08.お守り
「神主一族を根絶やしにした暁には、周辺の人々にも危害を加え始めるのは間違いないでしょう。だからこそ、阻止しなければならないのですが……」
晃が、唇を噛む。その表情からは、複雑な感情が渦巻いていることが感じられた。
「……人の業ですな、その怪物を作り出したのは。今の世に生まれてきたのであれば、何の問題もなく“毛 足の長い珍しい三毛猫”としてかわいがられ、天寿を全うできたでしょうに」
どこか憐れみを含んだ口調で、法引がつぶやく。
「とにかく戻りましょう。もうすぐ日暮れです。確かに化け猫は、朝から博臣さんを襲ってはいますが、本来の力を発揮するのは夜。暗くなる前に高坂の家に戻って、これからのことをもう一度話し合いましょう」
晃の提案に、三人もうなずいた。そして、晃を先頭に元来た道を引き返していく。
家の周囲には結界は張ったが、個々人に対する護りはまだ手薄なままだ。それをなんとかしないと、うっかり外出もできないということになる。
博臣が襲われた状況を考えると、朝や日中であっても決して油断はできない。
四人は、急いで丘を降りて行った。
そして……
辺りが薄暮に包まれる頃、漂う瘴気の近くに黒い影が姿を現した。影は、高さ二メートル、長さが五メートルはあるもので、朱がかった金色の光が二つ並んで、まるで辺りを探るように影に張り付いてうごめいている。
やがて、人間がこの場にやってきたことに気づいたか、不愉快そうに唸り声をあげる。
特に、瘴気の中にまで踏み込んでいる足跡があることに、大きく身震いをする。
影はやがて、全身を長い毛で被われた巨大な三毛猫の姿に変わった。猫は朱金の眼をぎょろりと動かすと、地の底から響くような低い声で一声吼え、あっという間にその姿が薄れていき、闇に紛れるように消えていった。
* * * * *
高坂の家に戻ってきた四人が見たのは、家の中の神棚がある部屋で、神棚に向かいながら、不自由な体を無理矢理四点杖で支え、麻痺が残る右手に佳子が手を添えて御幣を握り、佳子とともに必死に祝詞を唱えようとしている博興の姿だった。
その足元には、弥津葉神社のお守りがあった。お守りに対して、改めて祝詞を唱え、守護の力を強めようとしていたのだろうと、容易に想像がついた。
「ああ、無理をしないで! あっ! 危ない!」
二人がよろけたのを見た瞬間、一番慌てたのは法引だった。飛び出すように駆け寄って、二人を支えようとする。結城も和海も駆け寄った。
晃は咄嗟に、今のままで使える最大限の〈念動〉を使い、法引や結城がその体を支えるまで、二人の体を空中に一時的に固定した。
「博興さん、あまり無茶はしないでください。お気持ちはわかりますが……」
結城とともに、博興と佳子の体をそっと畳の上に降ろしながら、法引が額から噴き出した冷や汗をぬぐう。
「さっきの体勢は、かなり危なっかしかった。危ないと思った途端、よろけたからもう……。見ている方が心臓に悪いですよ。これを機に、ご子息を鍛えたらどうですか?」
結城の言葉に、博興はぎこちなく首を横に振る。
「……だ……めだ……。あ……ぃ……は……」
博興は、息子の博臣には真の意味での神の代理人としての神主は、務まらないと思っているらしい。
「こればっかりは、ただ知識があればいいっていうものじゃないですものねえ」
和海が溜め息混じりに天井を仰いだ。
そこへ、晃が進み出る。
「あの、僕が念を込めてきましょうか? 少しは違うでしょう」
その場にいた全員の視線が、晃に集中する。全員がわかっていた。この場にいるものの中で、最強の力を持つのが晃であることを。すかさず佳子が頭を下げる。
「よろしくお願いします。どうか、頼りない息子の代わりに、お助けください」
「あ、あの、そんな大げさな物じゃありませんから。ちょっと念を込めるだけですから」
場の雰囲気に顔を引きつらせると、晃は床に並べられていたお守りを丁寧に拾い上げ、部屋を出て人目につかないようにキッチンへ移動する。冷蔵庫の陰に体を滑り込ませ、そこで遼の力を呼び込んだ。
凍えるように冷たく、燃え上がるように熱い感覚が体を駆け巡る。それを確かめるように一度目をつぶり、目を開けると、右手の中にあるお守りに目をやった。
