07.瘴気
かつては神仏習合で共に祈ることも出来た神道と仏教であったが、明治時代の神仏分離令で無理矢理引きはがされてからは、関係性は一応ライバルという形に変わっている。
そういう意味では、特に宗教的な修行を何もせずに強力な力を使う晃のような存在は、実は都合がいいのだが、それは口に出して言う話ではない。
急いで準備を整えた四人は、石碑があった裏手の丘に向かう。なんでも、かつての先祖が、村に万が一のことがあってはならぬと、化け物を封じたこの丘までも、神社の敷地として囲い込み、村から独立させてある意味もう一つの結界のような形で後世に伝えていたため、現代でもこのような形で宅地化されずに残っていたそうだ。
緩やかに続く坂道を上りながら、四人は周囲を警戒していた。化け猫が恨みに思っているのは確かに神主一族だが、その一族を護るために結界を張り、いろいろ介入してきた自分たちに対して、相手が友好的な態度をとるわけがない。
それでも、乾きかけた土道を歩くことしばし、石碑のところに出た。
聞いていたとおり、一抱えもある黒い岩に“封”の一字が刻まれただけのそれは、何か異様な印象であり、それが直下で起きた小規模とはいえ地滑りのせいで傾いている様は、どこか不気味ですらあった。
そして何より、石碑のあたりには、いまだにどす黒い瘴気が漂っており、近づいただけで瘴気に当てられて身体的な影響が出てしまいそうな状況だった。
四人は、石碑から十メートルは手前で立ち止まる。瘴気のせいで、霊視をしようにも見通しが利かないに等しい状態になってしまっていた。
「これじゃあ、近づくことも出来ないな。和尚さん、どうしますか?」
結城の問いかけに、法引も顔をしかめる。
「これでは、どうしようもありませんな。瘴気を祓うにしても、あれだけ濃密では、そう簡単には祓えませんし、祓わなければ、霊視をするにしてもかなり制約がかかりますからな」
時間をかければ瘴気を祓う儀式を行うことは可能だが、夕暮れの時間も迫っている。それに、こんなところで暗くなるのは、正直危険だ。
和海も半ば諦め顔で、晃に話を向けた。
「晃くん。いくらあなたでも、あの瘴気を通しての霊視なんて無理よねえ?」
晃は静かに向き直ると、答える。
「確かに瘴気は邪魔ですけど、ならば“視える”ところまで近づけばいいだけですよ」
「え!? どういうこと?」
晃は戸惑う和海をそのままに、石碑に近づいていく。
「お、おい! 早見くん!! 瘴気に当てられるぞ!!」
「早見さん! あなたは!?」
結城や法引が焦って声をかけてくるのをしり目に、晃はなおも石碑に近づいていくが、ふと肩の上に乗っている笹丸に向かって話しかける。
(笹丸さん、瘴気が苦手なら、肩から降りて待っていても構いませんよ)
(生身の人間ほど弱くはない。それよりそなたは大丈夫なのか?)
(ええ、実は遼さんが同化している関係で、物の怪が出す瘴気の類には耐性がありまして。このくらいの瘴気なら、今のままでも二十分程度なら影響は受けません。“本気”になれば、全く平気です。もっと濃密ならば、話は別ですが)
(やはりそなたは、“人にして人にあらざるもの”よの。まあ、法引殿はおよそ気づくとは思うが)
(なんか俺、複雑な気分なんだけどなあ。とにかくさっさと“視”ちまおうぜ)
遼の声に、晃は一気に瘴気の中に踏み込んだ。後ろで三人が悲鳴のような声をあげているのが聞こえたが、それにかまっているときではない。
晃は念を凝らし、瘴気の奥にある、かつてここに封じられた化け物の本性を、じっくりと探った。長い間、ここに封じられていただけあって、化け物の濃厚な残留思念が残り、かつての思いや感情などを、はっきり感じ取ることが出来る。
そして大体二分ほど経ったろうか、晃は霊視を終えて三人のもとに戻ってきた。途中で、まとわりつく瘴気を振り払うのも忘れなかった。
「あ、晃くん……本当に大丈夫なの……?」
ひきつった顔で、和海が問いかける。晃は、少し疲れたような表情を作って、たいしてかいてもいない額の汗を右手で拭った。
「何とか大丈夫です。思いっきり気を張り詰めておけば、ほんの数分なら最小限の影響で済むんですよ、僕」
「本当に大丈夫なんだろうな。明日の朝になって、寝込んだなんてことになったら、目も当てられんぞ」
結城も焦りを隠せないまま晃の体を両手で軽くポンポンという感じで触り、無事なのかどうかを確認しているようだった。
「まったく、無茶をしますな。あまり驚かさないでください」
法引も、胸をなでおろしたという感じで晃を見ている。
「今回は、あまり時間がなかったということで無茶はしましたけど、その分収穫もありましたから」
晃は、封じられていた化け物、化け猫の詳しい様子を語り始めた。
「そいつは四百年余り前、元々本物の生きていた猫でした。それが、人間を恨んで化けて出て、化け猫になったのです」
「本物の猫?」
思わず聞き返した和海に、晃はうなずく。
「そうです、本物の三毛猫でした。ただ、突然変異で長毛の遺伝子が発現し、毛足の長い珍しい三毛だったんですが。ただ、かえってそれがまずかった」
当時、猫といえば今でいうところの和猫であり、短毛種の猫ばかりだった。
そこへ突然、ふさふさの毛並みを持つ長毛の仔猫が生まれたのだ。ある程度都市化されていた江戸の町ならともかく、田畑しかないこのあたりの村々でそのような猫が生まれれば、迷信深い人々が気味悪く思うのは当然だっただろう。
なんとか歩けるようになったころ、その仔猫は村人に見つかった。
それからの扱いはひどかった。親猫から引き離され、裏の里山に捨てられた。仔猫は、必死の思いでぼろぼろになりながら親元に戻った。
それなのに、村人はそんな仔猫に石を投げつけて追い立てた。
仔猫は、村人に追われながら半ば野生化したままある程度大きくなった。しかし、生きるために村で飼われていた鶏を襲ったことから、化け物の子供扱いされ、ついには捕まえられて撲殺されてしまったのだ。
猫は実は、最後に飢えて鶏を襲った以外、村に害になることはしていない。すべて、見慣れぬ長毛種の猫だった、というだけで、村人が猫を追い詰めたといっていい。
そして、猫は化けて出た。周辺の村々を荒らしまわり、人々を苦しめ、何人もの村人の命を奪った。その結果、時の神主と旅の行者に封印されてしまったのだ。
「僕個人としては、最初にやらかしたのは明らかに人間のほうだと思うんですよね。もちろん、今の神主である高坂さん一家とその親族の方々を護るのは最優先ですが、化け物を力づくで退治してハイ終わり、というわけにもいかないような気がして……」
「それはどういうことなんだ?」
結城が思わず問いかけると、晃は大きく溜め息をつきながら一旦うつむき、改めて顔を上げる。
「猫は、恨んでいます。神主一族だけじゃない、人間そのものを。ただ、普通に母猫や兄弟とともに暮らしたかっただけの猫に対し、その見た目だけで“化け物の子”呼ばわりして追い立て、惨殺した人間という生き物の残酷さを」
人に祟るなら、自分を殺した者に祟るはずである。だが実際は、化けて出て妖怪と化し、周辺の村々に被害を与える存在となった。
それは、“人間という存在そのもの”を憎み、恨んだからに他ならないのだ。