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1.7 幼なじみ主従(4)

 私は生来、男子にしては華奢で、腕力も握力も弱かった。

 やけっぱちで振りかぶった小剣は手からすっぽ抜けた。

 ジャンの頭上すれすれを飛び越えて麦畑に落下し、悲鳴が上がった。


(私たちの秘密の遊び場に誰かがいる……)


 いつの間にか、ジャンが私を守るように背を向けて立っていた。


 麦は刈り取り間近で背が高く、大人の背丈ほどあっただろうか。

 よく見えなかったが、悲鳴の主と思われる人影が立ち上がり、無言のまま近づいて来る気配を感じた。


「そこにいるのは誰だ。ずっとここで俺たちのことを見ていたのか?」


 ジャンは練習用の剣を構えた。


「見てただけだよ」


 麦畑から現れたのは、無愛想な少女だった。


「あんたたちが可愛いからさ、お堅い修道院に似つかわしくないと思ってね」

「おまえ、この修道院の人間じゃないな」

「おまえって何よ!」


 少女は私たちより年上だが、色つきの服を着ているから尼僧ではない。

 高位の聖職者以外、僧衣ローブは黒か鼠色、せいぜい生成りの色と決まっている。

 彼女は間違いなく「外のヒト」だ。


「あんたたちこそ、この修道院の人間じゃないでしょ。どこの子よ?」

「おまえに関係ない」


 女の子は、麦畑に飛んでいった剣を持っていた。

 ジャンは少女を睨みつけながら、小声で「俺が足止めするから王子は逃げてください」と言った。


(悪い人なの?)

(わかりません。でも知らないヒトです)


 私はジャンを置きざりにして、自分だけ逃げたくなかった。


「その剣は俺たちのものだ。返せ。そしたら見逃してやる」

「……やだね」

「こそこそ嗅ぎ回った上に、人の落とし物を返さない。おまえは泥棒だな?」


 ジャンの言葉は断定的で、トゲがあった。


(王子、残念ですが悪者決定です。あいつは泥棒だ)

(本当に?)

(逃げてください!)

(無理だよ、ジャンを置いていけないよ)


 ジャンを置いて逃げたくないのは本音だが、それだけではない。

 情けないが、緊張と恐怖で足が動きそうもなかった。


(頼むから行ってください)

(でも、でも……)

(俺を助けたいと思うなら、誰か大人を呼んで来てください!)


 ジャンは小さな騎士のように堂々と剣を構えていたが、小声に焦りが滲んでいた。


 ここは私たちの遊び場で、麦畑にふたりの秘密がある。

 大人をつれて来たら、剣を隠し持っていたことがばれてしまう。

 ジャンの大事な剣は取り上げられてしまうだろう。


(秘密、隠している大事なもの……)


 本当の秘密、この修道院に隠されている本当の秘密は何だろう。

 ジャンは何を守ろうとしているのだろう。


(私にとって、大事なものはジャンだ!)


 足がもつれて転んでしまうかもしれない。

 だが、私は小さいから、麦畑に飛び込めば姿を隠せる。

 走って逃げて、転んでも泣かないで、すぐに起きて、さらに走って、助けを呼ぶ。

 礼拝堂の前には、ジャンに剣をくれたという傭兵がまだいるだろうか。


(神様、ラドゴンドさま、私に力を貸してください。奇跡を起こしてください!)


