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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第五話 怨嗟の獣
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27.召喚

 その日の朝は、梅雨の晴れ間の日差しがまぶしく輝いていた。結城探偵事務所を出発したクリーム色の軽自動車は、途中で晃や笹丸、法引を乗せると、すべての発端となった弥津葉神社の隣にある丘へと乗り付ける。

 (あらかじ)め高坂家には連絡済みで、今日ですべて終わらせる予定であると告げてある。よって工事関係者も、今日は丘には来ない手はずになっていた。

 晃は、丘を見上げながら油断なく周囲の気配を探っていた。打ち身や腫れなどがそう簡単に治るわけではないが、少なくとも擦り傷は何とかふさがっているため、今日は義手を装着していた。念のため、絆創膏は貼ってあるが。

 「どうだ、早見くん、化け猫の気配は?」

 結城の問いかけに、晃は首を横に振る。

 「まだ、感じられませんね。ただ、いつ来るかわかりません。準備は迅速にお願いします」

 晃の返答に、法引は手早く御札を鞄から取り出し、結城と和海に二枚ずつ配った。

 「化け猫が現れたなら、最初の御札はわたくしが受け持ちます。それ以降のものを、お二人にお願いします。」

 二人にそういうと、法引は鞄を車の後部座席に置いて助手席を戻し、ドアを閉めた。

 そして、後部の荷積みスペースに積んである小ぶりのトランクを開け、青磁の香炉を取り出す。

 両の掌ですっぽり包めるくらいの大きさの香炉は、法引の手で今回の儀式の場となる丘の麓に運ばれた。

 「これは、儀式を行うときにいつも使っている香炉です。わたくしが若い頃、骨董屋で手に入れたもので、とても使い勝手が良くて愛用しているのですよ」

 簡単な祭壇を設え、そこに香炉を置き、周囲に小さく結界を張りながら、法引が微笑む。

 香炉で化け猫を引き寄せる香を焚き、化け猫を呼び出すのが儀式の最初ということだが、特に呼ばなくても姿を現す可能性があるため、気は抜けない。

 周囲を警戒する晃の足元では、笹丸がやはり警戒している様子で、晃から離れないようにしているように見える。

 法引が、衣の(たもと)からチャック付きのビニールの小袋に入った、親指の先程の大きさの紙で包んだ何かを取り出すと、それを香炉に置く。取り出したのは調合された物の怪を呼ぶ香だ。

 と、ここで法引が皆に声をかける。

 「香の香りが、服に染みつかないよう注意してください。この香りは、物の怪を呼びますゆえな」

 周囲から皆が離れたところで、火をつけ、自分も素早く離れる。ほどなくして、かすかに紫がかった煙が香炉から細く立ち上り始めた。

 焚かれている香の香りは、どこか甘ったるいのに独特の香ばしさが感じられる、あまり嗅いだことのない香りだった。

 決して嫌な香りではないが、だからといってずっと嗅いでいたいとも思わないような、本能的にどこか警戒感を呼び起こさせるような香り、とでもいうのだろうか。

 まだまだ朝といえる時間帯だけに、そうそう物の怪が寄ってくるとも思えないが、化け猫以外の物の怪がやってきたら面倒ではある。

 (我にとっては好ましい香りではあるが、人間はあまり纏ってはいかん香りであろうの)

 笹丸の言葉に、晃はうなずく。

 (そうですね。直感的に、何かまずいものを感じます。この香りは、本当に物の怪たちのためのものでしょうね)

 (俺にはまあ……嗅いでいたいような、いたくないような……)

 笹丸とは、事前に真の『従属の術』を発動させるための条件や手はずは打ち合わせてある。うまくハマるかどうかは、出たとこ勝負だ。

 香の煙が、青い空に溶けていく。皆が、緊張の面持ちでそれを見上げた。

 その時だった。

 空に裂け目が出来たように見えた。その裂け目から、黒い靄が噴き出したかと思った途端、靄の中からぬうっと猫の前脚が現れる。見る間に靄とともに猫の体が姿を現し、五メートルほどの高さを保って空中にとどまったまま四人を見据え、唸り声をあげた。

 「さあ、いよいよおいでなすったぞ。何とか決着をつけんとな」

 結城が、自分を鼓舞するようにやや大きめのつぶやきを漏らす。

 「でも、あんな高さじゃ手が届かないわ。御札を投げつければいいんですか? 和尚さん」

 化け猫から目を離さないようにしながら、和海が法引に尋ねる。

 「そういうことになりますな。念を込め、投げつけてください。ただ、相当に念を込めないとうまくいかないかもしれません。以前より、瘴気の靄が濃くなっているように見えますな」

