11.思惑
法引は両手に数珠を挟んで鳴らし、読経を始めた。その声に重ねるように、三人が自分の力を乗せていく。笹丸は、四人が発する力に圧倒されるのか、少し離れたところから様子を見ているのがわかる。
法引の読経の声は、結界の要となる土中の護符に注ぎ込まれ、結界の力を強化する。化け猫は、忌々しそうに何度も前脚を結界に打ち付けるが、そのたびに弾き返された。
どれほどそのような状態が続いただろうか、不意に化け猫が猛々しく吼えたかと思うと、その姿が揺らぎ、黒い靄となり、それさえふと霧散し、姿が消えた。あれほど感じていた、空間を圧迫するような存在感も消え去った。
ひとまず危機は去った。
誰もがそう思った途端、全員がその場にへたり込んだ。
「……なんとか、なったんですよね?」
疲労の色をにじませながらの和海の問いかけに、同じく疲れた顔の結城も法引もうなずく。
「ええ、ひとまずは何とかなったはずです」
「ああ、一時はどうなるかと思った」
ところが、晃からの声がない。
三人が慌てて立ち上がっても、晃はまだうずくまったままだった。
「早見さん、大丈夫ですか?」
法引が声をかけるとそこで初めて晃が顔をわずかに上げる。
「……なんとか……大丈夫……です……」
だが、その顔色は青ざめていて、とても大丈夫な顔色ではない。
「……また、あなたの力に甘えてしまいましたな……」
法引が手を伸ばし、晃をそっと立たせようとする。結城もそれを支え、晃は何とか立ち上がった。
「……すみません……大丈夫……ですから……」
言いながら一歩踏み出した途端、晃の膝が崩れる。慌てて法引と結城が抱き留め、それを見た和海があたふたと家のほうへ駆け出した。
「高坂さんに頼んで、休める場所を用意してもらってきます」
「お願いします。おそらく、博興さんは今の騒ぎに気が付いているはずですからな」
結城が半ば抱きかかえるような形で肩を貸し、法引がそれを横から支えるような体勢で、二人がかりでほとんど体に力が入っていない晃を、家のほうへと運んでいく。
家の中に運び込み、佳子と和海が急いで敷いたというふとんの上に晃を寝かせると、いつの間に来ていたのか、笹丸がその枕元に座っているのが目に入った。
「笹丸さんも、心配しているのかしら。力の使い過ぎで倒れたんですものね」
「まったくお恥ずかしい限りです。あの時、結界を維持していた力の半分は、早見さんのもの。わたくしはそれに甘えてしまいました。その結果がこれですからな」
「それを言うなら、私だって一緒ですよ、和尚さん。自分が情けなくて……」
晃が寝ているふとんから少し離れたところで、三人は顔を突き合わせて溜め息をついた。
「笹丸さんが、なんて言っているのか知りたいところですけれど……わたしじゃ聞き取れないんですよね」
「あの一人と一体は、いつも念話というか、いわゆるテレパシーというか、そういうたぐいのもので話しているみたいで、私や小田切くんでは会話に混ざれなくて」
「それはわたくしでも変わりありません。念話をこちらに向けてくれれば聞き取ることはできますが、自然な会話は望むべくもありませんからな」
三人は、笹丸がきっと晃を案じて言葉をかけているのだろうと思った。
そして、結果的に晃におんぶ抱っこで結界を護らせてしまった自分たちの不甲斐なさに皆口数が少なくなってしまっていた。
そんな様子を横目で見ながら、笹丸が晃に告げる。
(傍から見ておって気づいたが、今回のこと、そなたわざとやったであろう?)
(……やはり、わかりましたか。一応、相当誤魔化したつもりではあったんですけど)
今回、化け猫はなぜか自分を標的にしたらしい。接点としては、化け猫が封印されていた場所での霊視以外、考えられない。
瘴気に囲まれた場所にまで踏み込んで何らかのことをしたから、とするなら、化け猫はそのようなことをする人物の力量を見極めようとするはずだ。
ならば、その力量を低く見せ、与しやすい相手だと思わせれば、化け猫は自分のところに来るのではないか、と考えたのだ。
(それぞれが単独で念を込めれば、各自の力量がはっきり出てしまいます。でも、和尚さんに力を預けて、和尚さんの力を前面に立てれば、各自の力量がわからなくなる。和尚さん一人だけが突出した力の持ち主のように見えるでしょう?)
力のあるものと戦いたがる戦闘狂ならともかく、普通は与しやすい相手を選ぶものだ。
(でも、他の人たちには悪いことしたなって思っています。倒れるのを狙って、思いっきり力を込めたので)
(実際、向こうは反省会状態になってるぞ。今回お前、かなり黒いよな)
(言わないでよ、遼さん。僕だって今、結構罪悪感あるんだから)
(確かに、化け猫が騙されて、そなたを与しやすい相手とみる可能性はかなりあるとは思うが……やはり、去った後の事後も、相手は様子を見ていたと考えておるのか?)
(ええ、その可能性は高いと思っています。他三人は比較的元気なのに、一人だけふらふらなのがいたら、しかもそれが、自分が狙っている存在だとしたら、化け猫にとっては好都合だと思ってくれるのではないかと)
(そこまで考えて、わざと倒れるまで力を使ったか。確かにあの化け猫の様子では、そなた以外の者に対峙させるのは不安が残るのは事実ではあるがの)
(化け猫の実体を見た瞬間、『他の人を巻き込んだら危険だ』と直感したので。僕一人を狙わせるために、『霊視能力は高いが他はそれほどでもなく、すぐにへたばって使い物にならなくなる中途半端な霊能者』のふりをしたんです。そのせいで、他の人たちには大変申し訳ないことになってしまったんですけど……)
(まあ、気持ちはわかるがな、晃。やっぱ黒いわ、お前)
(遼さん、凹むから言わないで)
晃が思わず大きな溜め息を吐くと、それに反応した三人が枕元に急いでやってくる。
「晃くん、大丈夫?」
和海が、晃の顔を心配そうにのぞき込む。
「……大丈夫です。気分は……悪くありませんから」
そういって笑みを浮かべて見せる晃だったが、顔色のほうは相変わらず悪いままだ。
本人としては狙ってやった手前、そんなに心配してくれなくてもいいと思っているのだが、晃一人に負担をかけてしまったと思っている三人にとっては、はいそうですかというわけにいかない。
「そうはいってもな、君一人に負担をかけてしまったことは事実なんだ。我々としては、自分が情けなくて仕方がなくてね」
自嘲気味の笑みを浮かべながら、結城が肩を落とす。
法引までもが、どこか気落ちしているような雰囲気が否めない。自分で自分に腹を立てている感じだった。
「早見さん、あなたの力に甘え、わたくしたちはいわば手を抜いたに等しいことをしてしまいました。その結果がこれです。本当に申し訳ありません」
「……いいえ、僕自身が自分の体力を見誤ったせいで……今回のことをやらかしたんです……。だから……もう自分を責めないでください……」
だんだん居たたまれなくなってきた晃が、上体を起こそうとして失敗し、そのまま突っ伏した。三人が息をのむ。
「晃くん! 無理しないで!!」