07.母帰宅
晃は改めて、結城や和海に向き直る。
「所長、小田切さん、今夜一晩おつきあいください。一応、完徹するつもりですので」
「ああ、それはもちろんだ。夜が更ける前に、仮眠したほうがいいかもしれんが」
「そうね、出来れば仮眠したほうがいいわよね。その前に、他のご家族に挨拶しないといけないでしょうけど」
確かに、このまま徹夜で番をするとなると、他の家族が帰ってきて顔を合わせることになる。その時に、改めて事情を説明する必要があるだろう。
「ところで川本、他のご家族はいつ頃帰ってくる?」
晃の問いかけに、雅人は少し考えたあと答えを返した。
「……下の妹と母親は、もうすぐ帰ってくると思う。妹は、文科系なんだがクラブに入ってるらしくて、まっすぐには帰ってこない。いつも少し遅いんだ。まあ、夕飯までには帰っては来るけどな。母親は、近所のスーパーにパートに出てる。もうすぐ終わるはずだ。父親は、帰ってくるのはいつも午後八時頃だな」
一同は改めて、時刻を確認した。もうすぐ午後四時半になるところだった。晃たちがここに来てから、小一時間経っていることになる。
「兄さん、そう言えばお茶のひとつも出してないでしょ。冷蔵庫に麦茶が冷やしてあったはずだから、お出ししたら?」
万結花に言われ、雅人はそういえばいきなり霊視とかが始まってしまい、結界を張った今の状態になるまで、全然落ち着いてもらう時間はなかったことに気づいた。
普段なら、万結花も冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを出して、コップに注ぐくらいのことは、手探りで出来る。
だが、さすがに客人に対してスムーズにお茶などを注ぐことは難しい。それに気づいた雅人は、慌てて立ち上がった。
「ああ、お構いなく。さっき、コンビニに行ったついでに、ペットボトルの飲み物と、軽食は買ってきているので」
和海が、品物がいろいろ入ったコンビニ袋を掲げて見せる。
「こういうところは、さすがだな」
結城が感心したようにうなずいた。
そうこうするうちに、雅人の言葉通りに母親の彩弓が帰ってきた。
玄関を開けたところで、見慣れぬ靴があるのを見て、来客がいると気づいたのだろう、少し緊張したような顔で皆がいる居間に顔を出した。
「そういや、なんかすごい力を家中に感じるんだけど、今日来てくれることになってた探偵事務所の人が何かやってくれたの?」
言いながら居間の中を見回した彩弓は、晃に目を止めた途端目を丸く見開いた。
「あ、あらぁ……まあまあ、まあまあ、どうも……」
照れたようにわずかに頬を赤くし、上ずった声を出す自分の母親を見た雅人は、晃のほうを向き直り、大きく溜め息を吐いた。
「なるほど、こういうことか……」
それを受けて、晃も溜め息を吐く。
「そこで変に納得するなよ……」
雅人は、まだ態度がおかしい母親に向かって、呆れたような声を上げた。
「とにかく、説明するから落ち着けよ、かぁちゃん」
息子の声に我に返ったか、彩弓は改めて目の前の客三人に向かって頭を下げる。
「失礼しました。私がこの子たちの母親で、彩弓といいます」
「お邪魔しております。私は結城探偵事務所の所長をしております結城と申します。」
「同じく結城探偵事務所の小田切です」
「同じく、早見といいます。よろしくお願いします」
三人の挨拶を聞きながら、それでも彩弓の視線はちらちらと晃のほうを向く。
そんな母親の様子に、苦虫を噛み潰したようになる雅人に対し、晃は微苦笑を浮かべる。
「……いつものことだから、慣れてる」
小声でそう告げる晃に、雅人は改めて先程の『目立たない顔に生まれてきたかった』という言葉に、心の中でしみじみ納得していた。
自分の母親の年齢でさえああなのだ、同年代の娘からは、どれだけの視線を向けられているのだろう。これは、モテるとかなんとかそういうものではない。
そんな雰囲気を変えるように、結城が今までの経緯を説明し始める。ただ、万結花が“贄の巫女”であることは、さすがの結城も言うのをためらった。
