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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第四話 狂い桜
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26.喰ライ合フモノタチ

 般若は間合いを取りながら、じりじりと近づいてくる。晃もまた間合いを取りつつ、“山桜の精”を庇ってあとずさる。その横手から、笹丸が般若と距離をとりながら平行に移動した。

 “山桜の精”の口から流れ続ける結城の声が、般若の殺気をわずかながらも削いでいるため、意外と機敏な行動が出来ないでいるようだ。

 晃の耳は、結城の声の中に、和海の言葉にならない無事帰還の願いを聞き取った。

 (みんな、心配してくれている。必ず、村上さんの魂を連れて、みんなで元の世界に帰ってみせる)

 と、般若が遂に唸り声を上げながら、晃に向かってきた。晃は“山桜の精”を力一杯突き飛ばすと、先程思いついたことを試すべく、身構える。

 般若の腕が、晃の体めがけて振り下ろされるまさにそのとき、晃もまた“左腕”を般若めがけて突き出した。

 互いが持つ“魂喰らい”の力が一気に爆発した。

 二人の“気”が混ざり合い、空間が歪む。笹丸にも、“山桜の精”にも、どうなったのかにわかには判断がつかなかった。

 歪みが消え、二人が離れたとき、より大きく力を削がれていたのは般若のほうだった。

 よろめきながら晃から離れると、胸の辺りを押さえながら前かがみになり、唸るような声を上げた。

 (……馬鹿な。妾を喰ろうやつがおるとは……)

 晃も、身体を取り巻く“気”の炎が明らかに一回り小さくなり、勢いも弱まっている。

 (……かろうじて、何とかなった。無傷じゃすまなかったが)

 晃は、自身が持つ“魂喰らい”の力を利用して相手の力を受け流し、力の大半を相手に返した。般若は、自分の力で自分の身を削ったのだ。自分で自分に“魂喰らい”を使ったときの感覚を思い出し、晃が放った捨て身の秘策だった。

 その晃とて、無傷ではなかった。程度が、般若ほどひどくはないというだけのことだ。

 呼吸をするのもつらくなるようなだるさが襲う。だが、ここで倒れるわけにはいかない。

 (大丈夫か?)

 笹丸の声がする。晃はうなずき、口元に笑みを浮かべた。

 (今、互いに魂を削りあったおかげで、はっきり“視え”てきたものがあります。このひとが、何故ここまで“念”を抱え込んできたのか、その訳を)

 晃は、般若を見つめながら、こういった。

 (あなたの抱えてきた恨みの“念”は、ただの“念”ではない。あなた自身が抱えていた業の“念”でもあります。そうじゃなかったら、ここまで苦しい思いをしながらも、抱え続けはしなかったはずでしょう)

 般若が、唸り声を上げた。

 (あなたが抱えているもの、それは“恋心”だ!)

 晃の指摘に、般若は目を向いた。それを否定するかのように唸ると、よろめきながらも晃に摑みかかってくる。

 晃はそれをなんとかかわすと、さらに続けた。

 (あなたは、今から五百年余りも前、まだ樹齢数十年だった頃、ひとりの若侍に恋をした。その男は、あなたの元で笛を吹くのが好きで、あなたはそうして男が自分の元に来てくれるのが嬉しかった。まだ、あの場所に城が建っていた頃のこと)

 (言うなっ!!)

 般若が再び晃に摑みかかったが、晃は懸命にかわした。

 (しかしその男は、城が落ちたときに捕らえられ、あなたの根元で首を刎ねられた……)

 (言うなというにっ!!)

 般若がまたも摑みかかった。今度は晃も避けきれず、またも二人の力が交錯する。一瞬空間が歪み、二人の姿が溶け合うように重なり合うと、その姿が離れる。

 般若は、前かがみでよろめきながら、激しく体を震わせた。晃もまた、肩で息をしながらかろうじて立っている状態だった。

 (晃、これは、『肉を切らせて骨を絶つ』やり方だ。これ以上は、さすがに持たないぞ)

 (わかってる。相手のほうが、ダメージは大きい。もう、動くのもやっとになっていると思う。さすがに、これ以上のことは出来ないはずだ)

