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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第四話 狂い桜
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28.魂魄帰ル

 すでに、結城の喉は枯れかけていた。声はかすれ、般若心経を持つ手も震えていた。和海は、ただひたすら祈り続けた。

 晃が姿を消してからどれほどの時間が経ったのか、二人にはわからなかった。その無事な帰還だけを、二人は祈り続けた、

 そのとき、目の前の枝垂桜の幹から発せられていた光が、急に強さを増していくことに気がつき、二人は期待と不安に揺れながら、その光を見つめた。

 光は、よりいっそう強くなり、正視するのが困難になってくる。遂に目を開けていられなくなり、思わず目を閉じたその瞬間、何かが結城に向かって倒れかかってきた。

 「うわっ!」

 驚いた結城が、思わず般若心経の経本を放り出しながら慌てて目を開けると、それは晃だった。そして光は急速に薄れ、程なく見えなくなった。

 「早見くんっ!」

 急いで抱きとめ、そのままかがんで晃の身体をシートの上に横たえる。和海も、晃を覗き込んだ。そして二人は息を飲む。

 晃の顔色は、青白いのを通り越して土気色だった。胸元が呼吸のたびにかすかに動いていることで、かろうじて生きているとわかる状態だ。“魂喰らい”にやられたのだ、と直感した。

 すでに意識はまったくなく、呼吸も今にも止まってしまいそうに思えた。結城が右手を取って脈をはかると、弱々しく早い。

 「いかん、早く病院に連れて行かないと、危ないぞ」

 結城が、茫然と和海の顔を見る。和海も、顔から血の気が失せていた。そのときだった。

 (大丈夫です。その人は死んだりしません。持ちこたえています)

 その“声”に顔を上げると、あの“山桜の精”と、肩に笹丸を乗せた村上の姿が“視え”た。“山桜の精”は、枝垂桜はもう鎮まったこと、二度とこのようなことは起きないこと、実は自分が、“我が子”の木をかつて神座としていた神霊に頼んで、皆を呼んだのだと二人に告げた。

 (とても、私の手に負えそうにありませんでしたから、どうしても強い力を持つ方々の助けが必要だと思ったのです。それで、神霊様に頼んで、あなた方をこの地に呼び寄せたのです。あなた方がそこにいる方の部屋で“視た”桜の花びらは、私が神霊様に頼んで、運んでいただいた私の“気”です)

 それで、自分たちは一度、あの朽木の元にいくことになったのか、と二人は納得した。

 晃があの場所で“視た”女の姿も、自分が媒体となって、女の姿を“視せた”のだ、とも語った。いきなり対峙させては、対処の方法も思いつかないだろう、と考えたからだという。

 ただ、“枝垂桜の精”が、晃を気に入ったのは、予想外だったともいった。

 (誘い込むようなことをしまして、本当に、申し訳ありませんでした。私も、自分の木へ戻ります。ご迷惑をおかけしました。枝垂桜も、枯れることなくこの地で生きていけそうです。本当に、ありがとうございました)

 “山桜の精”は、深々と頭を下げると、その姿がすっと見えなくなった。

 「あ、まだ、聞きたいことがあったのに」

 思わず和海が悲鳴に近い声を上げた。

 「いや、そんなことより、今は早見くんのほうが心配だ。“山桜の精”は『大丈夫だ』とはいったが、衰弱がひどいのは間違いない。ひとまず宿に帰って、診療所か何かの先生に連絡してもらおう」

 結城の言葉にうなずいた和海は、結城に車のキーを渡し、ふと傍らにいる村上に目をやった。村上の表情は、明らかに茫然自失で、今、自分の周囲で何が起こっているのか、理解出来ていないのが見て取れた。

 結城も晃を抱き上げると、村上に目をやる。すると、肩の上の笹丸が飛び降り、村上の脚を突付いた。途端に村上の姿は人間の形を失い、丸くぼんやりとした球状になった。それを背中に“背負う”と、ついてこいとでも言うかのように、笹丸が車に向かって歩き出す。 結城もそれに続き、和海は大急ぎで般若心経を拾い、塩を集めてシートをたたむと、車へと急いだ。