一生結婚出来ないと宣言するようなものだったからだ。
その時、万結花が突然割り込んだ。
「お母さん、あたし、結婚しちゃいけないんだそうよ」
その場の誰もがぎょっとした。まさか本人が、そのようなことを言うとは思わなかったからであり、母親の彩弓にしてみれば、突然そんなことを言われれば、驚くなというほうが無理だった。
「おい万結花。何もここでいきなり言うことはないだろうに」
雅人が慌てたが、晃がそれをなだめにかかる。
「いつか言わなければならなかったことだよ。それだけ、本人の覚悟が出来ているんだと解釈しようよ」
しかし、細かい経緯がわからない彩弓は、眉間にしわを寄せて結城探偵事務所の三人を見据える。
「ちょっと、万結花が結婚しちゃいけないって、どういうことなんですか? 変な風に言いくるめているのなら、今すぐお帰りください。縁起でもない」
すると、今までやり取りを聞いていた笹丸が、彩弓の真正面に姿を現す。それを見た彩弓は、再び目を丸くした。
「キ、キツネ!?」
どうやら、部屋に入った途端に晃に目がいったので、部屋の隅にいた笹丸に気づかなかったらしい。
「白狐の笹丸さんです。すべては、笹丸さんから聞いたことで、僕も今日初めて知りました」
晃はそのまま言葉をつづけ、“贄の巫女”について説明をする。その過程で、先程の『人間と結婚することは出来ない』という巫女の宿命についても言及した。
すると、そう言えばといって万結花が聞き捨てならないことを言い出した。
「あたし、夏休みに入る少し前に、痴漢に遭ったんです。朝の通学途中で、三日間付きまとわれました。気配からして、同じ人だったと思います。でも、四日目から気配を感じなくなって、それから一度も同じ人だろうという気配に出会っていないんです。もしかして……」
その場にいた全員が押し黙った。晃が笹丸に向かって目くばせする。
(……笹丸さん、これってやっぱり……)
(うむ、破滅したのであろうな。肉体が死んだか、精神が死んだかはわからぬが、もはやどうしようもあるまい。自業自得だが、ご愁傷さまといったところか)
(……ですよね……)
一方雅人は、万結花に向かって叱るような口調で話していた。
「なんで言わないんだ、そういうことを! ラッシュを避けるために、わざと少し早めに行っていたんだろう? それで痴漢に遭ってたっていうのか!?」
「三日間だけだったし、それから遭っていなかったから……」
「そうだよ、万結花。お兄ちゃんの言う通り。そういうことは、ちゃんと言わないと」
「……かぁちゃん、人様の前で『お兄ちゃん』は止めてくれよ……」
川本家の家族同士のやり取りが始まったところで、三人と一体はそっと廊下に出て改めて顔を付き合わせた。
「……ああいうのを見ると、日頃の家庭の雰囲気がよくわかるな」
結城が部屋の中を見るとはなしに見ながら、つぶやくように言った。
「ほんとですよね。でも、まさか依頼人が晃くんと同じ大学に通ってて、年齢も同じだなんて、思わなかった」
和海が、苦笑気味に微笑む。
「それは僕も、驚いたところですけどね。それにしても、一応結界は張ってあるので、よほど力を持った存在でなければ、それを破って襲ってくることはないと思うんですが……」
晃は考え込む。
この結界だとて、いつかは弱まり、破られる。その時、すぐ自分が駆け付けられるならいいのだが、そうでなかった場合、どうするかを考えておかなければならない。
それについては、後で笹丸に相談する予定だが、法引にも声をかけておいた方がいいかもしれない。
「一応、和尚さんの耳にも入れておいた方がいいかもしれませんね」
「ああ、そうだな。実際に力を借りるかどうかどうかは別として、知恵を貸してくれるかもしれん」
「そうね。取りあえず今夜一晩様子を見て、やはりなんだかまずそうだという感じがあったら、和尚さんにも話を通しておきましょ。長期戦確定の事案ですからね」
三人は、いまだにああだこうだと言い合っている雅人と彩弓親子と、時折それに口を挟んで逆に火に油を注いでいるように見える万結花の姿に、どこか微笑ましいものを感じていた。