 遼の力を呼び込んでいる状態であっても、座り込みたいほどの虚脱感に襲われ、晃は必死でそれに耐えた。

 晃は歯を食いしばりながらも、先程言いかけた言葉を続ける。

 女が恋した男は、枝垂桜の根元で、他の大勢の者たちとともに首を刎ねられた。体から溢れた血は、否応なく枝垂桜の根元に降り注いだ。

 恋する男の血を啜ったことが、その無念の思いを飲み込んだことが、女の心を狂わせた。恨みの念を棄てられなかったのは他でもない、彼女自身が恨みの念を奥底に秘めていたからに他ならない。

 だからこそ、城を滅ぼした者たちへの恨みは途切れることなく、狂おしく燃え続けた。

 (……あなたにとって『血の儀式』は、恨みを晴らす場だった。だから、それが途切れたとき、あなたは再び怒りと憤りにさいなまれるようになった。流された血は浄化されても、あなた自身が思いを抱えたままだったから……)

 晃が、女を見つめる。力を失った女の顔は、すでに般若ではなく、取り込んだ村上のものでもなくなっていた。

 晃は初めて、女の素顔を見た。切れ長の目を持つ、細面の妙齢の女性の顔だった。その顔は、どこか能面を思わせる。

 (あなたのその力、“魂喰らい”は、二つの恨みが重なり合い、そこに村上さんの“ある血筋”が加わったことで、偶然生まれたもの。その力は、あなたの身の破滅に繋がる。もう、いいでしょう。村上さんを、返してください。村上さんを取り込むことは、決してあなたの中の恨みを晴らすことにはならない。そのわけも、この場で話すことが出来ます。僕の話を聞いてください)

 しかし女は、両手で顔を覆って激しく首を横に振る。長い髪がそれにつれて激しく揺れ、それ自体が生き物のように動いた。

 (意地になっておるのだな。こうなると、やはり力づくしかなくなるが……)

 溜め息混じりに、笹丸がつぶやく。そして、晃に目をやった。

 (だいぶ力が落ちておるの。無理はせんほうがよかろう)

 笹丸がゆっくりと近づくと、気配を察した女は、よろめきながら木に近づき、その中に姿を消した。

 いつの間にか、枝垂桜の溢れかえるほどの妖艶な存在感はすっかり影を潜め、花びらさえも、どこか色褪せて感じられた。

 (木の中で、力を取り戻すつもりなんです。まだ、諦めていないのですね)

 “山桜の精”が、哀しげに枝垂桜を見つめる。

 (そうすると、時間は掛けられないということですね……)

 自分の木の中で、どれほどの速さで回復するかはわからない。しかし、時間を掛ければ徐々に力を取り戻していくだろう。

 晃は、枝垂桜を見つめていたが、やがて笹丸に向かって思いがけないことを言った。

 (笹丸さん、力を貸してください。この中に入ってみます)

 笹丸が溜め息をつき、晃の傍らに歩み寄る。

 (止めても無駄であろうな。ならば、行こうか)

 晃は、“霊気の左腕”を笹丸の背に乗せ、目の前の枝垂桜に向かって歩き出した。笹丸も、晃の歩みにあわせて歩き始める。

 歩くのもつらいだるさに耐えながら、晃は幹の目の前までやってくると、心を静めて目を閉じ、そのまま歩き続ける。

 笹丸の力が、体の中に少しづつ流れ込んでいく。やがて何か抵抗のあるものにぶつかった気がしたが、それでも晃は歩みを止めない。

 水の中を無理矢理突き進んでいるような感覚が、晃の全身を押し包む。思わず笹丸の背中に添えた手に、力が入る。

 (もう少しだ。もう少しで抜ける。今止まれば、かえってまずいことになるぞ。歩みを止めてはならぬ)

 笹丸の声に、晃は口を真一文字に結び、力を振り絞るようにして歩き続ける。

 不意に、体が軽くなったような気がした。目を開けてみると、仄暗い空間に出ていた。

 ちょっとした広間くらいの空間の真ん中に、こちらに背を向けて女がうずくまっていた。晃と笹丸が入ってきていることに気がついて はいるはずだが、振り向きもしないということは、体の状態がそれどころではないということなのだろう。


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