15.車中
一足先に車のところに到着した法引と結城は、結城が晃を後部座席に運んで座らせている間に、法引が佳子に向かって、急用が出来たのでいったん戻る旨を伝えた。
和海が到着するころには、結城は運転席に、法引も後部座席に乗り込み、結城に借りたサマージャケットを膝に敷き、その上にぐったりしている晃の上半身を横たえ、傷に触れないようにしてその体を支えながら、空いている方の手で自分の寺に連絡を入れているところだった。
「さ、早く乗ってくれ、小田切くん。和尚さんのお寺、妙昌寺に向かうから」
和海が急いで助手席に乗り込み、その隙間から笹丸が後部座席に入り、晃以外の全員がシートベルトを締めたことを確認すると、結城が車を発進させた。
走り出してしばらくすると、法引が晃の額に手を当て、息を吐いた。
「……熱が出てきましたな」
「晃くんは、大丈夫なんですか?」
助手席から、和海が不安げに振り返る。
「熱が出たほうが、まだましです。体が、瘴気の毒に抗っている証拠ですからな。ですが、だからといって、安心出来る容体ではありませんが」
その時、座席の下にいた笹丸が、法引の肩の上まで登ってきて、晃の顔を覗き込む。
(さすがにこういう状態では、話すのもつらいであろう。無理に話さずともよい。我としては、持ちこたえてくれとしか言えぬな、晃殿……)
(……いや、それが……)
(無理をするな。いくらそなたでも、瘴気の毒に侵されていては……)
(それがですね……実は僕、今すぐ命にかかわるというわけじゃないんですよ。もちろん、最低限ちゃんとした医療機関にかかるという前提が付きますけど)
(そ、それはいったい……?)
さすがに困惑する笹丸に、晃は以前の体験を打ち明けた。
大学に入って間もなく、まだ探偵事務所の人々に出会う前、やはり瘴気を武器にする物の怪と戦ったことがあったという。その時、何とか退治出来たものの、今回よりひどい瘴気の毒を受け、這うようにして帰宅した後、四十度近い高熱を出して寝込んでしまい、心配した母親によって救急車が呼ばれ、入院ということになった。
(でも、いくら検査しても熱の原因がわからない。だから薬も使えない。結局食事が喉を通らなかったのを点滴で補いながらずっと体力を持たせて、その間に自力で浄化しました。八日目の朝に浄化が終わって、一気にすとんと熱が下がって、それから念のためにもう一日入院して、退院しましたけど)
(……自力で浄化とな……。ほんに瘴気に対する耐性では、そなた完全に人外であるな。普通、そのようなマネ、したくても出来るものではないぞよ。ましてや今回、心の臓のすぐ近くに、毒を受けているというに……)
(あ~それに関しては、完全に俺のせい。いやホントに、色々……マジですまんかった!)
(……遼さん、どういうニュアンスで言っているかわかるから敢えて言うけど、今このタイミングで土下座はやめて。僕が精神ダメージ受けるから)
(精神ダメージって、おい)
(周りがこれだけ緊迫してるのに、いきなり土下座されたら、ギャップがひどすぎて気恥ずかしくてダメージくるって!)
(ああ。そうか……)
(それに今、僕の体調が最悪だってこともわかってるよね? 今すぐ命にかかわる状態じゃないっていうだけで、平気なわけじゃない。メチャクチャきついんだから)
(……それは、そうであろうな)
(小田切さんがこれを受けたら、ほんとに命にかかわると思ったんで、咄嗟に体が動いて……。でも実際、念話ではこうやって割と普通に話してますけどね、息苦しくてまともにしゃべれないし、だるくて動けないし、熱が上がってきたせいでクラクラして頭がぼうっとしてきたし、きついなんてもんじゃない状態なんですよ)
(そりゃそうだよな。俺は間接的に感じるだけだが、それでもなんかこの感じはヤバいって思うもんなあ)
(そう思うなら、余計なことしないでよ。ますますきつくなるから)
晃は笹丸に、前回瘴気の毒を自力で浄化した時は、体力的にはボロボロになってしまい、体調が完全に元に戻るまでに二週間はかかったのだとこぼした。
(だから正直、浄化の儀式を誰かが早いとこやってくれるなら、それに越したことはないです。今だって、刻一刻と体力は削られてますし。今すぐ命にかかわるわけじゃないっていうだけなので)
(そうであろうの。こうして見ていても、だいぶつらそうであるし)
(晃、何なら一時落ちるか? そうすれば、寝てる間に終わると思うぞ)
(だめだよ、そんなことしたら。そうでなくともみんなピリピリしてるのに、余計な心配かけるじゃないか)
そうして念話を続けていた時、不意に軽く頬を叩かれ、晃ははっとした。
「早見さん、気を確かに持ってください」
焦りを含んだ法引の声に、晃は気づいた。特に遼と会話をしていると、意識が内に向く。傍から見ると、ぼんやりしているように見えるのだが、こういう事態であるため、意識が混濁しているものと思われたのだ。
内心申し訳ないと思いつつ、晃は熱でどこかぼやける視線をなんとか法引の顔に合わせ、唇の動きだけで“和尚さん”とつぶやいた。
「ああ、よかった。寺までもう少しです。頑張ってください」
安堵をにじませる法引の言葉にかぶさるように、和海の声が聞こえてきた。
「晃くん、死んじゃだめよ。だめだからね」
その声は、どこか泣きそうに聞こえる。晃が、心の中で溜め息をついた。
(小田切さん、動揺が大きすぎるよ。所長じゃないけど、ほんとに物の怪や悪霊に狙われかねない)
(やはり、普段頼りにしている存在が、自分をかばって自分の目の前で打ち倒されたというのが、よほど衝撃だったのであろうな。しばらくは収まらぬやもしれぬ……)
次第に熱が高くなり、晃の顔にじっとりと脂汗がにじみ出てくる。それに気づいた法引が、布で汗を抑えるように吸い取ってくれた。
やがて、雨が降り出したらしく、かすかにワイパーが動く音がし始める。
「……雨が降り出したな。これでも急いで法定速度ギリギリまでスピードは上げているんだが、雨だと制動が甘くなるからな……」
「結城さん、事故を起こしては本末転倒です。安全運転でお願いします」
「わかっていますよ、和尚さん」
次第に強くなる雨の中、車は一路妙昌寺へとひた走った。