27.真実
晃はゆっくりと女に近づいていく。ざんばら髪が全身に纏わりつくように絡み、体が小刻みに震えているのがわかった。
(何故、ここまで来た。妾を滅ぼしに来たか……)
振り返りもせず、女が呻くような声で問いかける。晃は、かぶりを振った。
(それは違う。僕は、あなたを滅ぼすつもりは毛頭ない。あなたの中にいる友人を、迎えに来たんです。返してください)
女が、いやいやをするように首を振る。
(……この力で、恨みを晴らす。そのためには、そのためには……)
(それは、あなたが背負い込むことではない。あなたは、楽になっていいんです。あなた自身、恋した男と結ばれることはないと、わかっていたはずでしょう。ならば、その人の無念の思いを、あなた自身が背負い込むことはない。そして……)
晃は、あえて語気を強めてこう言った。
(あなたには、その人たちの無念の思いを晴らす資格はないんです。それに、あなたを突き動かしているのは、“自分自身の無念の思い”です。でも、それを今生きている人々に向けることは、許されるものじゃないんです。ここに城があったことさえ、覚えている人は少ない。それだけの歳月が流れていては、人の世は移り変わっています)
女が振り返り、立ち上がった。
(おぬしなどに、妾の気持ちなどわからぬ。この、長年の思いなど、わかるはずあるまい。去ね)
女の顔が、再び般若に変わり始める。笹丸は身構えたが、晃はただじっと見つめているだけだった。
(どうやって、恨みを晴らすつもりなんですか。城を落とし、捕らえたものの首を刎ねたものたちとて、命ぜられてやったこと。したくてしたことじゃない)
晃は、女の瞳をじっと見つめながら、諭すように話し続ける。
(それを命じたものがいたはずです。だが、それはわからない。今に名前が残っていないなら、城を滅ぼしたものも、滅びているのでしょう。すでに滅びたものに対して、どうやって恨みを晴らすというのです? それに、あなたは重大なことに気づいていない)
それを聞いた般若が、また吼えた。
(重大なこととは何じゃ。言え、言わぬか)
(もちろん、隠し立てするつもりはありませんが、それを言えば、あなたがどういう思いにとらわれるか、わかりません。心が、崩れ落ちてしまうかもしれない。聞かなければよかったと、後悔するかもしれない。それでも、聞きますか?)
晃は真顔だった。般若の顔に、戸惑いが浮かぶ。
(本当に、聞きますか。先程、あなたと互いに力を交錯させたとき、“視えた”ことです。あなたがこの中に逃げ込んだため、言えなかったことです)
晃は、これは女が取り込んだままの村上を霊視する形になったために、わかったのだと告げた。
(いいから言え。勿体をつけるでない)
般若が、苛立ちを隠せない様子で晃を睨む。それを見て、晃は静かに口を開いた。
(あなたが取り込んだ村上さんが、あなたが恋した若侍の首を刎ねたものたちの子孫だったことは、あなたも知っていますね。ですが、村上さん自身、その若侍の血を引いているとしたら、どうしますか?)
般若が、驚きのあまり目を剥いた。馬鹿な、と叫んだ声が、震えている。
(あの人は、若くして死んだのだ、首を刎ねられて死んだのだ。妾の中の男が、何故その血を引くというのか。そんな馬鹿なことが、あるはずがない。偽りを言うなら、この力振り絞ってでも、おぬしを喰ろうてやる)
般若がかっと口を開け、摑みかかる素振りを見せた。しかし晃は、静かに般若を見つめ、さらに続けた。
(あなたが恋した若侍には、実は恋仲だった娘がいたのです。村の豪農の娘で、将来を誓い合った仲だった。ただ、彼女はやはり平民で、城に来たことがなかったので、あなたはその姿を見たことはなかったのです)
その娘は、この地に戦が来たことで、家族とともに逃げ出したが、城が焼かれて戦が終わったあと、村に戻ってきた。
娘は恋仲の若侍の死を知って、嘆き哀しんだが、自分がその男の子を身ごもっていることに気づき、それを産み、育てる決意をした。
そして、娘は女の子を産んだ。その子は長じて、ある人物に見初められ、嫁入りをした。
その子が嫁入りした家こそ、のちに『血の儀式』を行うことになる一族だった……
(だから、あなたが“恨みの血”として啜っていたものこそ、あなたが恋した若侍の血を引くものたちの血だったんです)
般若の顔が、驚愕のあまり本来の顔に戻っていく。
