和海がコンビニで買ってきておいた軽食を食べて腹ごしらえを済ませ、軽く仮眠を取った後、外の様子が見えるように、わざとカーテンを引かずにいる。
サッシのガラス越しに、広くはないが庭があるのが見える。特に整えられている形跡はなく、ただあちこちに雑草が生えているだけの、殺風景ともいえる感じの庭だった。庭の向こうは、目隠し用の武骨なブロック塀。ただ、そろそろ古くなってきたので、建て直すつもりだと俊之は話していた。
今の時刻は午後十時を回った。雅人の話では、このぐらいの時間からおかしなことが起こり始めるということだった。
その時、三人は同時に窓のほうを向いた。
ここの窓は、直接庭に降りられるように、床までの全面ガラスとなっている。その窓のほうから、明らかに危険な気配が近づいてきていた。
「……この家は、たまたまなのか、そう設計されたのかはわかりませんが、北東の角が欠けている形なんですよ。これ、『鬼門除け』といって古より伝わる魔封じの方法なんです。それを突き破ってくる連中ですからね、結界があるとはいえ、油断しないほうがいいかもしれません」
晃の言葉に、結城も和海も表情が引き締まる。
傍らにいる笹丸も、静かにうなずく。
(うむ、確かに今近づいてきておる気配、相当に悪しき気配であるの。さすがに結界が破られるようなことはあるまいが、注意していたほうがよいの。そしてそなた、もし霊や物の怪が現れたとき、庭に集まるような形に結界を組んだであろう?)
(わかりましたか。その方が、あちこちから現れるより対処しやすいと思いまして。それでも、誘導しきれない奴が出る可能性はありますからね。川本家の人たちには、直接窓や出入り口に面していないところにいてもらっているわけです)
もちろん、庭に面したところの結界は、より強固になるよう念を込めている。
その時、どこからともなく風が吹いて、庭の雑草がゆらりと揺れた。
一層嫌な気配が強まったかと思うと、いつの間にか庭先に白っぽい服を着た髪の長い女が一人、姿を現していた。ただ、動きが異様だった。
その体をまるでくねらせるように動かしながら四つん這いで歩き、腕を伸ばして窓に触れようとする。
しかし、結界のために窓ガラスの手前で手が弾き返された。女が顔を上げる。
その目には白目に当たる部分がなく、全体がドロリと濁ったような黒味がかった眼球だった。
口をカッと開いて、怒りの表情に見えるものを浮かべながら、女がなおも腕を伸ばして窓に触れようとし、結界によってそれを阻まれるということがしばらく続いた。
しばらくして諦めたのか、女の姿は見えなくなった。
だが、ほっとする間もなく、今度はいきなり生首が現れ、結界に体当たりを喰らわせてきた。それも、すでに皮膚が緑色に変色し、腐り果てたような生首で、男か女かも判別できない。髪がやや長めで、体があれば肩に付くほどの長さがあるため、女のようにも見えるが、昨今そのくらいの長さの髪をした男もいるため、それだけでは見分けはつかない。
生首は、執拗に何度も体当たりを繰り返す。晃はそのしつこさに危険なものを感じた。
「……こいつは、執念深いですね。結界が弱まったら、絶対に中に躍り込んでくるでしょう。今のうちに祓っておきます」
そういうと、晃は右手の人差し指と中指を揃え、まっすぐ突き出した。その途端、今まさに体当たりをしようとしていた生首が、空中に縫い留められたようにそのまま静止する。
晃は揃えた指を、真横に大きく振った。その瞬間、生首は弾かれたように縦に一回転して遠ざかる。
さらに今度は下から上に向かって指を振り上げるなり、鋭く気合の声を発する。
生首はそれに崩されるようにひしゃげ、宙に溶けたように姿が見えなくなった。
「すげー」
後ろから声がする。三人が振り返ると、入り口の引き戸が少し開いており、そこから万結花を除く川本家の四人が中を覗き込んでいた。今声を出したのは、雅人である。
家族全員霊感持ちの川本家は、たった今晃が行った悪霊祓いの力が並外れたものだったことに皆が気づいていた。それゆえの、雅人の発言である。
「……なんだか、空間ごと切っているみたいに感じるわねえ」
彩弓のつぶやきに、雅人も舞花もうなずく。俊之に至ってはすっかり感心してしまい、唸るような声を出すのみだった。
「まだまだこれからだと思いますよ。気を付けてください」
晃が、川本家に声をかける。すると、四人の後ろにいた万結花が口を開いた。
「あたしも感じました。まだ、なんだか嫌な気配が残っている気がするんです。もうすぐ、ここに来るんじゃないかと」
