02.日常から非日常へ
それは、晃が大学から帰宅し、ちょうど自室で一息ついて、途中のコンビニに立ち寄って買ってきたどら焼きを、アカネに出してあげていた時に来た。
携帯が「トッカータとフーガ」を奏でたのだ。これが鳴るということは、結城探偵事務所からの連絡ということになる。
着信表示が探偵事務所であることを確認し、晃は二つ折りのガラケーを片手で器用に開くと、電話に出た。
「もしもし、僕です。晃です。今度はどんな依頼ですか?」
電話から聞こえてきたのは、いつもの通り和海の声だった。
「ああ、晃くん。今回は、夜に家の中で怪異が起こるから調べてくれっていうものよ。どうやら、その家に住んでいる人が怪異の中心らしいんだけど、原因がわからないから調べてほしいんですって」
「そういうことって、時々ありますよね。いつ行きますか?」
「明日の午後三時でどうかしら。その日なら、依頼者本人が立ち会えるそうなの。なんでも、怪異の中心になっている人、依頼者の妹さんなんだそうだけど、その人が目が不自由なので、自宅に直接来て欲しいんですって。集合場所は、いつもの事務所で」
「僕も、明日から大学が連休なので、ゆっくり用意出来ますからちょうどいいです。確認しますけど、明日の午後三時に事務所、で大丈夫ですね?」
「ええ、それで大丈夫よ。じゃ、明日お願いするわね」
「では、明日事務所で」
電話が切れると、晃のところに笹丸と、早々にどら焼きを“食べ”終わったアカネがやってくる。
(あるじ様、どうしたの?)
(また新たな依頼のようであるな。今度は何かの)
(ええ、今回は個人宅にお邪魔することになると思います。怪異が家の中で起こっていて、その中心になっている人がいるらしいです)
(ふむ、それは場合によっては厄介なことになるやもしれぬな。中心になっているという人物が、霊や物の怪を引き寄せやすいのかも知れぬ)
(それは僕も考えました。実際に会って、確認しないことには、何とも言えませんけど)
晃はふと考えこんだ。
怪異の中心にいるということは、本人はしょっちゅう怪異に出くわしているということだ。それはかなり、大変なことではないだろうか。
(今の僕なら、いくら出くわしても対処のしようがあるけど、昔は逃げ回るようなこともしてたしね)
(なまじお前はよく“視える”から、色々目を付けられやすかったもんな。“視る”力だけは、今と変わらないぐらいあったからなあ……)
晃は、子供のころから“視る”力だけは強かった。だからこそ、霊や物の怪に目を付けられやすく、時に危険な存在をも呼び込むことがあった。
遼が必死に立ち回ったり、寺社に逃げ込んだり、お守りを持ち歩いたりして、やっとのことで逃れたりした。
その間、両親は全く関心を示そうとしなかった。霊などを見聞出来ない体質だったせいもあるが、そう言ったことを全く信じない人間だったためでもあった。
晃がどれほど怖い思いをしたり、危険な目に遭ったとしても、それ自体認めようとせずにすべて気のせいで済ませてきた両親に対し、晃は早々に割り切ってしまったのだ。自分と両親は相いれないのだ、と。
その時のことを思い返すと、少なくともそういうことを共に見聞出来る兄がいる、というのは、心強いだろう。まして、本人が目が見えないのなら、なおさらだ。
(逆に、“視えない”から耐えられるって面もあるのかもな)
(それはあるかもしれないね。でも、気配は感じるだろうから、怖いのは怖いと思うよ)
(そうであろうな。不意に気配が近寄ってきても、とっさには動けまいて。霊能的に修行しておるわけではなかろうしの)
そこへ、アカネがいきなり口を開いた。
(わたい、あるじ様と一緒に行きたい! あるじ様の役に立ちたい!)
アカネは、目を輝かせて晃を見上げていた。
(アカネ、霊感のある人には、お前の姿は“視える”んだよ? 家に居なさい)
するとアカネは、いきなり晃にしがみつくと、そのまま体をよじ登り、頭の上に陣取ってそのままへばりつくように動かなくなった。
(わたい、行きたい。一緒に行く!)
