9.7 強制された臣従礼(1)
1420年、アジャンクールの敗将たちが虜囚となって5年。
あれほど頑なだったアルテュール・ド・リッシュモンは、はじめて自分からヘンリー五世に会いたいと申し入れた。ヘンリーは素知らぬ顔で謁見に応じた。
リッシュモンは開口一番、「ブルターニュで不正義が行われています」と訴えた。
日ごろから愛想笑いひとつしない寡黙な男である。
平静を装っていたが、明らかに動揺していた。
「聞こう、申してみよ」
「兄が……、ブルターニュ公が失踪しました」
「一大事であるな。だが、不正義とは一体何のことだ?」
「昔、我がモンフォール家とパンティエーヴル家はブルターニュ公継承をめぐって争いました。父と祖父の時代のことです」
ブルターニュ公継承戦争はとっくに決着がついている。
だが、パンティエーヴル家との遺恨は続いていた。
ささいなきっかけで争いが再燃するおそれをはらんでいたが、近年になってパンティエーヴルの老女伯ジャンヌは「両家のしこりを子孫に残したくない」と態度を軟化させていた。
両家はもともと親戚である。仲直りの証として、狩猟祭や宴会を催しては互いに招待し合った。
「兄は優しい性格で、女伯にも気遣いを惜しまない人でした」
ブルターニュ公は、老女伯に誘われるまま居城へ付き添っていき、御礼にもてなしを受け、そのまま行方知れずとなった。
「ほう、神隠しか」
「いえ、パンティエーヴル家に幽閉されています」
「なぜそう言い切れる?」
「女伯は帰したと言ってますが、兄が城を退出した姿を見た者がいません」
リッシュモンの訴えを一通り聞くと、ヘンリーは「考えすぎではないか」と見解を述べた。
「おおかた、美女に接待されて入り浸っているのだろう。失踪だ幽閉だと騒ぎすぎるとあとで恥をかくぞ」
ヘンリー五世は三十路を過ぎても独身だったが、ロンドン城下では十代のころから悪友を連れて遊びまわっていると有名だった。
「兄は清廉潔白です。あなたとは違います」
「そうであったか。非礼をわびよう」
リッシュモンの兄ブルターニュ公は10歳でジャンヌ王女と結婚。
早すぎる政略結婚だったが、当初から仲睦まじい夫婦で、20歳のときに第一子が誕生している。その後も子宝に恵まれ、幸せな家庭を築いていた。
「義姉は幼くしてブルターニュに輿入れしました。戦いも政治も知らない無垢な王女です」
ブルターニュ公の突然の失踪で、公妃のジャンヌ王女と子供たちはパニックに陥っていた。
王女ができることといえば、義弟リッシュモンに救援要請の手紙を書くことが関の山だった。
領主の失踪と不在が長引けば、ブルターニュの統治にもいずれ悪影響が出てくる。
「兄を救出して不正義を正すために、今すぐにでも助けが必要です」
リッシュモンは普段の寡黙さから一変して、堰を切ったようにブルターニュの危機を訴えた。
ヘンリー五世は親身になって傾聴した。
「リッシュモン伯よ、何が望みだ?」
好きなだけ喋らせて弱みを探り、イングランドに都合のいい言質を引き出そうと考えた。
「ブルターニュへの帰郷をお許しください」
「貴公は余の義弟だ。助力は惜しまない」
「感謝を申し上げます」
ヘンリーは、虜囚リッシュモンの解放と帰郷をほのめかしたが、すぐに許可を出さずに焦らした。
リッシュモンは帰郷を催促するために、毎日のようにヘンリーに謁見を申し入れた。
「ブルターニュ公失踪はどうなった? 首尾はどうだ?」
「パンティエーヴル家から身代金の要求はありません。兄は幽閉されています。餓死させるつもりかもしれない」
「はっはっは、貴公は意外と想像力が豊かだな」
「笑い事ではありません。一刻も早く助けに行かなければ!」
ジャンヌ王女は実家のフランス王家にも手紙を書き、救援を求めた。
しかし、父王シャルル六世は精神状態が悪化して使い物にならず、母妃イザボー・ド・バヴィエールは王太子討伐に注力していてブルターニュ情勢にまるで関心がない。
頼みの綱は、義弟リッシュモンだけだった。
「ブルターニュ公を助けたいのは山々であるがな……」
ヘンリー五世は自身の野望のため、ブルターニュ公の危機を最大限に利用しようとした。
「宮廷では、貴公の詭弁ではないかと疑う者が多いのだよ」
「誓って真実です。ブルターニュへ行き、事実確認していただいて構いません」
「問題はそれだけではない。貴公の日ごろの態度について、イングランド王と母である王太后への敬意が欠けていると問題視されている」
そう指摘されて、リッシュモンにも覚えがないわけではなかった。
「私の未熟さと兄の失踪は関係ありません。これまでの私の素行がブルターニュ公救援の妨げになるなら、いくらでも悔い改めます」
リッシュモンは虜囚の身である。
兄を捜索するにしても、パンティエーヴル家と一戦交えるにしても、ロンドン塔から解放されなければ何もできない。ヘンリー五世にすがりつくしかなかった。
「もっと素直になれ。誠意を見せるのだ」
「いままでの数々の無礼をお許しください」
「よくわかった。しばらくすれば、イングランド宮廷の評価も変わるだろう」
「お待ちください! 時間がないのです。どうかご慈悲を!」
「やれやれ。結局、貴公は自分のことばかりだな」
「陛下! なにとぞ……」
この日はついにイングランド王を尊称で呼ばせることに成功し、ヘンリーの自尊心は大いに満足した。
「リッシュモン伯よ、そう焦るな。貴公を今すぐに解放することはできないが、水面下でブルターニュに探りを入れているところだ」
「本当に動いているかもわからないのに落ち着いてなどいられません」
「まったく、貴公は余をちっとも信頼していないのだな」
あまり焦らしすぎると、リッシュモンは思いつめて脱走するかもしれない。
ヘンリーは少し情報を与えることにした。
「信頼と親愛の証として、今つかんでいる情報を教えよう」
ヘンリーは「内密の情報だから部外者に聞かれてはまずい」とリッシュモンを足元へ呼びつけると、顔を寄せて耳打ちした。
「かつてモンフォール家とパンティエーヴル家が争ったとき、両家の背後には英仏がいた。今回も同じかもしれないぞ」
「まさか、パンティエーヴル家に見せかけてフランス王家が兄を……?」
「そうではない。英仏はもうすぐひとつの王国になる。両国の平和を乱しているのはただ一人」
まもなく、英仏間のトロワ条約調印で廃嫡される予定の「王太子シャルル」。
ヘンリー五世は、まことしやかに「王太子こそが陰謀の黒幕であり、平和を乱す元凶なのだ」と吹き込んだ。




