6.9 トーナメント前夜祭(3)愛をうたう詩人
謝肉祭の晩餐は無礼講だ。
ごちそうを腹いっぱい食べ、酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしても許される。
とはいえ、恋の異端審問官、またの名を詩人アラン・シャルティエは遠慮がなかった。
「たいへん聞きづらいのですが、ご精通はお済みでしょうか」
吹いた。飲みかけの葡萄酒を盛大に。
鼻からも吹き出したのか、鼻と目の奥がつんつんして涙が出てきた。
「は? え?」
「王太子殿下はまもなく15歳になられる。14歳まで過ごしたアンジュー家は小さい子供が多い環境だったそうですし、実年齢より幼いのは致し方ないとして……」
シャルティエは顔面に大量のワインを浴びたと言うのに、めげることなくぶつぶつと呟いている。
「ときにデュノワ伯!」
「え、俺?!」
げらげらと笑っていたジャンだったが、話を振られてぎくりとしている。
「侍従長のあなたはどうなんですか!」
「ちょっと待て、いつって言わなくちゃいけないんですか!」
クレルモン伯から始まり、私からジャンへ。
私たち三人とも、シャルティエの尋問を受けることになってしまった。
「いえ、言わなくてよろしい」
「ほっ……」
「とっさに口から出た『いつと言わなければいけないのか』と。この発言でデュノワ伯はすでにお済みだと確信しました」
ジャンの顔はみるみる赤くなった。
言い訳を探すように唇がわなわなと震えているが、まともに言葉が出てこないようだ。
口が達者で毒舌なジャンをやり込めるとは、やはり言葉では詩人に敵わない。
目は口ほどに物を言うというが、きょろきょろと焦点の定まらないジャンを見ながら「そうか、ジャンはすでに大人の階段を上がっていたのか」と感慨にふけったのもつかの間。
「やはり王太子殿下が一番の問題です」
シャルティエの興味の矛先がまた戻ってきた。
「今宵はじっくりお話しましょう」
「私はあまり詮索されるのは好きじゃないなぁ。この話はそろそろ終わりに」
「なりません」
ぴしゃりと却下された。
「殿下、私は卑猥な興味本位でお聞きしているのではありません」
ワインを浴びたせいかシャルティエの目は血走っていた。
私はどうにかして話題を逸らそうと、給仕を呼びつけた。
「そろそろノドが渇かない? おかわりを頼もうよ」
「お気遣いありがとうございます」
給仕は、私とシャルティエのゴブレットにワインを注ぐとそそくさと離れていった。
(あっ……行っちゃうの?)
正直なところ、助け舟が欲しかった。
耳を澄まして聞かれても困るが、これ以上シャルティエと一対一で話すのは気が引ける。
「おかげさまでのどが潤いました。一晩中でも話せそうです」
私はごくりと一口飲んだ。
飲み物をすすめて話題を逸らす作戦は失敗したようだ。
「続きをお話してもよろしいですか」
「はい……」
シャルティエの押しの強さからは、誰も逃れられない。
「王太子殿下は、わが国唯一の王位継承者です。弟君はいません。そうなると、王太子殿下には早急に子づくりをしてもらわなければなりません」
ごくりとつばを飲み込んだ。
顔が熱いのは、注いでもらったワインのせいだけではないだろう。
「こづくり……」
「そうです。王太子殿下にしかできない重要な任務です」
「任務……」
詩人シャルティエは饒舌に、フランス王国の存続に関わる一大問題なのだと力説した。
政治よりも軍事よりも勉強よりも、何より最優先すべき課題だと。
「王太子殿下が精通を済ませて大人になっているなら、もたもたしている場合ではありません。王国安泰のために、すぐにでも結婚すべきです!」
さっきまで卑猥に聞こえた言葉が、まったく別の響きに聞こえた。
「私は美しい貴婦人が好きです。愛のためなら奴隷になってもいい」
シャルティエはどこか遠くを見るような、うっとりと酔うような口調で話し続けた。
「恋の駆け引きも、感傷的な悲劇も、笑いの絶えない喜劇も、すべてが美しく……ゆえに儚く……何もかもが懐かしい……」
一部の言葉はかすれて、あまり聞き取れなかった。
少し飲み過ぎているのかもしれない。
「愛と幸福は、人々の営みが守られてこそ存在し得るのです」
「うん……」
「王国存亡の危機は、愛と幸福の危機でもある」
詩人の話は抽象的でよく分からなかった。
「私はノルマンディーのバイユー出身です。いまはパリ大学に身を寄せています」
「うん。先日も聞いた」
「私がなぜここにいるか分かりますか」
「明日のトーナメントで司会進行をするからでしょ?」
このときの私には、シャルティエの真意が分からなかった。
飲食し過ぎて眠くなってきたのか、それとも詩人の熱意に当てられたのか、頭がぼうっとしてきた。
「わからない。シャルティエの話はむずかしい」
正直に告げると、シャルティエは黙ったまま顔を伏せた。
勘のにぶい王太子に失望したのかもしれない。
「残念だけど、私は祖父のように賢明ではないんだ」
ゆたかな愛をうたい、人々を熱狂させる詩人アラン・シャルティエ。
彼が、愛とは正反対の世界を見てきたことを、このときの私は知らなかった。
シャルティエの故郷ノルマンディーは、ヘンリー五世が百年戦争を再開したときに最初に攻撃した地域だった。
「殿下はまだお若い。幼いと言っていいほどに」
「はは、私は幼いか……」
未熟だと責められているように感じた。
私の心を読んだのか、シャルティエは「皮肉ではありませんよ」と付け加えた。
「若さは可能性です。パリ大学には、王太子に希望を見いだしている信奉者が大勢いますよ」
「えっ、信奉者?!」
「ええ。私もそのひとりです」
また顔が火照ってきた。卑猥な話よりも照れくさい。
「王太子殿下の幸福を心から祈念します。ゆえに、ご忠告を申し上げます。婚約者のご令嬢に思いやりがなく、王国の事情や王太子の重責について考えもしないで、心を込めた手紙を無視したり、もてあそぶような駆け引きをするなら」
シャルティエは一拍ほど間をおいて、「いっそ見限りなさい」と告げた。
詩人の赤く充血した目から、涙が流れていた。
「どうした、酔っているのか」
「いいえ。王太子殿下のただならぬ境遇を思い、つい感情的になりました。お許しください」
シャルティエは照れ隠しなのか、「このような卑猥な話をできるのは私しかいないでしょう」と付け足した。
「はは、やっぱり卑猥な話じゃないか」
「いえいえ、愛の話ですよ」
***
トーナメント本番はこれからだというのに、その夜の私は疲労感でいっぱいだった。
マリー・ダンジュー以外のだれかと結婚することなど考えられなかったが、シャルティエの言うことも一理ある。
(手紙の返信が来ない理由は何だろう。もし、マリーが心変わりしたなら)
婚約解消の可能性もあり得る。
私たちの婚約は、アンジュー家と亡き兄が交わした約束だった。
正式な結婚の時期について、私からアンジュー公とヨランドに相談しなければならない。もちろんマリーとも。
(父があのような状態だから、私自身が動かなければ)
結婚。子づくり。王家の血統問題。
私が精通しているかどうか。
(実年齢よりも幼いか。そうかもしれない)
フランス王国の王位は、男系男子しか継承できない。
いま、たったひとりの王位継承者として私にしかできない務め。
(理屈では分かっている。大事なことだ)
私個人の羞恥心も尊厳もないに等しい。
だが、王国の存続に比べればささいなこと。
分かっている、分かっている——
(まるで種馬だな……)
気の滅入る話だった。