さすがに、家族の中では万結花が飛び抜けて霊感が強いようだ。“贄の巫女”なのだから、当然といえば当然だが。
ほどなく、再び人影のようなものが姿を現す。
一応人型だが、頭と体のバランスが明らかに崩れている。体は小柄な女性なのだが、頭は体の大きさと変わらないほど細長く伸びており、目は吊り上がり、鼻は長く伸びて垂れ下がっている。大きく裂けた口の中には、人の倍ほどの大きさの歯が並んでいた。
「……これは、悪霊というより妖怪、物の怪の類ですね。そのまま対峙していたら、相当危険な存在です」
晃の言葉に、結城や和海はもちろん、川本家の人々の顔にも緊張が走る。
しかし晃は、呼吸を整えるなり再び二本の指を揃え、鋭い気合の声とともにまるで袈裟懸けに切るように素早く振り抜く。瞬間、相手はのけぞるようによろけ、次の瞬間には猛り狂うように突進しかける。だが、晃が二本の指を突き付けるとぴたりと動きを止める。
再度気合の声を発して、今度は切り上げるように腕を振り切る。
これにはどうやら耐えられなかったらしく、異形の女は霧散するように姿を消した。
晃は大きく息を吐くと、右手で額にわずかににじんでいた汗をぬぐう。
「さすがに、ちょっと消耗しましたね。まだ大丈夫ですが、こういうのが続くとこれは考えなければ。結界の強化などを、早めに検討しないと」
最初に現れた存在程度なら、結界が破られることはほとんど考えられないのだが、と付け加えはしたが、晃の言葉は、結城や和海はもちろん、川本家の人々にも困惑を呼んだ。
「なあ早見、お前の能力は確かにすげえんだけどさ。そのお前でも、やっぱりヤバいと思うか?」
雅人の発言に、晃は答える。
「正直、さっき出てきた巨大な顔の妖怪クラスが立て続けに出てくるようだと、今張っている仮初の結界だとそう長くは持たないよ。せいぜい一週間持てばいい方だと思う。だから、改めてきちんと結界を張り直さないといけない。攻撃を受けても、最低月単位で持つくらいしっかりしたものにしないと」
そこへ、末の妹の舞花が割り込んできた。
「なんだかすっごいかっこいい! それにしても、結界の中から外に向かって攻撃して、結界は大丈夫なんですか?」
「ああ、それは、結界を張ったのが僕自身だから。どうすれば結界を破らずに力を外に向かって出せるかは、感覚的にわかるんだけど、これは口で説明出来ないので、どうしてなのかは、ごめんなさい、どうにも説明出来ません」
「それにしても、まだ厄介なのは来そうか?」
雅人の問いに、晃は何とも言えないと返す。
「強力なのは、さっきの妖怪ぐらいだろうとは思うんだけど、数はまだ来るだろうね」
それでも、今日明日で結界が破られる恐れはまずないだろうということで、川本家の人々には、無理に起きている必要はなく、それぞれの部屋に戻って休んでもらってもかまわない、と晃は告げた。
両親は休むことにしたのだが、万結花を含めた兄妹三人は、そのままつきあうことに決めたようだ。
「無理しなくていい。徹夜になるからね」
結城もそう言ったのだが、三人はその場に残った。それはやはり、最後まで見届けたいという思いだったのだろう。
「やっぱり、頼んだ側としては、何が起こるか確認しないと」
そう言って、雅人は妹二人を廊下側に残し、敢えて晃たちの側にやってくると、畳の上に座って目を凝らし始める。
「今からそんなに頑張っていると、途中で寝るよ?」
晃は一応忠告したが、雅人はにやりと笑った。
「おれが今まで、試験やレポートの締め切りでどれだけ完徹してるか、お前知らないだろう。舐めるなよ」
「……」
晃は軽く肩をすくめると、再び窓のほうに向き直る。
それ以降思い出したように、悪霊と思しきものや、妖怪、物の怪だろうと思われるものが姿を現しては、結界に弾かれては消えていく。
そうして初秋の夜は明けていき、周囲が明るくなり始めるころ、気づくと雅人は畳に座ったまま舟を漕いでいた。
「どうする? 起こすかね?」
「せっかく気持ちよさそうに寝てるんだから、寝かせておいてあげましょうよ、所長」
「そういえば、廊下の方も静かですよね。妹さんたちも寝てるんでしょうかね?」
晃がそっと引き戸の隙間から覗くと、万結花と舞花が互いに寄りかかるようにして眠っていた。やはり、途中で脱落したらしい。
「起きたとき、体が痛くなっていないといいですけどね」
晃は、徹夜明けのいくらかぼんやりした頭で、途中で寝てしまった三人が、体調を崩さなければいいがと思った。