12.ずれる思い
悲鳴のような声を上げ、和海が晃の体を抱き起そうとし、それに結城が加わる。
「早見くん、起き上がるのはまだ無理だ。横になっていたほうがいい」
二人がかりで晃を元通りに寝かせると、法引が晃の額に右手を当て、小声で読経しながら念を込め始める。
法引の手から、暖かく清らかな力が自分の中に流れ込んでくるのを感じ、晃は心地よさにふと目を閉じた。いくら狙ってこの事態を引き起こしたのであっても、体が消耗していることは間違いないからだ。
ほどなく読経は終わり、晃は自分の体に少し力が戻っていることを感じていた。
「……これで多少は違うでしょう。わたくしも、今のところはここまでのことしかできません。あとは、ご自分で食事をとって回復に努めていただくしかありません」
申し訳なさそうに頭を下げる法引に、晃は首を横に振る。
「いいえ、充分です。ありがとうございます。多少は人心地が付きました」
そこへ、佳子が小鍋を盆にのせてやってきた。
「雑炊を作ってきました。食べてくださいな」
晃は本気で恐縮した。
「お手数をおかけして、本当にすみません……」
「いえ、いいんですよ。化け猫と一番に戦ってくださったのはあなただという話は聞きました。護ってくださって、ありがとうございました」
訊けば、彼女自身はほとんどわからなかったが、やはり博興は外で霊的な攻防があったことに気づいていたらしい。そして、佳子にそれを告げてくれていたという。
佳子とて、長年神職の妻だった女性である。結界を護った一番の功労者が晃だと知らされて、こういう反応になったのだろう。
結城に支えられながら上体を起こすと、晃は盆を自分の膝の上に置き、添えられたレンゲを使って小鍋から直接雑炊を口にした。出汁でご飯を煮て塩で味を調え、卵を混ぜただけのシンプルな雑炊は、消耗した体に優しくしみた。
「しかし、わたくしたちは結界を本格的なものにして、化け猫が襲ってきてもそうそう破られることがないようなものにしなければなりませんな」
晃が雑炊を食べる様子を見ながら、法引が真顔になって腕を組む。
「しかし、私たちがいったん離れて、結界は大丈夫なんですか? 和尚さん」
結城の問いかけに、法引は大丈夫だと言い切った。
「これも、早見さんのおかげです。早見さんが、強力な力を結界の核に込めてくださったおかげで、あの結界は一時的に強化された状態で、それがおそらくは最低でも一週間は続くでしょう。その間に、本格的な結界を構築し、防備を強化する。それしかありません」
「私たちは結界やお守りで護られるとして、あの化け猫そのものはどうするんですか?」
佳子の問いかけに、法引は溜め息混じりに答える。
「もう一度、封印し直すしかないでしょうな。退治するとなると、相当大ごとになります。ただ、あの封印の石碑が使えるかどうか、もう一度改めて確認しておかなければなりませんが」
「わたしたちにできますか、再度の封印なんて」
和海が不安を隠しきれない表情になる。
「それでも、やるしかないさ」
結城が、腹をくくった顔で和海のほうを向いた。
そして法引が、佳子に向かって問いかける。
「化け猫が封印されたころの古文書などが、どこかに残ってはいないでしょうか? もし残っていれば、拝見させていただきたいのですが。もしかしたら、封印に関する手がかりが残されているかもしれません」
「ああ、そうですね。蔵の中を探してみます。見つかるようでしたら、お見せいたします」
佳子は、古文書が見つかった場合の開示を約束した。
三人が、これからのことをざっくり打ち合わせ始めたのを横目に、晃は傍らの笹丸に問いかけていた。
(笹丸さん。もし、僕がいなかったとしたら、三人だけで封印できると思いますか、あの化け猫)
(それは無理であろうな。おそらくは、封印された当時より、今のほうがあの猫は強いであろうよ。長年封じられてきた恨みの念が凝って、それが力に変わっている状態になっておる。あの瘴気が、その証拠であるぞ)
封印当時は、推定として法引と同程度の力を持った術者が二人がかりで封印の術を施した模様だという。だが今は、法引と同程度の力を持ったものが三人は必要だというのだ。
(いうては何だが、結城殿も小田切嬢も力不足。そなたが抜ければ、封印などとてもおぼつかぬであろうよ)
(晃、お前本気であの化け猫、封印も退治もさせずに済ませたいと思ってるみたいだな。とすると、一度屈服させて、笹丸さんに術をかけてもらっての従属っていう一択しかないぞ?)
(わかってる。それをするためには、こちらも全力を出さなきゃならなくなるから、他の人の前では絶対に出来ないってことも含めて、結構厄介で大変な道だってこともね)
自分が封印するつもりがないなら、化け猫の封印は成功しない。晃にとって、それは重大なことだった。ある意味、自分を信じてくれている人を“裏切る”行為に等しい。
それでもそちらを選ぼうと思ったのは、猫の眼を見たからだった。
朱がかった金色のあの眼は、怒りと同時に深い哀しみと憤りを秘めていた。人間に散々に傷つけられ、命そのものを踏みにじられた小さきものの怒りと絶望が、あの眼の奥に秘められていたのだ。あの眼を見てしまっては、おいそれと退治だの封印だのと、口に出来なくなってしまう。
(普通、いかに強力な霊能者とて、あの眼を見たところで、そこまで読み取ることなどできまい。そなたの感性は、人よりも霊や妖怪変化に向かって開かれているように思えてならぬの。確かにそなたは、半ば人ならざるものではあるが……残り半分は紛うことなき人なのだ。それを忘れぬようにな)
(そうだぞ、晃。笹丸さんの言うとおりだ。もうちょっと人間のほうに目を向けろ)
遼がよくぞ言ってくれたとばかり、しみじみとした口調で晃を諭す。晃は内心苦笑した。