 和海が車に戻ったときには、すでに後部座席に晃が寝かされていた。そして、結城もまた後部に陣取っていた。意識のない晃が座席から落ちないように、狭い隙間に大柄な身体を無理矢理もぐりこませるようにして、支えていたのだ。

 代わりに笹丸が助手席にいて、ドアを開けた和海を迎えるように、悠然と尻尾を揺らした。小さいながらも、風格が増しているように“視える”その背中には、あの光の球が、まるで張り付いているかのように乗っかっている。

 晃は倒れてしまったが、村上の魂を肉体に送り届けるまで、今回の一件は終わっていない。そのことを、和海は改めて思い出した。

 車を発進させながら、和海は結城に向かってこう言った。

 「所長。所長は、そのまま晃くんに付き添って、宿で診察を受けさせてあげてください。わたしは、笹丸さんをつれて、村上さんのところに行ってきます。一刻も早く、元に戻してあげるために。今からいけば、病院の面会時間にも間に合いますから」

 「そうだな。今から、宿のほうに連絡して、早めに医者の手配が出来ないか、問い合わせてみよう。宿で、私と早見くんを降ろしたら、病院へ向かってくれ」

 結城はスマホを取り出すと、宿の電話番号を和海から聞き、連絡を取った。宿のほうには、晃は持病の発作を起こして倒れたことにし、医師を呼んでもらうことは出来ないかを問い合わせた。