鮮やかな錦の布で出来た小袋に神社の名前が織り込んであり、組まれた紐で下げられるようになっている一般的なお守りだ。落としてしまわないように、紐のところを指に通して持ってきた。
お守りの数は、一応家族の人数分の六個。本当は、強い霊力を持つ麻紀はまず大丈夫なのだが、念には念を入れてということなのだろう。
晃は、お守り袋に向かって念を込める。右掌からかすかに青い光があふれ、お守りを押し包み、吸い込まれるように消えていく。
やがて、すべての光が消えると、晃は遼の力を分離した。一瞬虚脱感が襲う。
(相変わらず、とんでもないものをこしらえるの。我はそなたの力に馴染んでおるから大丈夫だが、普通ここまでの力を持った守り袋なぞを持つ者には、邪霊や妖怪など、近づきたくとも近づくことなど出来ぬぞ。まあ、それでも破ろうと攻撃し続ければ、削れてしまうであろうがな)
(……だろうな。それでも、持っていれば確実に時間稼ぎにはなる。とにかく、早いところ神主さん一家に渡しちまおうぜ。ただ、渡した後、怒りの矛先がこっちに向きそうでちょっと怖いんだけどな)
(僕もそれは思ってるけど……。まったく対処出来ない人たちのところへ行くより、僕たちのところへ来た方がまだましだと思うんだ。だから、ここはさっさと渡すね)
晃は元の部屋に戻ると、お守りを佳子に手渡した。
「これを身に着ければ、違うと思います。特に結界の外に出るときには、肌身離さず持っていてください」
それを見た法引や結城、和海は言葉を失い、博興も何かを感じるのだろう、お守りをじっと見つめている。キョトンとしているのは佳子だけだ。
「わたし、改めてどこかに修行に出ようかしら。別次元を見せられるとねえ……」
「小田切くん、無駄だからやめておきなさい。我々では、逆立ちしたって早見くんの足元にも及ばんよ」
「わたくしも、本当にもう一度修行し直した方がいいのではないかという思いが、頭をよぎりました。今更、どうしようもありませんが……」
とにかくお守り自体は佳子に託してしまえば、あとはよろしく計らってくれるはずだ。
晃は、他の三人に目くばせして部屋の外に出ると、別な懸念を三人に伝えた。
「これだけ直接邪魔したんです。化け猫が“自分の恨みを晴らすのを邪魔する憎い人間”として先に僕たちを潰しにかかる可能性は、相当高いと思うのですが?」
晃の言葉に、三人ともうなずく。
「充分考えられる事態だな。これ以降、この事件が何らかの形で解決するまでは、お互い油断しないように気を付けないといかんな」
結城が考え込むと、法引も眉間にしわを寄せる。
「そうですな。高坂の家からあまり離れないとは思うのですが、我々がここに近づくたびに、明らかに狙われるでしょうし、そのうち誰かのところに不意に現れないとも限りません。注意するに越したことはないでしょうな」
「……それじゃ、化け猫が誰かのところまで来る危険があるというわけですか?」
和海が顔をこわばらせながら法引に尋ねる。
「ないわけではない、としか今のところは言えないでしょう。化け猫が本気でわたくしどもの後をついてこようと思えば、簡単なことですからな」
「でしょうね。僕たちに気づかれないように追いかけてくることは、決して不可能じゃないですから」
晃が思案顔で大きく息を吐いた。
「どちらにしろ、最低でももう一度、ここには来なければなりません。今回施した結界はあくまでも仮初のもので、長く持つものではありませんので。改めて、きちんとした結界を張り直す儀式を行う必要がありますゆえ」
法引は、その儀式は自分が行うので、他の人は無理に来なくても大丈夫だと告げたが、それにはみな首を横に振った。
「和尚さん、一人でリスクを背負おうとしないでくださいよ。確かに私や小田切くんでは力不足は否めないかもしれないが、それでも何かやれることはあると思う。ここまで足を突っ込んだんだ、最後まで巻き込んでくださいよ」
結城の言葉に、和海もうなずく。
「そうですよ。どうせ目をつけられているのは全員のはずです。だったら、最後まで行きましょうよ、みんなで」
「そういうことですよ、和尚さん。もちろん僕も、協力しますから」
晃が苦笑気味に笑うと、法引はやれやれとでもいうように首をすくめた。
「わかりました。では、本当に一蓮托生です。気を引き締めて、化け猫を再度封じるか、倒すかするまで、やり切りましょう」