9.16 ヘンリー五世崩御(2)葬儀と密談
ヘンリー五世の早すぎる死は、フランスとイングランド両国に波紋を呼んだ。
これより二年前、英仏間で定めたトロワ条約——王太子シャルルの廃嫡と、シャルル六世死後に息子ヘンリー五世がフランス王位を継承するという条約は、老いた父王がヘンリーより先に死ぬことを前提にしていたからだ。
王太子を支持するアルマニャック派は、当初からトロワ条約を否定していたが、ヘンリーの死により「条約は完全に無効になった」と主張した。
神は不当な王位継承を認めない、神罰がくだったのだ、とも。
ロンドンとパリで、ヘンリー五世の追悼ミサが営まれた。
「かわいそうにねぇ」
パリの追悼ミサには、イングランドとブルゴーニュ公を支持するフランス在住の貴族たちが大勢参列した。
弔問にかこつけて、ヘンリーの弟ベッドフォード公の動向を探るためでもある。
「あと少しでフランス王になれたのに。意外とあっけなかったわねぇ」
「イザボー王妃、それは兄に対する嫌味ですか」
「御愁傷様ね。ただの哀悼よ」
「お気遣い、恐れ入ります」
「んふふ、シャルルの方が悪運が強いのかしら」
イングランド王位は、生まれたばかりのヘンリー六世が継承する。
では、フランス王位の行方は?
「やはり、実子のシャルルに王位を継がせたいと?」
「ふふ、心外ね。わたくしはフランス王にもっともふさわしい息子が王位を継承すべきだと考えてますの。残念だけど、シャルルは王の器じゃないわ」
弔問客たちは静かに祈るふりをして耳をそばだてた。
摂政に就任したベッドフォード公は、フランスから手を引くか、否か。
「言われるまでもない」
ベッドフォード公は大聖堂に集まった弔問客を一瞥すると、兄王の遺志を引き継ぎ、積極的にフランス統治を進める旨を告げた。
「王太子の好きにはさせませんよ」
「んふふ。期待してますわよ、摂政殿……」
フランス王妃イザボー・ド・バビエールは満足そうに微笑むと、あらためて、王太子シャルルの廃嫡とイングランドによるフランス統治を支持すると約束した。
***
「久しぶりだな、リッシュモン伯」
「シャロレー伯」
「今はブルゴーニュ公だよ」
無怖公の息子・ブルゴーニュ公フィリップとリッシュモンは幼なじみだった。
私とデュノワ伯ジャンのゆるやかな主従関係に似ている。
「失礼しました」
「はは、まぁいいさ。私は影が薄いからな」
「そんなことは……」
「そんなことあるさ。父が死んで三年経つが、私も家臣たちもいまだに父を恐れている」
ブルゴーニュ公フィリップはイングランドと同盟を結んでトロワ条約を支持していたが、父ほどフランス統治に関わっていなかった。
「パリは息が詰まる。昔なじみの貴公がいてホッとした」
「私と話していてよろしいのですか。親睦を深めるべき相手がいるでしょうに」
リッシュモンが目配せした先では、王妃イザボーとベッドフォード公があやしげな密談をしている。
「いい。遠慮させてもらう」
ブルゴーニュ公フィリップは、声を潜めて「あれは親睦を深めるというより悪だくみだ」と付け加えた。
「あなたはブルゴーニュ公でしょう。ああいった謀略の中心人物ではありませんか」
「遠慮を知らないところは変わらないな、リッシュモン」
「恐れ入ります」
「まぁいい。実はな、ベッドフォード公から『フランスの摂政をやらないか』と打診された」
リッシュモンは「おめでとうございます」と言いながら、内心で呆れていた。
「悪だくみ一味を見るような目で見ないでくれ。私は違うぞ」
「違うのですか」
「早とちりするな。丁重にお断りしたよ」
リッシュモンは耳を疑った。
フランス宮廷の要職を断るなど、無怖公の時代だったら考えられない話だ。
「こんな話は、昔なじみでまじめな貴公にしか言えないが……」
ブルゴーニュ公フィリップは、「フランス宮廷にできるだけ関わりたくない」と本音を漏らした。
「本気ですか」
「本気だとも。フランス王家に関わっていたら命がいくつあっても足りない」
「父君の殺害のことですか」
「あれは自業自得だ。仕方があるまい」
フィリップは、無怖公のただ一人の息子だった。
上も下も姉妹たちに囲まれて育ったせいか、あまり武張った性格ではないが、父が殺されたときに王太子を非難してイングランドと同盟を結んだ。
そのため、亡き父の路線を踏襲してフランス宮廷と深く関わるのだろうと思われていたが、この二年間はパリから遠ざかっていた。
「かつて父はオルレアン公を殺した。他にも多くの者から恨まれていたのを貴公も知っているだろう」
リッシュモンは、ブルゴーニュ公フィリップとともに少年時代を過ごした。
派手好きで権力志向だった無怖公に比べると、だいぶ地味な少年だったと記憶している。
かと言って、父の言いなりではなく、独裁的な政略に反抗してアジャンクールの戦いに参戦しようとする度胸も持ち合わせていた。
「ずっと前から、いつか殺されても文句はいえないと思っていた」
「では、なぜイングランドと同盟を結んだのですか」
「私個人は父が殺されても仕方がないと思っているが……」
ブルゴーニュ公は「父の家臣は短絡的なならず者が多いのだ」と肩をすくめた。
王侯貴族をうらやむ者も多いが、大きな権力をコントロールする難しさと敵味方の複雑な人間関係は、リッシュモンもよく知っている。
「私たちは命がいくつあっても足りない。兄君もひどい目にあったそうじゃないか」
リッシュモンの兄、ブルターニュ公失踪の件だろう。
「無事で何よりだ。味方を敵に回すことほど怖いものはない。いや、味方の中に敵が潜んでいるというべきかな」
「ブルゴーニュ公、あなたは何かご存知なのですか」
「私はよそに手出しをする余裕はない。ブルゴーニュとフランドル——自分の領分を統治するだけで手いっぱいだ」
ブルゴーニュ公フィリップは、フランスの宮廷と距離を置いている。
それは、父・無怖公よりも野心がない、というより何か深い理由があるように感じられた。
「保身のためですか。フランスもイングランドもどうでもいいと?」
「保身第一で何が悪い。私は謙虚、堅実がモットーなのだ」
ブルゴーニュ公は開き直っている様子だったが。
「そんな顔をしないでくれ。昔なじみにあからさまに軽蔑されるとつらくなる」
「信頼関係を壊したくないなら、はぐらかすのはやめていただきたい」
「ああ、そうだな。ブルゴーニュ家最大の犠牲者は父ではない、亡き妻ミシェルなのだよ。この意味がわかるか、リッシュモン……」
このころのアルテュール・ド・リッシュモンは29歳。
名門貴族の男性としてはめずらしくまだ一度も結婚していなかったが、幼なじみのフィリップが大きな傷心を抱えていることと、ある重大な警告を知らせようとしていることは分かった。