 勇気を出して、足を踏み出そうとしたその時だった。


「後ろの子さぁ」

「えっ……」

「そう、あんただよ。コレ、わざと飛ばしたの? あたしがいると思って?」


 少女は私に話しかけて来た。

 わざと剣を飛ばしたのかと問われて、私はゆっくりと首を横に振った。

 尼僧以外の女の人と話をするのは初めてだったかもしれない。


「ぼんやりした子に見えるのに。あやうく死ぬ所だった」

「そんなつもりは……」

王子(ルプランス)、何も答えないでください」


 ジャンは少女を見据えたまま、私の言葉を遮った。


「王子? その子が?」

「違う! えっと、弟の名前で……、ブランシュって言ったんだ!」


 多少無理があるが、ジャンは機転を働かせてごまかした。

 少女はそれ以上追求しなかったが、私はまた萎縮して逃げる意欲を削がれた。


「人を呼ばれたら困るのは、あんたたちじゃないの?」

「どういう意味だ!」

「この小剣はあんたたちのモノじゃない。巡礼者一行に雇われてる傭兵の持ち物だろ?」


 ふいに、頭の中で情報の断片が繋がった。

 おそらくこの少女は巡礼者一行のひとりなのだ。

 下働きか何かで礼拝堂に入れてもらえず、外で暇を持て余していたのだろう。

 ジャンが出会った傭兵と同じように。

 少女の事情は何となく察したが、私たちは誤解されているようだった。


「聖職者の格好して巡礼者の持ち物を盗むなんて最低だね。ドロボー兄弟!」

「ドロボーじゃない。もらったんだ!」

「うそつき! ドロボー!」

「おのれ、愚弄するのか」


 ジャンはすっかり頭に血がのぼっているようだった。


「我が名はジャン・ダンギャン。オルレアン公が息子である。父と神に誓って恥ずべきことは何もしていない!」


 愛読している騎士道物語で仕入れたのだろう。

 難しい名乗り上げをはっきりと言い放った。


「おまえも名を名乗れ!」

「やだね」


 騎士に憧れる少年なら一度は言ってみたい口上だと思う。

 だが、少女にはあまり効果がなかったようだ。


「ガキのくせに騎士になったつもり? 泥棒のくせに!」

「泥棒じゃない!」


 ふたりとも気が短すぎる。お互いに誤解しているのだ。

 少女はおそらく旅の途中で傭兵の小剣を見たのだろう。だから傭兵の持ち物だと思っている。

 ジャンは傭兵から小剣をもらった。絶対に泥棒ではない。

 だが、剣を持っていることがバレたらきっと没収されてしまう。

 修道院生活では必要ない物だから。だから、できればこれ以上誰も呼びたくなかった。

 つまり、悪者はいない。話せば分かってくれるはずだ。


「あの、お嬢さん(マドモワゼル)、話を聞いてください」

「やだね」

「王子は黙っててください!」


 撃沈である。


「ほらまた! 本当に王子様なの?」

「俺の弟だ!」

「うそばっかり! ドロボー兄弟! ドロボー王子!」

「俺のことだけでなく王子まで愚弄するのか。無礼者め、貴様は絶対に絶対に許さない!」

「なによ、私はさっきあの子に殺されそうなったんだからね。ドロボーならまだ可愛い方だわ!」


 私は血の気が引いた。


(あの子に殺されそうになった?)


 言われてみれば、確かにそうだ。

 あと少し手元が狂っていたらどうなっていただろう。

 人を傷つけるつもりはなかったが、私はあやうくヒトを殺してしまう所だったのだ。

 吹っ飛んだ小剣の角度がもう少し低かったら、ジャンに当たっていたかもしれない。


(私はジャンを殺してしまう所だった?)


 急に手が震え出した。

 何も持っていないのに、剣の感触と重量感がまだ残っている。

 運が悪かったら、今ごろジャンと少女は死んでいたかもしれない。

 ふたりが罵り合っていることは奇跡だ。


 私だけが二人の輪に入れない気がした。

 まるで世界から断絶されたかのような、焦燥と絶望と、それから——


「ごめんなさい!」


 辺りの音が遠のき、私はただ叫んだ。


「さっきのことは謝ります。怪我をしてなくて本当に良かった。でも、私たちは泥棒じゃないです。その小剣を傭兵さんに見せてください。私たちは無実だと証明できると思います」


 少し前までふたりの剣幕に圧倒されてまともに喋れなかったのに、私の口から言葉があふれた。


「それから! できれば、ここで私たちが剣で遊んでいたことは秘密にしてください。きっと取り上げられてしまうから。ジャンは騎士になる修行をしているから、その剣は大事なものなんです。どうかお願いします」


 一気にまくし立てたせいか、少女に「うるさい」と怒鳴られた。

 女の人と話したのも怒鳴りつけられたのも、この時が初めてだった。

 私は、女性という生き物は気まぐれで人の話をちゃんと聞いてないのかもしれないと思った。


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