23.再集合
翌日、結城探偵事務所に、時間通りに集まった面々は、最後にやってきた晃の姿に違和感を覚えた。
いつも愛用しているワンショルダーリュックではなく、A4サイズのショルダーバッグを右肩にかけ、その上から七分袖のサマーカーディガンを、袖を通さずに羽織って一番上のボタンだけ留めている。そもそも、服装からして、普段晃があまりしない格好だった。
その時、サーキュレーター代わりに回していた扇風機の風が、カーディガンの裾を軽く揺らした。瞬間、皆が違和感の正体に気が付いた。
今の晃は、義手をつけていなかったのだ。
皆の表情が動いたのに気付いたらしい晃が、右手でカーディガンのボタンを外し、羽織っていたものを脱いでそのまま右手で抱えた。
梅雨明け間近の蒸し暑さに合わせて、下に着ていたのは半袖のシャツだったのだが、左袖からは何ものぞいていない。かすかに湿布薬の匂いもした。
確かに、晃がそういう体であることは、頭ではわかっていた。だが、普段義手をつけていると、見た目だけは不自然さは相当軽減される。たとえそれが、動かない装飾用義手であったとしても。
こうして義手をつけていない姿を改めて見てみると、元々上背はあっても細身の晃が、いっそう華奢に見えた。
「……晃くん、義手、どうしたの?」
場の空気にこらえきれなくなったように、和海が尋ねる。
「実は、化け猫に襲われた時、地面に叩きつけられた打ちどころが悪かったみたいで、左肩とかが腫れちゃって……今、つけられる状態じゃないんです。義手自体には、何とか異常はなかったみたいなんですけど」
「そんな状態で、大丈夫なの!?」
「左肩は痛いですけど、能力を使うのに問題はありません。大丈夫です」
晃は微笑んで見せるが、その笑みがどことなくぎこちなく見えるのは、やはりその体の状態がよくないためだろうだろうか。
晃の足元には、いつものように笹丸がいたが、どちらかというと心配そうに見上げながら付き添っているという感じだ。
「早見くん、無理はするなよ。昨日の今日だからな」
言いながら、結城が晃に椅子を勧める。
法引も大きく溜め息を吐きながら、晃の様子を見つつつぶやく。
「それでもわたくしたちは、早見さんの力に頼らざるを得ない。まったく、情けないことです……」
そんな法引の様子を見て、晃は苦笑する。
「和尚さん、そんな顔しないでください。能力を使う方の力は、完全に戻ってますから心配しないでください」
席に着くと、晃はショルダーバッグの中から、コンビニの袋を取り出した。
「こんな袋ですみません。お借りしたシャツ、お返しします。ちゃんと、洗濯乾燥してありますから」
袋から畳んであるシャツを一度出して見せた後、改めて袋にしまって法引に差し出す晃に、今度は法引が苦笑した。
「何も、そんなに律義に急いで返さずとも、返せるときに返してくださればよかったのですよ。どうせこのシャツは、昭憲が通販で買ったはいいものの今一つ気に入らなくて、タンスの肥やしにしていたものだったのですからな」
「ついでがあったので、コインランドリーで一気に乾燥まで済ませましたから、そんなに手間ではなかったです。気にしないでください」
言いながら晃は、今朝がたの“惨状”を思い出していた。
昨夜、借りていたシャツを脱いで義手を外した時、ちゃんと確認すればよかったのだが、やはり注意力を欠いていたのだろう、そのままパジャマに着替えて寝てしまったのだ。着ていたシャツに特に異常がなかったのも、油断した原因だろうが。
朝目が覚めた時、左肩がひどく重く鈍痛があり、いやな予感がしてはいた。しかし、実際起き上がってふとシーツに目をやってぎょっとした。血痕をこすったような痕があったのだ。
慌ててパジャマの上を脱ぐと、背中の左肩辺りに点々と血の染みがついていた。ちょうど、義手をはめていたらソケットと呼ばれる義手と体をつなぐ接続部分の端に当たる部分にだ。それを見た瞬間、やってしまったと思った。
脱いだパジャマとはぎ取ったシーツをベッドの下に落とすと、まず上掛けを、次にベッドのマットレスを確認するが、どちらにも何も異常はない。多少ほっとして自分もベッドから降り、部屋の姿見とスタンドミラーを使って背中を確認してみる。
ソケットの縁の形に皮膚が擦り向けて点々と血がにじみ、左肩全体がうっ血している。それだけではなく、背中のあちこちに、打撲傷の青あざが出来かかっていた。
義手のほうも確認してみるが、そちらは少量の血が付着していたくらいで、見た目大きな異常はなかった。
どうやら、皮肉にも自分の体がクッションになった形で、義手には決定的なダメージが入らなかったらしい。
改めて時計を確認すると、午前五時半。前日早めに寝たせいで、早く目覚めてしまったようだが、今回ばかりは幸いだと思うほかない。
母智子が起きだす前に後始末を終えなければ、面倒なことになる。
とにかく汗だけは流そうと、シャワーを浴びた。傷口に障るので、お湯だけで念入りに汗を流したが、それでも水圧のかかったお湯が傷にじかに当たると、一瞬体が硬直するほど沁みて痛かった。
そのあと、慎重に使ったつもりだったが、バスタオルにも少し血がついてしまった。
やむなく、これもまとめてコインランドリーにもっていくことに決め、晃は下着を取り換えて部屋に戻った。
それから、こういう時のために用意してある救急箱を部屋の隅から引っ張り出してきて、傷薬、滅菌ガーゼ、サージカルテープ、湿布薬などを並べると、うつぶせに寝て遼の力を呼び込み、幽体離脱して自分の眼で自分の背中を確認しながら〈念動〉で自分の手当てをするという非常手段を取った。
無茶苦茶なことをしているという自覚は自分でもあったが、ここで母親に頼もうものなら、鬼の首でも取ったかのようにああだこうだと言い出し、自分を束縛しにかかる姿が目に見えるから、とても頼めなかった。
それにしても、咄嗟に和海をかばって化け猫の前脚の攻撃にその身をさらしたその時、とても“体”を護る態勢を取るのは間に合わなかった。だから、せめて打ち倒されるだろうその瞬間に、頭だけは打たないように護ろうと〈念動〉で頭部を支え、後頭部を地面に強打するのを防いだ。
あれは我ながら賢明な処置だった。
そうでなかったら、あの時瘴気の毒の浄化どころか、救急車で病院に担ぎ込まれる事態になっていただろう。背中のあざを思い返すたび、つくづくそう思う。
少なくとも、あの化け猫は、それだけ現実に干渉する力を持っているということだ。だからこそ、かつて近隣の村々を荒らしまわって封印されることになったのだし、今回も、神主一族や自分たちを虎視眈々と狙っているのだ。
もはや、石碑のある丘に、うかつに近づくことも出来ないだろう。自分たちもまた、確実に狙われているに違いないのだから。
その後は、急いで着替えて身支度を整え、洗濯物をショルダーベルト付きの大型スポーツバッグに押し込み、近所の二十四時間営業のコインランドリーで洗濯乾燥まで済ませてきた。
朝食の時に、義手をつけていないことに母の智子が何だかんだと言っていたが、すべて右から左へ聞き流し、ここへ出かけてきたのだ。
その一部始終を見ていた笹丸が、“「助けて」と言えないとはこのことか”という顔をしていたのには、内心苦笑したが。
そして、探偵事務所の二人や法引を目の前にして、晃は自分の考えを告げた。
「僕、家に帰ってから考えたんですが、封印の石碑を使った封印は諦めませんか?」