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7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】〜百年戦争に勝利したフランス王は少年時代を回顧する〜  作者: しんの(C.Clarté)
第四章〈王太子デビュー〉編

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4.8 宮廷の洗礼(2)小悪魔な母

 幼い頃、母の姿を夢想していた。

 物心がついた時には修道院にいたから、一般的な母親がどういうものか知らなかった。

 身近にいる女性は修道女ばかりで、そのような環境が影響したのだろうか。


「私の母上はフランス王妃なんだって。ラドゴンドさまみたいな人かもしれないよ」


 聖人ラドゴンドは元フランス王妃で、麦畑の奇跡を起こした聖なる女性だ。

 昔話を聞きながら、母の面影を重ねた。


 月日が流れ、私は14歳になり、運命のいたずらで王太子の身分が転がり込んできた。

 記憶にない王宮に連れ戻され、到着早々、母と対面した。


「んふふ、びっくりしちゃったかしら。田舎育ちの王太子さまには刺激が強すぎたかしら?」


 私は心の準備もできないまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 母は、私を取り巻く護衛をまったく気にする素振りも見せず、つかつかと近づいてきた。


母上(ママン)に会いたかったのでしょう? 兄上宛てのお手紙に書いてあったものねぇ」


 そう言いながら、くすくすと笑った。

 母は(よわい)40を過ぎていたはずだが、無邪気な少女のような貴婦人だった。

 この日の出来事も、母に言わせれば「宮廷風サプライズ(いたずら)」を仕掛けたつもりだったのかもしれない。


「さあ、お望みどおりに来てあげたわ」


 エメラルドの中に、まぬけな王太子の顔が映っていた。

 緑色の瞳は、魔性を宿しているといわれる。人を魅了し誘惑する。だから、その深淵を覗いてはいけない。囚われてしまうから。


 母の遠慮のなさに怖れをなしたのか、エメラルドの視線から逃れようとしたのか。私は身を引いて後ずさりした。


「あっ……」


 今しがた馬車を降りたばかりで後がなく、かかとを降車用の踏み台に引っ掛けてよろけた。

 私はほんの少し内股なせいか、緊張すると足元があやうくなり、転びやすい。

 王宮に着いたばかりでろくに挨拶さえしていないのに、私は出迎えの家臣たちの前で失態を犯しそうになったが、母がとっさに私の外套(コート)を掴んだおかげで転ばずに済んだ。


「ださい子」


 母は小悪魔のような微笑みを崩さないまま、小声でそう言った。


「気の利いたメッセージひとつ言えないなんて、みっともない王太子さまだこと」


 母の洗礼は、まるで冷水のようだった。

 体も心も血の気が引いて萎縮していくのに、それでいて目の奥だけはじわじわと熱くなり、あろうことか次第に潤んできた。

 母と家臣たちがいるのだから、こらえなければならない。


「失礼しました。到着して早々、母上にお目にかかれるとは思わなかったので驚いてしまいました。出迎え、感謝いたします」


 どうにか取り繕って、母に謝意を述べた。

 よろけたときに帽子がずれたので、直す振りをして顔が見えないように深くかぶり直した。


「んふふ、長旅おつかれさま。わたくしは可愛い王子さまが大好きなの」

「はは……」


 母は何を考えているのだろう。

 どう反応すればいいのか分からず、私は戸惑っていた。


「ねぇ、可愛いお顔を見せてちょうだい」


 そう言うと、母は私の帽子を乱暴にはぎ取った。


 帽子と冠は、身分をあらわす装身具だ。

 自分よりも高貴な相手に対面するときに礼節として脱帽する。

 家臣が居並ぶ前で王太子の帽子を奪った行為は、重大な辱めを受けたに等しい。


 母は、あらわになった私の顔を見るなり、「こらえ切れない」と言わんばかりに吹き出し、けたけたと笑い転げた。


「ああ、可愛い! なんて可愛いのかしら!」


 母は、よくも悪くも無邪気な人だった。


「ようこそ王太子さま、ママンはあなたを気に入ったわ。たったひとりの王位継承者ですもの! もうどこにも行けないわよ。わたくしにはあなたしかいないの。心ゆくまで可愛がってあげるからお楽しみにね」


 母を揶揄した「淫乱王妃」という二つ名はあまりに生々しすぎる。

 私の母は、とてつもなく自分本位な小悪魔だった。




***




「恐れながら申し上げます」

「んふふ、なぁに?」


 私と母の間に割って入ったのは、宰相アルマニャック伯だった。


「下がりなさい。わたくし、醜い年寄りに興味ないの」

「そうはいきません。王太子殿下におかれましては、ご到着されたばかりでさぞお疲れかと存じますが、しきたりにのっとり、粛々とご挨拶を……」

「まだるっこしい! 不愉快だわ」 


 無邪気かつ邪悪。

 だが、小悪魔にも弱点があった。


「国王陛下がお待ちかねです」


 宰相の言葉に、母は一瞬で笑いを消した。


「親子水入らずで積もる話もございましょう。王妃陛下もご同行なさいますか」

「結構よ」


 そう言うと、くるりと私に背を向けた。


「覚えておきなさい。うるさい口がきけないように、いつか必ず首をはねてやるわ」

「恐れ入ります」


 母とアルマニャック伯の会話は、私の耳に入って来なかった。

 ただ、母は気分を害してここを立ち去ろうとしていることは分かった。


(さんざんからかって、もう行ってしまうのですか)


 私の内面には、思慕と恐怖がないまぜになった根の深い孤独が巣食っていた。

 いつも蓋をしているのに、母との接触で蓋が緩んでいたのだろう。

 辱めを受けたことも忘れて、私はすがるように「母上!」と叫んでいた。


「母上……母上……お待ちください。いつか会いたいと、ずっと思っていました」


 母は、私の呼びかけに応えなかった。

 もしかしたら、耳には届いていたが、心に届かなかったのかもしれない。

 母の歩みを止めることは叶わなかった。

 小悪魔な母は気まぐれで、もう私のことなど眼中にないようだった。


「お待ちください」


 去り際に、護衛隊長のシャステルが母を呼び止めた。

 母は、かたわらでひざまずいているシャステルを見下ろした。


「それをご返却ください」


 母は、私から取り上げた帽子を持ったままだった。

 なぜ持っているのか分からないとでも言いたそうに、しげしげと帽子を見つめ、おもむろに手放した。風に飛ばされてしまう前に、シャステルが帽子を捕まえてくれた。


「ださい帽子」


 母はそれだけ言うと、私の前から立ち去った。

 人前で恥をかかされたことよりも、笑みを消した母の横顔にぞっとしたことを覚えている。


母上(ママン)に会いたかったのでしょう?

>兄上宛てのお手紙に書いてあったものね」


これは、母妃イザボーさんが、息子宛ての手紙を勝手に読んでいることを暗示しています。

悪気はないけど、罪悪感が欠落しているタイプ。

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