5.9 王太子といとこの秘密通信(1)
四人の兄が亡くなり、末弟の私が王位継承者となったいきさつは以前にも述べた。
弟や妹はいない。マリー・ダンジューと婚約しているがまだ正式な婚姻ではなく、私に妻子はいない。
私が死んだ場合、父・狂人王シャルル六世を最後に王家は断絶する。
王位継承権のゆくえは——
「サリカ法にのっとり、王弟オルレアン公の血統に移行します」
サリカ法とは、フランス王位の継承権について定めた法だ。
私は宮廷のしきたりに疎かったため、よく家臣に質問した。
宰相アルマニャック伯も、護衛隊長シャステルも、時には名前の知らない小姓までもが丁寧に教えてくれた。
「つまり、私が死んだらシャルル・ドルレアンが次期フランス王になるんだね」
「縁起でもないことを言わないでくださいよ」
そういうジャンも、ごくわずかに継承権の可能性が残っている。
ジャンの身分は王弟の庶子。シャルル・ドルレアンの異母弟だ。
「何にせよ、イングランド王家に王位を相続する権利も道理もないということか」
「そうです! イングランドの身勝手な屁理屈に屈したらダメですよ」
ジャンが鼻息荒く答えた。
アジャンクールの戦いから二年。
ジャンの兄シャルル・ドルレアンは、いまもロンドン塔に幽閉されている。
イングランドは莫大な身代金を要求し、ジャンも家臣もひそかに金策に走っていた。
多額の金銭を用立てても、利子だの何だのと理屈をつけて身代金を釣り上げていく。
イングランドお得意の身代金ビジネスのカモにされていた。
ジャンが怒るのも無理はない。兄の命運を取引材料にされているのだから。
シャルル・ドルレアンは22歳。
デュノワ伯ジャンは15歳。
王太子の私は14歳。
ジャンは頼りになる友人だが、頼りになる大人ではない。
王太子と侍従長といっても、私たちの実態は小姓と大差ない。
王家・王族の中で、正常な判断力を持っている成人男子はシャルル・ドルレアンただひとり。
私たちは、ひそかに連絡手段を作ろうと画策していた。
***
ある日、イングランドから貿易品が届き、取引と検品作業を視察した。
未熟な王太子が王国を統治する仕組みを学ぶため、視察というより学習の場だ。
母妃が去り、宮廷は落ち着きを取り戻したかに見えた。
「アーサー王は変身能力があるらしいですよ」
「へー」
「……信じてないでしょう」
ジャンに上目遣いのジト目で睨まれて、私は苦笑した。
騎士道物語に限らず、おとぎ話に変身エピソードはつきものだ。
私は子供だましの迷信だと思っているが、わざわざ否定することもない。
「王太子は、ぼーっとしているように見えて意外と現実主義ですね」
「そうかなぁ」
「デュノワ伯、王太子殿下の御前です。口が過ぎますぞ」
護衛隊長シャステルに咎められて、ジャンはぺろりと舌を出してから口を閉じた。
私とジャンのゆるい主従関係は、内輪では黙認されているが、いまは部外者の商人がいる。
王家の威厳を損なうことがあってはならない。
「現実主義か……」
私はシャステルに咎められないよう、小声で話を続けた。
「父上の影響かもしれないな」
ジャンは何も言わない。
私たちはまっすぐに正面を向いたまま、私だけが小声で話し続けた。
「私はね、ハッピーエンドが約束された物語よりも、この王国を、未知の現実を見つめなければならないんだ」
狂人王シャルル六世は現実から目を背け、いまや幻想の世界に生きている。
私は父上を慕っているが、父王の病状がフランス王国の混乱を招いていることは紛れもない事実だ。
「俺だって物語に書いてあることを全面的に信じている訳じゃありません。もう子供じゃないですから」
「うん、そうだね」
ジャンは幼いころから騎士を夢見ていた。
夢を見るに留まらず、騎士になるために修行している。ずっと昔から。
「あ、そうだ。今度本人に聞いてみます」
「本人?」
ジャンは「アーサー王の末裔の騎士と知り合いなんです」と自慢げに語った。
シャステルがわざとらしく咳払いをしたので、私たちは話を中断した。
(アーサー王の末裔といえば……)
どこかで聞いたような気がするが、記憶が曖昧だ。
ジャンは私が知らないうちに着々と騎士になる道を歩んでいる。
デュノワ伯ジャンの生い立ちは昔話でもおとぎ話でもなく、現実の騎士道物語だ。
***
フランス北部にあるカレー港は、北欧諸国やイングランドと貿易する窓口だ。
戦時下で港を封鎖することもあるが、基本的に王侯貴族の争いと行商人の貿易は別物だ。
各地・各国をめぐる行商人は、貴重な情報源でもあった。
金品の他に、情報も取引材料になる。
カレー港を通じてパリの王宮へ届いた貨物は、いくつもの木箱といくつかの手紙。
検品するかたわらで、商人と面会した。名前は覚えていない。
イングランドとフランス北部を行き来しているという。
欲しいものがあれば次に来るときまでに用意すると言われたが、あいにく私はフランス北部とは縁が薄い。
めぼしい商品はなかったが、商人はシャルル・ドルレアンから手紙を託されていた。
弟宛てと、宰相アルマニャック伯宛てのもの。他に、何人か懇意にしている家臣宛てと、妻子に宛てた手紙はオルレアンへ送り届ける。
「兄君は何と?」
「よく分かりません」
ジャンが眉間にしわを寄せて考え込んでいる。
シャルル・ドルレアンは詩読が趣味で、手紙には自作の詩が書かれていた。
「アルマニャック伯は?」
「ご覧の通り、ふんだんに韻文を踏んだ詩です」
手紙に影響されたのか、アルマニャック伯も韻を踏んで答えた。
「やれやれ。アラン・シャルティエを呼びましょう」
「アラン……?」
「我が国きっての詩人ですよ。今はパリ大学にいるはず」
パリ大学とは、12世紀に設立したヨーロッパ初の大学だ。
神学者ロベール・ド・ソルボンヌにあやかり、ソルボンヌ寮とも呼ばれる。
「残りの荷と手紙をオルレアンへ送るように。カレー港へ戻る前にもう一度ここへ。返事はそのときに」
あらかた検品が終わると、アルマニャック伯は手短に指示した。
商人が退出しようとした時、木箱ががたりと動いた。
「アルマニャック伯……」
「王太子殿下、いかがされましたか?」
「これは何? いま、動いたように見えたけど」
食用、衣服の装飾用、観賞用。
さまざまな理由で、遠方の動植物を調達する。
だが、動物を生きたまま王宮に持ち込むことは珍しい。
動物が暴れて、要人を傷つけたら一大事だ。
「おそれながら申し上げます」
退出しかけた商人が、頭を下げながら言った。
「ロンドン塔の大鴉をお持ちしました」




