01.プロローグ
いよいよ第六話がスタートします。
この話は、ターニングポイントとなるお話でもあります。
それだけに、詰まってしまって更新が滞る可能性もありますので、どうかのんびりと構えて更新をお待ちください。
そこは、昼なお暗いほどに鬱蒼と木々が生い茂るところだった。地面には、獣道に等しい細い踏み跡が緩く弧を描きながら続いていた。
森の木々が色づくのにはまだ早い、九月の初め。夏の名残りの暑ささえ、生い茂る木々の間を渡る、いやにひんやりした風に吹き消されがちだった。
その森の中の踏み跡を、黙々と歩く妙齢の女性がいた。
一見すると、今はやりのトレッキングをする人に見えなくもないが、その割にはこういう荒れた道を歩き慣れていない様子が見て取れる。
帽子を深々とかぶっているので、顔の表情はよくわからないが、何か思いつめたかのように、前を見据えて歩き続けている。
今の時間は正午を少し回ったくらいだ。それでも、周辺の木々の葉が重なり合い、辺りは薄暗い。
やがて、踏み跡の先に何かが見えてきた。それは、朽ちかけて斜めに傾いた小さな鳥居と、そのさらに奥に鎮座する石で出来た祠のようなものだった。
鳥居は、くぐるのに身をかがめねばならないほど小さく、奥の祠もその高さは大人の腰ほどの高さしかない。
石造りのそれは、森の奥にひっそりと建つだけあって、すっかり苔むしていた。
けれど、彼女は迷いなく祠に近づくと、背中のリュックを下ろし、中からハンマーを取り出した。一般的な金槌より明らかに一回り大きいそれを両手で持つと、切妻型に形作られた屋根の下、堂に当たる四角い部分に向かって、まるでゴルフでもするような軌道で思い切りハンマーを叩きつける。
一撃で、石の表面にひびが入った。それを見て、彼女はさらにもう一撃ハンマーを振るう。ハンマーの頭が当たった途端、石が割れて穴が開いた。
その刹那、今空いた穴から茫洋とした影のようなものがゆらりと姿を現す。その影は、どことなく人間の姿に似ていた。
『……そこな人間、よくぞ儂の封印を解いてくれた。礼を言うぞ』
彼女の頭の中に、壮年の男の声が響く。彼女はうなずくと、こう言った。
「どうしても、叶えたい願いがありました。普通の神では、到底叶えるのが無理な願いが。それでも、あなた様なら叶えて下さるかも、と考えました」
『……そうか。かつて儂は、“禍神”と呼ばれたものじゃ。その儂を頼るとは、よほどの願いじゃな?』
「……はい……」
彼女は帽子を取って、影に向かって頭を下げた。そして、顔を上げる。帽子の中に押し込められていた髪が肩にかかり、歩いてきたために汗ばんだ顔は、人並み以上に整っていた。歳の頃なら、二十代前半から半ばといったところだろうか。
影を見つめるその目の下にはうっすらと隈が出来ていたが、ギラギラとした狂気を孕んだ強い意志が感じられる。
彼女は、静かに自分の名を告げると、己の願いを言った。それを聞いた途端、影が嗤う。
『なるほどのう。確かにそれは、“叶わぬ願い”じゃの。それで、儂を頼ろうと?』
「はい。あなた様以外、もはや頼れそうな“神”はおられません。否、他の神などもはや信用出来ません」
『ふふ……あいわかった。ならば、今の儂にはそれだけの力はないことも、わかっておるはずじゃな?』
「わかっています。どうすれば、よろしいですか?」
『ならば、儂の加護を受け入れるのじゃ。そうして契りを結ぶなら、儂の権能の一部を使えるようにしよう。そして、儂の眷属どもの封印を解き、儂の元に集めるのじゃ。さすれば、儂にも力が戻るでのう』
「わかりました。それで、お名前を教えていただきたいのですが」
『儂は“禍神”。それ以外の呼び方など、されたことはないわ』
「そうですか。では、僭越ながら私が名前を付けて進ぜましょう」
彼女はそういうと、しばし考えこんだ。そして、ぽつりとつぶやくようにこう告げた。
「今のあなた様の姿からの印象ですが、“虚影”というのはどうでしょう。名前から、本当に力を取り戻した後でも、目くらましになるのではないか、と」
『フハハ、いい度胸じゃな。気に入ったぞ。その名前、受け入れよう』
「ありがとうございます」
彼女が再び頭を下げると、その頭に向かってするりと細く影が伸びる。まるで、腕を伸ばしたかのように。
その影が、彼女の頭を一瞬押さえつけるように動くと、またもするりと影は元に戻った。
再び顔を上げた彼女の額には、能力を持つ者にしか“視え”ない、爪で引っ掻いた様な逆三角形の印がついていた。
『その印は、儂の権能を受け継いだものの印じゃ。それを見れば、儂の眷属どもならおぬしのことを認めるであろう』
「はい、ありがとうございます。私の願い、どうかよろしくお願いします」
三度頭を下げた彼女にまとわりつくように、影はゆらりと近づき、彼女を包み込んでから消えた。