 すると、宿のほうで診療所の医師に連絡を取ってくれることになり、急いでつれてきてほしいと言われた。

 車は山道をひた走り、行きより早い時間で宿まで帰りついた。宿の玄関先には、宿の主人と女将が、心配そうに立っている。

 車が止まってドアが開くのを見て、二人が駆け寄ってきた。

 「先生は、すでに先程いらっしゃいました。食堂の隣の部屋でお待ちです。容態は大丈夫ですか」

 結城が、後部座席から晃の身体を運び出すと、それを覗き込んだ宿の二人は、晃の土気色の顔にあたふたと離れた。

 「これから連れのものが、かかりつけの病院へ行って、薬をもらってきます」

 晃を抱き上げて運ぶ結城に、宿の女将が問いかける。

 「薬は、持ってきていなかったんですか」

 「ここのところ何年も、発作を起こしていなかったので、油断しました。まさか、出先で発作を起こすとは、思わなかったもので……」

 宿へと向かう結城に向かって、和海が窓から首を出して告げた。

 「出来るだけ急いで戻ってきますから」

 和海は、助手席に村上の魂を背負った笹丸がいるのを確認し、車を再び走らせる。

 田舎道を抜け、高速道路に乗ったところで、時計を確認する余裕が出来た。午後二時半を差している。今からなら五時少し前くらいには、病院に到着出来る。

 そういう時間計算をしたあと、和海は傍らの笹丸に一瞬視線を向けた。

 「笹丸さん、あの中で何があったのか、教えてくれませんか……」

 そうつぶやいたあと、溜め息をついた。

 「わたしは、笹丸さんと、直接話が出来ないんだった。あの中で何があったか、知りたかったのに。でも、晃くんが生きて帰ってきてくれて、よかった」

 そのあと和海は、ほとんど独り言のように笹丸に他愛もない話をし、退屈な運転時間を紛らわせた。

 そして、身慣れた町並みが目に入ってくる頃には、日は西に傾いてきていた。

 和海はそのまま、村上が入院している病院に直行すると、駐車場に車を止める。和海が降りると、笹丸も続いた。

 すでに覚えた道を辿り、村上の病室の前に立つと、笹丸は背中を急に丸め、背中に背負った光の球を、和海に向かって飛ばしてよこした。

 驚いた和海だったが、それは和海の肩の上に乗り、落ち着いた。

 「……そういえば、村上さんは霊能を中和する力があるから、霊たちは近づきたがらないんだったわね」

 そう小さくつぶやくと、笹丸に待っているよう告げ、病室のドアを開けた。

 中では、村上の母杏子が、ベッドの傍らで着替えを物入れにしまっているところだった。

 村上本人は、ベッドの上に座って、相変わらずぼんやりと虚空を見ていた。

 杏子は、入ってきた和海を見て、胡散臭そうな視線を向ける。

 「今日は、一体何の用ですか。また、おかしなことを訊きに来たの?」

 和海は、首を横に振った。

 「いいえ。抜け落ちた魂を、連れてきたんです。これを肉体に戻せば、息子さんは正気に返りますよ」

 和海がそういうと、杏子は鼻で笑った。

 「何を、わけのわからないことを」

 しかし和海はそれを無視し、肩の上に乗っている光の球に向かって、身体に戻るよう念じた。それに応じて、球は和海の肩を離れ、村上の体に向かって一直線に飛び、そのまま吸い込まれるように消えた。

 その直後だった。

 急に村上が何度も瞬きすると、不思議そうな顔で周囲を見回し、突然口を開いた。

 「……母さん、俺、何で病院になんかいるんだ? そういや、和海さんも、どうしてここに……」

 杏子が、驚愕のあまり目を剥いた。

 「琢己、お前、お前わかるのかい? あたしが。自分がどこにいるのか?」

 村上琢己は、母親の態度に怪訝な様子を見せたものの、顔色は悪いながらもしっかりした眼差しで自分の母親を見つめた。

 「当たり前じゃんか。でも、なんだかだるいし、ずっと長いこと夢を見てたみたいで、気分悪いんだけど……」

 村上は、夢の中で所長の結城にも、和海にも、晃にも会ったと言った。

 「……あと、なんだか白っぽい犬だかなんだかよくわからないものの背中に乗って、そのまま運ばれたみたいな気もするんだけど……。はっきりわからないな」

 杏子はしばし立ち尽くしていたが、突然我に返ったように何事か叫びながら、病室を飛び出していった。病院関係者に、正気に返ったことを知らせにいったのだろう。

 和海は、早々に退散することにした。これで、すべて終わったのだから。

 「じゃあ、わたしは用事があるので、もう行くわね。ゆっくり休んでね」

 「え、あ、その、何がなんだか……」

 村上は戸惑い、困惑している。

 そのとき和海は、“まだ笹丸との契りが残っている”ことを思い出し、村上に向かってこういった。

 「ねえ、村上さん。余計なことを考えないで、これだけ言ってほしいんだけど。『契りを破棄する』って。あなたが生まれる前からの、あるひととの約束。それを、破棄してほしいの。そうしたところで、今までと何一つ変わらない。言ってくれないかしら」

 村上は、きょとんとしながらもうなずいた。

 「まあ、そういうことなら」

 村上は、一呼吸置くと、少し勿体をつけるようにして、はっきりと言った。

 「契りを破棄する」

 そのあと、和海の顔を見ながら、付け加えるように言った。

 「これで、いいんですか」

 「ええ、ありがとう。今度こそ、戻らなくちゃ。ゆっくり休んで」

 和海はそのまま部屋を出た。その直後、血相を変えたままの杏子を先頭にして、医師やら看護師やらが急ぎ足で村上の病室に入っていくのが見えた。

 村上は、これでもう安心だ。あとは、自然回復に任せればいい。程なく、退院出来るだろう。

 それより案じられるのは、晃の容態だった。

 “山桜の精”は、『大丈夫だ』といったが、あの顔色を見ると、とても安心は出来ない。

 和海は早足で病院をあとにし、その後ろから飛ぶような足取りで笹丸が続く。

 笹丸の足取りは、以前にも増して軽やかだ。先程の村上の言葉によって、正式に契りが破棄され、名実ともに、自由に動けるようになったからだろう。

 これから笹丸は、晃の元にずっといるのだろうか……

 駐車場に戻って、念のために着信を確認したが、結城からの緊急連絡などは入っていない。それを確認して車を出すと、笹丸を助手席に乗せて、宿へと取って返す。

 緊急連絡は入ってはいないが、それでも晃の顔を見るまで、安心など出来ない。

 和海は、高速道路に乗ると、一気にアクセルを踏み込んだ。



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