21.ひとまずの帰宅
「そうなると、また早見さん一人に負担をかけてしまうことになってしまいますな。それは何とかせねばなりません……」
法引が、腕を組んで唸る。
「……私たちにもう少し力があれば、余計な負担はかけないで済むんだが……」
結城も溜め息をつく。
「晃くんにしか出来ないことが、多すぎるのよね……」
和海が、申し訳なさそうに晃のほうを見る。
すると晃が、さらにこう言い出した。
「それに、仮に瘴気を祓ったとして、化け猫が瘴気を失ったままでいるのか、あるいは時間を置くと再び瘴気を纏うようになるのか、どちらになるのかの区別が今のところつかないんですよ。前者なら一度祓ってしまえばあとは何とかなりますけど、後者だったら、戦いに臨むたびに瘴気を祓うところから始めなければならない。そうなったら、封印の儀式をやるとしても、僕はその儀式の中には入れません」
晃の言葉に、皆が絶句する。
封印の儀式に晃が参加しないとなると、成功する可能性はほぼなくなるといっても過言ではないことは、誰もわかっていた。
「それに、まず最低でも地滑り跡一帯を結界で囲んで、化け猫が近づけない安全地帯とする必要があると思います。地滑り跡を直す工事関係者が襲われでもしたら、大変なことになりますから」
晃の指摘に、皆その可能性を失念していたことに気が付いた。
化け猫は、人間そのものを恨んでいた。ならば、その辺りに近づく人間を無差別に襲っても、ちっとも不思議ではない。
「しかし、あそこへ行ったら、また化け猫が待ち構えているんじゃないか?」
結城が疑問を呈すると、法引がさらに唸った。
「可能性は高いですな。これは、思っていた以上に厄介な事態です」
とはいえ、封印を行うための石碑を再利用するなら、避けては通れない。
「工事は、いつ始まるんですか?」
和海が問いかけると、法引はまだ未確定だと答える。
「まだ、複数の業者から見積もりを取っているところだそうで、工事業者が決まってから、正式な日程が出るそうですよ」
「ああ、まだその段階なんですね」
どうやら、ごく少数の人間が短時間動いているだけの今の段階では、化け猫は手を出していないらしい。それほど、邪魔者である自分たちを先に排除しようという意識が強いのだろうか。
だが、工事が本格的に動き出し、まとまった人数が長時間付近に滞在して、なおかつ周辺の地形をいじるとなると、話は別だ。
少なくとも、現場がフェンス等で囲われる前に、それより一回り大きい結界で周辺を囲んで守らないと、まずいことになるだろう。
皆が考え込んでいると、晃がポツリと言った。
「こう言っては何ですけど、まだ時間はあります。今日のところはいったん解散しませんか? 僕も、やっと回復してきたばかりで本調子にはほど遠いですし、頭も回り切ってない感じです。気分を変えたら、何かアイディアも浮かぶかもしれません」
晃の言葉に、法引や結城は互いに顔を見合わせて苦笑しながら溜め息を吐き、和海は肩をすくめた。
「そうですな。明日の朝、改めて今度は探偵事務所のほうにでも集まりますか」
法引がそう言うと、皆うなずいた。
時刻は、いつの間にか午後六時近くになっている。いつもなら、そろそろ夕食の支度をしている時間だろう。
「とにかく、我々はこれで」
結城が腰を上げたのをきっかけに、和海も晃も立ち上がる。しかし、晃はまだどこかおぼつかない足取りだった。笹丸が心配そうに見上げ、足元に寄り添う。
「早見くん、大丈夫か。家まで送ろう」
結城の申し出に、晃はうなずいた。
「すみません、よろしくお願いします。バスとかに乗ったら、なんだか寝落ちしたまま乗り過ごしそうで」
それを聞き、和海は心配そうに晃を見つめるが、晃は大丈夫だといわんばかりに微笑みかけた。さらに何かを言おうとする和海を結城が制し、三人は法引と明日の朝十時に探偵事務所に集まることを簡単に打ち合わせ、帰宅することにした。
三人は奥の部屋の登紀子や昭憲にもお世話になった礼を言い、場を辞する挨拶をすると、外に出て車に乗り込んだ。
結城が運転席に座ったのは先程と変わらないが、今度は後部座席に和海が座り、助手席には晃が座った。まず晃を自宅に送り届けてから、二人はいったん探偵事務所に戻るためだ。笹丸は、晃の膝の上だ。
走り出してしばらくして、ふと結城が口を開いた。
「そういえば、今回のこととは関係ないが、以前運転免許を取るとか言っていたことがあったが、あれからどうなったんだ?」
おそらく、雰囲気を変えたかったのだろう、雑談を口にしてきた。
「あ、ええ。取れましたよ、免許。オートマ限定ですけど。ただ、僕の障害に合わせた改造車でないと、ちょっと運転が厳しいかな、というところはあります。で、そういう車ってオーダーメイドで改造するから、高いんですよ」
「ああ、そうだろうなあ」
するともなしにぽつぽつと雑談をしながら、結城が運転することしばし、車は晃の自宅に近づいた。
「もう、この辺でいいです。家の前に車をつけて、以前みたいなことになってもいやなので」
「……ああ」
晃は、自宅の少し手前で笹丸とともに降ろしてもらうと、結城や和海に礼を言い、近くのコンビニで稲荷寿司とペットボトルの飲み物を買って、自宅へと帰り着いた。
一応声をかけて玄関から入ったつもりだったが、すぐには誰も出ては来ず、これ幸いと二階へ上がろうとしたところで、奥から出てきた母親の智子に軽く睨まれた。
「昨日はどこへ行ってきたの? 見慣れない服着てるけど、どうしたの? 例の探偵事務所の男の人らしい声でああだこうだと言ってたけど、ほんとに何をやっているのよ。大学のほうは大丈夫なの?」
「ああ、急に泊まることになったから、借りたんだ。あとで洗って返すから。大学はもう、ほとんど夏季休暇みたいなもんだよ。単位のことはちゃんと計算してやっているから、心配しないで。明日も出かけるからね。じゃあ」
晃が二階へ上がろうとすると、智子は慌てて引き留めようとする。
「ちょ、ちょっと。夕飯はどうするの。その袋は何? 食べてないなら、今から作るわよ」
「食べてきた。二階でやることあるから、これは夜食」
食べてきたというのは、嘘だ。法引の自宅で口にしたものなど、消耗した体はとっくに消化し尽くしている。あの高級栄養ドリンクさえ、普通に体が消化吸収してしまったらしい。けれど、もはや体の感覚がおかしくなってしまっているのか、食欲も感じない。
そのような状態で、いろいろ考えなくてはいけない状況の中で、母親の機嫌をうかがいながら食事などしたくなかった。
そのまま母親を振り切ると、二階の自室に上がって一息つく。