5.1 王太子を取り巻く人たち(1)
「王太子、聞こえてますか。俺が誰だか分かりますか。おーい、王子シャルル〜」
私が唖然として固まっていると、侍従長は私の目の前でひらひらと手を振りながら道化のようにおどけた。
「じゃーん!!」
王太子となって宮廷入りした初日。
思いがけない母の出迎えから始まって一日中驚きの連続だったが、ジャンとの再会が最大の驚きだったかもしれない。
「じゃじゃーーーん!!」
「……ジャン?!」
「王子、お久しぶりです」
久しぶりも何も四年ぶりだ。
私は立場を忘れてジャンに駆け寄り、ジャンは両手を広げて迎えてくれた。
「本物? ……本当にジャンだよね?」
「この通り、四年間でだいぶ背が伸びましたが、修道院にいたジャン本人です!」
修道院で別れたとき、私は10歳でジャンは11歳だった。
実に四年ぶりの再会である。
私たちは「ジャン!」「王子!」と呼び合って、はしゃいだ。
「どうしてパリに? ジャンはオルレアンにいると思っていたよ!」
修道院で別れたとき、ジャンは私を送り出したらオルレアンに戻ると話していた。
ジャンの異母兄シャルル・ドルレアン——私の従兄でもある——のもとで教育を受けて、今ごろどこかの騎士団で見習いをしているかもしれない。
そんな風に考えていたため、まさか宮廷で会えるとは思っていなかった。
「オルレアンには行きましたよ。話すと長くなってしまいますが」
「私はね、あれからずっとアンジューにいたんだ」
私はすっかり侍従長の件を忘れて、興奮気味にしゃべっていた。
「ジャンがここにいてくれて良かった! 知らないおじさんばかりで、ずっと心細かったんだ」
つい気が緩んで、本音がぼろぼろと口からこぼれ落ちた。
ジャンも気前よく笑っていたが、「知らないおじさん」のひとり、護衛隊長タンギ・デュ・シャステルのせき払いで我に返った。
「王子、いえ王太子殿下。宮廷にいるときの私は侍従長デュノワ伯です。そう呼んでください」
「あっ、うん。そうだった」
私は戸惑いながらもうなずいた。
「王太子殿下とデュノワ伯。おふたりは従兄弟で、昔なじみの友人と聞いております。積年の話があるでしょうが、今後も時間はありますから」
シャステルがそう言って、この場を収めた。
止められなければ、私たちはいつまでも話し込んでいただろう。
この城館の主たる王太子と侍従長が務めを果たさなければ、生活と実務が滞ってしまう。
アンジュー家のきょうだいの中で私は兄の役目だったが、ジャンはひとつ年上のいとこで幼なじみだ。
身分上は私が主君になるが、私にとってジャンは心を許せる頼もしい兄のような存在だった。
***
私の父、狂人王シャルル六世には統治能力がない。
実質、王太子が国王代理という大役を担う。
まさか第五王子に王位継承権がまわってくるとは誰も思わなかったのだろう。
私は帝王学も知らない14歳の子供だった。
王太子、すなわち国王代理として不安なスタートを切ったが、宰相アルマニャック伯は、不慣れな王太子を補佐する体勢を準備していた。
宰相アルマニャック伯は、政治のブレーンとして。
護衛隊長シャステルは、唯一の王位継承者を守る絶対的な守護者として。
侍従長デュノワ伯は、王太子の生活と精神的な支えとして。
見方を変えれば、アルマニャック伯は祖父のようで、シャステルは父のようで、デュノワ伯ジャンは兄のようで友人でもあった。
兄の死から私を連れ戻すまでの間、短期間でよくこれだけの人材を揃えられたものだ。
「俺は、優秀だから侍従長になった訳じゃないです。たまたまですよ」
ジャンは異母兄シャルル・ドルレアンに同行してパリの宮廷に連れて来られた。
だが、シャルル・ドルレアンはアジャンクールの戦いから帰って来なかった。
イングランドに捕われて、いまもロンドン塔に幽閉されている。
あの戦いから二年。人質返還の交渉をしているが、帰国した者はごく少数だった。
「いまのオルレアンはどうなっているの? 帰らなくてもいいの?」
「心配ご無用です。オルレアンの統治は義姉上が……つまり兄上の妃が取り仕切ってます」
ジャンは「俺は領地経営のノウハウが分からないから助かります」と付け加えた。
アルマニャック伯は、かつて両親を亡くしたシャルル・ドルレアンの後見人を務め、シャルル・ドルレアンはのちにアルマニャック伯の令嬢を妻とした。
アジャンクールのあと、宮廷に取り残されたジャンの窮地を救ったのもアルマニャック伯だった。
「デュノワ伯に借りを作ったおかげで、私は何もしないうちに王太子殿下から信頼を得られたようですな」
アルマニャック伯は上機嫌に、からからと笑った。
「借り?」
「そうです。王太子殿下もデュノワ伯もご自身の価値を分かっておられない。特に、いまの殿下は大いなる権力をお持ちです。現在の我が国では、王太子は国王代理なのですから」
「国王代理か……」
自分が無知で世間知らずな子供だと自覚している。
王太子の身分を受け入れることは、大変な重責だった。
「私のような、下心ある不届きな取り巻き貴族に利用されぬよう、したたかに、賢くおなりなさい」
権力に群がり、王族と縁を繋ごうとする者はごまんといる。
相手をよく見て、付き合うべき相手を選ぶようにと。
アルマニャック伯は、自分のことを「下心ある不届き者」だと言うが、この忠告も策略の一環なのだろうか。
(私が王太子だから? 私を懐柔するため? 本当に?)
いつだったか、アンジュー公も「人柄を見極める目、良識」について話していた。
アンジュー公とヨランドは、王太子になる前の「私」を選んだのだと言っていた。自分の良識・見識を信じていると。
(私にはまだ難しいな)
王太子になってからずっと、アルマニャック伯が選んだ人物に取り囲まれている。
私自身が付き合う人間を選んでいるのではない。
自称「下心ある不届きな宰相」が排除しようとする人間がいる。
それは、宰相のためなのか、私のためなのか。よく分からなかった。
「王太子に会わせなさい。私はあの子を生んだ実母ですよ!」
私の母、淫乱王妃と呼ばれるイザボー・ド・バヴィエールもそのひとりだった。