顔を上げた女性の額の逆三角形の印が、一瞬赤い光を帯びた。
* * * * *
家に帰るのが気が重い。最近そう思うようになった。
川本雅人は、大学からの帰り道、憂鬱そうに天を見上げた。時刻は午後三時を回っている。九月に入っても、まだまだ残暑は衰えることを知らない。このくらいの時間なら空は明るいが、否応なしに夜は来る。
別に、家族と仲が悪いわけではない。両親と、妹二人で普通に生活している。問題は、最近家の中でおかしなことが続発するようになったことだ。
それは十年余り前、たまに妙な気配を感じるところから始まった。
川本家は、家族全員多少の差はあるものの霊感を持っていた。それでも、兄妹が幼かったころは、ごくたまに通りすがりの霊が悪戯をしていく程度のちょっとした出来事が起こる程度で、至極平和だったのだ。
それが、四、五年前からだろうか、その頻度が徐々に増し、次第に単なる悪戯とは言えないような、ぞっとするような目に遭うことが増えてきたのだ。
特にここ半年ほど、頻度も危険度も急速に増していった気がする。
夜に家の中で、上の妹である万結花が黒い人影に襲われて首を締められたり、家の中で物が飛び交ういわゆるポルターガイストが起こったりした。
それだけではない。
つい二日ほど前、そろそろ寝ようかという時刻に、突然何もなかったはずの空中から、人の生首が飛んできて、万結花に食らいつこうとした。
そいつはすんでのところで、自分が咄嗟に素手ではたき落とし、床の畳にぶつかったところで消えた。だが、異様な生臭い臭いが雅人の手に残って、いくら手を洗ってもしばらく消えなかった。
そう、昨今の恐ろしい出来事は、すべて万結花を中心に起こっているようなのだ。
確かに、兄妹で一番霊感が強いと思われるのが万結花だったが、彼女は気配には敏感でも、咄嗟には身を護れない。先天性疾患で、目が不自由なのだ。一級の障碍者手帳も持っている。
なぜこんなことが起こるのか、まったくわからない。
有名な神社仏閣のお守りやお札を手に入れ、家に貼ったり身に着けさせたりもしてみたが、わずか数日で真っ黒に変色し、あまりの不気味さに処分するしかなかった。
一度、霊能者だという人を呼んで“視て”もらったこともあった。しかしその人は、家に着いた途端に『自分の手には負えない』と逃げ帰ってしまった。
何があったのか説明ぐらいしろ、と思う。その一件から、その自称霊能者からは接触を拒否されて今に至る。前金は返金してもらったから実害はないのだが、それでももやもやしたものは残る。
今、万結花はマッサージ師の国家資格を取るために、頑張っている。その彼女が、こういう怪異に煩わされて、来春進学予定の特別支援学校専攻科での勉強に身が入らなくなったら、あまりにも理不尽だ。
学校にはあまり無理なく通えるので、自宅から通学しているが、寄宿舎の問い合わせをした方がいいのでは、と考えたところで、怪異の中心が家ではなく万結花自身だと気が付いて、寄宿舎に行っても無駄だと思い直した。
早めに対処して、来春には心置きなく勉強できる環境を作ってやりたい。しかし、どうすればいいのか。
それに、大学三年である自分自身も、来年度の『就活』がそろそろ頭に引っかかってくる。ちゃんと卒業出来るように、習得済みの単位の計算が始まっていたりする。
自分にとっても、早めに事態を鎮静化させるに越したことはない。
今、高校一年の末の妹の舞花は、事態が悪化する前に高校受験を済ませ、無事に志望校に合格していたので、それだけは幸いだった。
するともなしに、スマホで登録しているSNSの書き込みを通り一遍眺めていたら、ふと引っかかる記事に出くわした。
【『結城探偵事務所』というところが、心霊関係の調査もしていて、かなり信頼出来る】というものだった。
内容が内容だけに、広く拡散しているものではない。だが、その探偵事務所の調査のおかげで助かったという人が、確実にいるようだった。
だめもとで連絡してみるか?
不意に、そういう気持ちになった。実際に彼らの調査によって異常事態の原因がわかり、それを祓い清めることで事態を納めてしまうところまでやっていくらしい。
調査して終了ではなく、その後のケアまでしてくれるのは良心的だと思う。
ただ、『超絶イケメンの霊能者キターッ!』だの『写メ撮ろうとしたけど、断られた。残念!』などといったものも混ざっている。本当に大丈夫なのか。
一応ネットで検索すれば、連絡先は簡単に見つかった。
表向きは普通の探偵事務所と変わらないが、本当に心霊関係の調査もしてくれるのだろうか。
取りあえず、メールででも連絡してみるか。その後の感触で、実際に信用に足るところかどうか、わかるだろう。
雅人は、問い合わせのメールの文面を考え始めた。