勝利王の書斎07「四月は糸一本でも脱ぐな、五月は好きにしろ」
第六章が終わり、第七章が始まる直前である。
勝利王の書斎は、歴史小説の幕間にひらかれる。
六章の締めくくりが気になって、早く続きを読み進めたいだろうと思う。
今回の書斎は短く済ませよう。
さて、今回のサブタイトルは次のとおり。
"En avril, ne te découvre pas d'un fil; En mai fais ce qu'il te plaît."
フランスの慣用句で、直訳すると「四月は糸一本でも脱ぐな、五月は好きにしろ」
奇妙な言い回しに聞こえるが、その意味は「四月は寒さが戻る日があるから薄着になるな(五月は脱いでも良し)」である。
ブルゴーニュ派がクーデターを起こし、王太子が都落ちしたのは1418年の五月末から初夏にかけての出来事である。幸い、旅をするのにちょうどいい季節だった。
もし、灼熱の盛夏や極寒の冬季だったら、より厳しい旅程だったに違いない。
この物語を読んでいる読者諸氏も、風邪など召されぬように。
特に、伝染性の流行り病にはくれぐれも気をつけて。
私が生きた時代には黒死病や天然痘が流行し、西欧全体で人口が激減した。
当時の私も防疫対策にずいぶん神経を使った。侍医の助言を聞き入れて、感染源となった王都パリの郊外と人通りの多い市場を封鎖したら暴動を起こされたこともあった。王はつらい。
だが、日銭で食いつなぐ困窮者にとって市場封鎖は死活問題だったのだ。
その一方で、感染の封じ込めに失敗して人々が死に絶え、消滅した町・村も多かった。
さて、時間が来たようだ。
これより第七章〈王太子の都落ち〉編を始める。