(おーい、アカネェ……)
引きはがそうとしても、爪を立ててしがみついている。幽体なので、爪を立てられても痛くはないが、だからといってこの状態では外に出るのもはばかられる。いつ、“視える”人間に見つけられるか、わかったものではないからだ。
あるじとして強く命じれば、アカネは逆らうことは出来ない。それはわかっているのだが、晃はどうしても強く命令する気になれない。
(お前、あるじとしては甘過ぎだな。こういう時は、毅然とした態度を取ったほうがいいぞ)
(わかってはいるんだけど、なんだかアカネが健気に思えてね……)
(ほんとにお前、だだ甘だわ)
そんな晃に業を煮やしたわけでもないのだろうが、今度は笹丸がこんなことを言い出した。
(晃殿、アカネを目立たずに外に出せる方法はある。アカネの霊力と親和性の高い石に、仮に封じることによって、目立たずに外に連れていける。我が術を使えば、可能だぞよ)
(わ、それいい。笹小父、術かけて)
アカネが喜んで、尻尾を大きく揺らす。
もはやアカネの中では、笹丸の術の力で外出出来るのが当然のこととしてあるらしい。
笹丸によると、それぞれの霊力に親和性の高い石-とはいってもそこら辺の石ではなく、いわゆるパワーストーンと呼ばれる系統の石-に術をかけ、霊力をそれに同調させることによって、その石の中にある種異界を創り出し、隠れていられるようにするというものらしい。
(我も、様子を見たいのでな。その家に行きたいのだ。しかし、霊感があるものでは、我の姿もまた目に付くのは間違いないのでの)
(……ですよね)
晃は時刻を確認した。午後四時にもうすぐなるところだ。夕食の時間にはまだ間があり、暗くなるのにもまだ間がある。
「……買ってくるか、パワーストーン」
晃のつぶやきに、遼が突っ込む。
(お前、ほんとに甘すぎだぞ)
遼の呆れ声に苦笑すると、とりあえずアカネが“食べ”終わったどら焼きを修行僧のような表情で黙々と食べ尽くし、晃は立ち上がった。
パワーストーンを売っている店が入っている、駅ビル内のショッピングセンターまで、徒歩でも五分ほどだ。
晃は財布や携帯などをボディバッグに入れ、斜め掛けに背負うと、買い物に出かけた。さすがに、この買い物には笹丸やアカネは連れていくわけにいかない。
いそいそと出かける晃の後姿を見送りながら、アカネは目を輝かせ、笹丸はそんなアカネの様子に苦笑していた。
(アカネよ。そんなについていきたいのか、お前は?)
(うん、行きたい。わたい、あるじ様のこと、もっと知りたい!)
アカネにとって、晃は術によって縛られた“あるじ様”だが、実際の関係は人間によって傷ついたアカネを晃が甘やかすという、それこそ『保護猫とその飼い主』のような関係なのだ。
傍で見ていても、晃はかなりアカネにべったりだった。
そしてアカネもまた、晃のことになると途端にはしゃぎだす。それこそ、好奇心丸出しにして。
(まあ、元々人の愛情を知らずに化け猫になって、化け猫になって初めて愛情を注いでくれる存在に巡り合ったのであるからな。晃殿のことを知りたいのと思うのも、当然かも知れぬの)
笹丸にとっても、晃は“変わっている”人物だった。
確かに“人にして人にあらざるもの”であるだけに、元々一般的な人間より霊や妖のほうに意識を向けがちなほうだったが、アカネに関わるようになってから、それがさらに顕著になってきたような気がする。
(だから、中にいる遼殿にいろいろ言われるのであるがな)
晃と遼のコンビも、なかなかに息が合っていて飽きないと思う。
(契約を交わしたわけでもない者の元にいるのも、我自身がそばに居たいと思うからなのであろう)
笹丸は、いまだにテンションが上がっているアカネに声をかけ、晃が帰ってくるのをのんびりと待つことにした。
今年の更新は、これで最後になります。
今までつたない話をお読みいただき、ありがとうございました。
とはいえ、週一更新は極力続けたいと思っておりますので、新年2日には次の話を更新する予定です。
インフルエンザも流行っている昨今、充分ご自愛ください。
では、よいお年を。