 法引も油断なく身構えながら、一瞬だけ視線を晃に走らせる。

 晃はうなずくと、大きく深呼吸し、右手の人差し指と中指を揃えて伸ばして右腕を振り上げ、短く鋭い気合の声とともに素早く斜めに振り下ろした。

 刹那、まるで見えない(やいば)が飛んだかのように靄の一部が消し飛んだ。

 化け猫が怒りの声を上げ、晃を睨みつける。

 「何とか瘴気を祓い飛ばすことは出来ますね。でも、これで完全に僕は標的です。何とか牽制してますから、あとはよろし……っ!」

 晃が言い終わる前に、化け猫の前脚が晃めがけて振り下ろされる。

 晃は右掌を開いて化け猫に向け、まるで受け止めるように突き出した。化け猫の前脚が、晃の掌の十センチほど手前で弾かれる。

 化け猫は、ますます怒りをあらわにし、何度も前脚を叩きつけてくる。晃はそれを、右掌で弾き返しながら、再度瘴気を祓い飛ばす隙を伺う。

 そうしながら晃は、化け猫が自分をある方向に誘導しようとしていることに気が付いた。もしかしたら、自分と同じことを考えているのかもしれない。

 ならば、ここでそれに乗るのも悪くない。おそらく自分と化け猫は、およそのところで()()()()()()()()()

 晃は、化け猫が望んでいるであろう方向に、じわじわと動いていく。その方向に動くと、相手の攻撃が緩むのだから、ある意味あからさまに誘っているとしか思えない。

 それでもわずかな隙を突き、晃は右手の二本指を揃えて一気に振り下ろす。

 たちまち瘴気の靄の一部が、また消し飛んだ。二回合わせて、全体の三分の一弱を祓うことが出来ている。

 晃の動きに合わせて、笹丸もすぐ近くに待機し続けている。いつ何があっても、晃と行動を共にできるようにだ。

 化け猫がほぼ一方的に攻撃し、晃がそれを防ぎつつ、少しずつ化け猫が誘導する方向へと移動していく。

 徐々に、晃と他三人が離れていく。化け猫を挟んだ、対角の方向へと。

 三人はというと、何とか御札を投げつけようと試みるのだが、晃を攻撃する化け猫が、意外と機敏に上空を動き回るので、狙いをきちんと定めることが出来ない。闇雲に投げて御札を無駄にしてしまったら、予備がいくつもあるわけではないのだ。

 気づくと、晃は完全に化け猫を挟んだ反対側に移動しており、化け猫は三人に尻を向けている状態だった。

 「今ならいけます! みなさん御札を」

 法引がそう声をかけた途端、化け猫の尻尾が伸びて、三人を薙ぎ払うかのように勢いよく横なぎに動いた。

 三人は咄嗟に身をかがめたりして躱す。尻尾も瘴気を纏っているので、あれに打たれたら以前の晃ほどではないものの、瘴気の影響を受けて大変なことになる。

 三人が尻尾を躱したために体勢を崩したその時、化け猫が空中で大きく跳躍し、体ごと晃に覆いかぶさった。

 三人が息を飲んだ時、不意に化け猫の姿が掻き消えた。晃の姿も、笹丸の姿も、見えなくなっていた。

  「……嘘……。嘘でしょ……。化け猫と一緒に、晃くんまで消えるなんて……」

呆然とした顔で、和海がつぶやく。

 「……しまった。あの化け猫、各個撃破を狙っていたんだ。それで、早見くん一人を我々から引き離したんだ……!」

 結城が、今更気付いたというように唇を噛みしめる。

 「……こうなっては、早見さんに何とか頑張ってもらうしかありません。なんとか、一人だけででも化け猫を押さえて、『従属の術』をかけられる態勢に持っていければ……」

 法引だけは、晃の本性を知っている。彼が“本気”になれば、もっと強力な力を使ういわば超常能力者になることも。

 ただ、その法引にしても、晃が本当に全力を出した時、どれほどの力を持つのかは知らない。

 今はただ、晃がたった一人で化け猫に対峙し、無事に生還してくるのを祈ることしか出来ない。

 この場にいた誰もが、晃の無事を祈っていた。


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