(……そんな、そんなことがあるはずがない。あの人の血を、あの一族が引いていたなんて、ありえない……)
女は、晃の言葉を否定するように、激しくかぶりを振った。
(それでも僕は、“視た”んです。あなたの中にいる村上さんは、まだ生きている。だから、肉体とまだ繋がっています。先程、あなたの中の村上さんの魂を通して、肉体の“血筋”を見通すことが出来ました。疑うというのなら、僕のこの“手”を握ってみてください。僕が“視た”ものを、あなたにもお見せしましょう)
晃が“霊気の左腕”を伸ばすと、女はおずおずと手を伸ばし、“左手”を握った。晃は、自分が“視た”村上に通ずる“因縁の血筋”の有様を、女に送った。
かつて恋した男が、実際に愛した娘。その娘が男の死後に産んだ忘れ形見の女の子。そして、その娘が“あの“一族”の継嗣に嫁ぎ、娘が産んだ子供たちの中から、『血の儀式』を行うようになっていくものたちが現れたこと……
間違いなく連綿と繋がる血脈の様に、女は茫然となる。
(これでわかったでしょう。僕は、すべて本当のことを話しました。あなたの“魂喰らい”の力は、あなたが長年吸い続けた血と同じ血が重なって、偶然生じたもの。お願いです。村上さんを返してください。大切な友人なんです)
女は、言葉もなくしたまま、晃の顔を見つめた。晃は、そっと彼女を抱き寄せる。
(背負い込む必要はないんです。あなたが背負い込むことはないんです。楽になってください)
晃はそのまま、女を抱きしめた。女も、されるがままになった。真実を知って、抗う気力も失ったようだ。
彼女の心と体が少しでも癒されるならと、晃は彼女をいっそう強く抱きしめる。萎えた力を振り絞るように、“気”を送り込む。女の肩が震えた。
(村上さんを、返してくれますか?)
晃の言葉に、女が初めてうなずいた。
それを見た笹丸が近づき、軽々と跳躍して女の中に飛び込み、次の瞬間人影をつれて飛び出してくる。その人影は、村上本人だった。
笹丸は再び小型犬ほどの大きさになると、村上の肩の上に乗った。
直後に、女の体から力が抜け、崩れ落ちそうになる。晃は、それを必死で支え、ゆっくりと“地面”に座らせた。村上が抜けたことで、彼女の体を支えていた力も抜けてしまったのだろう。
晃自身、遼の力を分離したら、間違いなく気絶してしまうだろうという状態にまで追い込まれていた。時折眩暈が襲う。それでも、女を支えるのはやめなかった。
(そなたももう、限界に来ているであろう。村上の長男は、肉体に戻すまで我が面倒を見る。そなたも、早く現世に戻れ。ここで動けなくなったら、戻ることも出来なくなるぞ)
笹丸の言葉に、遼もうなずく。
(晃、もういいだろう。俺が支えている今の状態で、もうふらふらになるまで消耗してるんだ。しかも、ただ“気”を消耗しているんじゃないんだぞ。お互いに、生命を削りあったんだ。早く戻れ。あの二人が、待ってるぞ)
晃は、女からそっと離れ、村上のほうを“視た”。笹丸を肩に乗せた村上は、焦点の定まらない目で、ぼんやりと辺りを見るとはなしに見ている。どうやら、自分の身に何が起こったか、認識出来ていないらしい。幸い、“魂喰らい”の影響は少なかったようだ。
晃は、視線を再び女に戻した。女が、晃を見ている。能面のようだった顔に、表情が戻っていた。女は悲しげに微笑むと、無言のままゆっくりと頭を下げる。
彼女はもう二度と、今回のようなことは引き起こさないだろう。それを確信して、晃は立ち上がろうとし、大きくよろけた。
誰かが“左腕”を持って支えてくれたおかげで、晃は倒れずにすんだ。それは、笹丸の意志で動いた村上だった。
(こやつのほうが、まだ力が残っておる。支えてもらうがよい。今のところ、こやつは木偶の坊だからな。おそらく、肉体に戻った後も、夢を見ていたとしか思うまい)
(……ありがとうございます。ところで、例の中和能力は……)
(ああ、あれは“血筋”に由来するものゆえ、肉体のほうに付随する。魂であるこやつは持ってはおらぬよ。そこが、そなたの能力との違いであるな。それより、急いだほうがよい。戻れなくなる)
笹丸に促され、晃は“外”を目指した。一歩歩くごとに、膝から崩れ落ちそうになるのを、歯を食いしばってこらえ、“山桜の精”が待つ“外”へ、そして結城と和海が待つ現世へ、歩みを進めていくのだった。